断片的なものの社会学

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最近は、図書館で本を借りまくっている。月に3回ほど通い、ごっそりと借りてくる。ジャンルはさまざまだが、エッセイが多い。軽くて笑っちゃうようなものや、真面目なもの、本にまつわる本が多い。何かを得てやろう!と思っていたときより、読む時間自体を楽しんでいるような感じだ。

だから、全然記憶に残らないものもあるのだけれど、ときおり思考を立ち止まらせたくなる本に出会うことがある。流れていくような本もいいけれど、何度も読み込みたくなる本もいい。これは、そんな立ち止まってしまうような本だった。

【断片的なものの社会学】

 

 

筆者は、路上生活者や同性愛者、風俗嬢や摂食障害、戦争経験者などのマイノリティの人々にインタビューして社会学を研究している岸政彦さん。

インタビューをしていくうちに、どうしようもない出来事にしばしば直面する。「良い」でも「悪い」でもない、なんの意味もない出来事たち。そんな「どうしたらいいかわからない事」で、人生は出来ている。

分かりやすいエピソードは、これだ。

岸さんが大学生の時に飼っていた犬が、岸さんの外出しているうちに、死んだ。全身に癌が広がっていて、自分で動くことも食べることも出来ないような状態だった。ずっと看病していたのだけれど、ある日30分ほど外出してるうちに、静かに息を引き取った。

岸さんが犬の死に際を見てやれなかった事を気にやんでいると、ある人が言った。「あなたに死に際を見せたくなかったから、出かけている間に先に逝ったんだよ。」

そのことに対し、岸さんは怒った。犬は、そういうことを考えない。1人で死んだことに意味なんて無い。ただ、1人で死んだだけだ、と。犬を擬人化したような考え方は、自分が一緒にいてやれなかったことを正当化し、犬の最期の孤独を無にしてしまうのではないか、と。

*************

このエピソードを読んで、思い当たる事があった。【すべての出来事の意味を考える人と、すべての出来事から意味を見出す人】が、それぞれ世の中には存在している。そういうことを考えていた事があった。

【すべての出来事の意味を考える人】は、なにかが起こったときに「〇〇だったから、△△だったのかもしれない」と考える。この犬の例で言えば、岸さんをなぐさめようとしてくれた、「ある人」の言葉のような考え方だ。

怪我をした時、病気になった時「乗り越えられるからこそ、神様が与えた試練」という言葉はこれに当たる。自分たち人間より、大きな何かの存在があり、その何かの采配でそうなった。必然だった、という考え方だ。起こった出来事に対し、受動的な印象を受ける。

【出来事から意味を見出す人】は、似ているようだけど真逆だ。起こった出来事は偶然だった。でも、それをそのまま受け止めて、だからこそ「こうしていこう」という指針を自分で決める。起こった出来事に対して、能動的に働きかけている感じだ。

たとえば、たまたま歩道を歩いていたら、車が突っ込んできて事故に遭遇し、腕を骨折してしまったとする。

前者は「もし、そのまま事故に合わなかったら、もっと大きな事件に巻き込まれていたかもしれない!それをご先祖様が、止めてくれたのかもしれない!」と言いそうなイメージ。

後者は「たまたま歩いていたら、事故にあって腕を折ってしまった。けれど、そのおかげで腕が不自由な人の気持ちを知ることが出来た。これからは、もっと親切に接しよう!」と。

どちらも、ポジティブといえばポジティブなのかもしれない。前者の考え方は、起こった出来事を受け止められないから、そこに意味を探そうとする。出来事を受け止めるために、意味を探す。愛すべき人間の弱さかもしれない。後者は、淡々と受け止めた後に行動を起こすために、意味付けをする。人間の力強さを垣間見ることが出来る。

少し前に「ポジティブ思考」という言葉が流行ったけれど、こういう些細な違いから「ポジティティブ風な思考」がSNSなどの画面を埋めていることがあった。その言葉を発している人が本当に前向きに出来事をとらえているのかは、言葉の端々をみればすぐに伝わる。ポジティブ思考にならなきゃ!と考えているとすれば、その時点ですでにネガティブ思考だ。

話が大きくズレてしまった。
つまり、前者と後者はどちらが良い、という話ではない。この本の筆者の岸さんは、出来事を淡々と受け止めて、それをむりやり解釈するわけでもなく、意味づけするわけでもなく、ただそのまま「どうしたらいいかわからない出来事」として、そっとしておく。

励ますわけでもなく、同情するわけでもない。それが、一番の優しさだということを知っているのだ。

この本を読んで、私も「どうしたらいいかわからない」気持ちになった。だから、この気持ちはあえてそっとしておくことにした。胸の中の絶妙な感情が広がっていく。初めて出会ったタイプの本だった。

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2018年11月26日 | Posted in おすすめの本, ブログ, 価値観を考える本 | | 7 Comments » 

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コメント7件

  • 闘魂まさゆき より:

    かれかれ10年ほど前、カミさんのお腹に赤ちゃんを授かってもうすぐ出産間近での出来事を思い出しました。

    それはカミさん家で食事をしていた時、家で飼っていた柴犬が何処かに逃げていなくなってしまったと。
    そういえば最近、年老いて食事もとらなくなって元気がなかったねと皆で話していました。
    義理のお母さんが『きっと、もうすぐ赤ちゃんが産まれてくる時に自分の死を見せたくなくて何処かに行ったんだよ』って言いました。
    多分、悲しい雰囲気の中、何か前向きになれる様に気を遣って言ってくれたんだと思います。
    その時、自分としては『自分の死を見せたくなくていなくなるのは猫じゃなかったっけ⁇ 犬でもそんな話ってあったか⁇』と疑問だらけでしたがやはりその場の雰囲気に言いだせませんでした。

    それから二週間後、近くの河川敷で犬がさまよい歩いているとの通報が!
    気になって行ってみるとウチの犬じゃん!
    家族みんな良かった良かった。って喜んでるけど、オイオイ!もうすぐ赤ちゃん産まれてくる時だから死に際を見せたくないんだよ!って言ってたじゃん!その話は何なのよ〜(笑)
    ってどうでもいい事を思い出してしまいました。

    • nonnon より:

      闘魂まさゆきさん

      あぁ、もう。笑
      今回書きたかったことの代表のようなお話をありがとうございます。
      私も、心の中で【え?それって自分達都合のこじつけじゃない?】とツッコんでしまったとしても、その場は「ふむふむ」と流してコトを荒らげないタイプなので、よ〜く分かります。笑

      でも、それが悪いことって言いたいわけじゃなくて。そうやって、人間は精神的に辛い時、自分や家族や愛する人を守ってきたのだ、と思うと愛おしい気持ちになりますね(*´∀`)

      そのワンちゃん、なんだか憎めなくて好きです。笑

  • たまごサンド より:

    「ポジティブ思考にならなきゃ!
    と考えているとすれば、
    その時点ですでにネガティブ思考だ。」

    さすが!!
    同感です。

    起きたことに意味を見つけるのではなく、
    起きたことには対策を考える。

    対策のために意味を考えるのはいいけど、
    対策したくない気持ちを正当化するために
    意味を考えるのは逃げ。

    淡々と対策を実行して、
    全て片付いて、もし余裕ができたら、
    振り返って意味づけして楽しむ。

    くらいが、カッコいいかなぁ。

    • nonnon より:

      たまごサンドさん

      おそらく、心っからの楽観主義の人は、自分が楽観主義だという事に気付いていない。
      なぜなら、そんなことを気にしたことがない、と姉を見てて思います。笑

      うんうん、そうですね。
      受け止められないことを受け止めるために意味を探すのより、受け止めた後にどう考えるかが大切な気がします。
      たった一度の人生くらい、粋に生きたいものですね(ダジャレです)

  • シゲちゃん より:

    ノンちゃん、おはよう
    私もそう思います。仏教の言葉に諸行無常があって、冷静に考えると、人生の中で起きる出来事は様々だけど、自我を保つために、あれやこれや意味付けしていそうですね。大抵、煩悩=欲望が起動力になっている気がします。少し前の歌に、千の風に乗って、がありました。その人の存在は、お墓には無いよ、と言っています。そういうことだろうと思います。
    人生は、死にゆくまでの暇つぶし、そうかもね〜(*^^*)

    • nonnon より:

      シゲちゃんさん

      自我を保つための、意味づけ。まさに、そうですねー。
      それはそれでありというか、それによって救われる人もいて。脳の思考回路も、昔からの言い伝えも、宗教も、人間が自分を保って生き延びるためにうまく出来ているなあと感動します。

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