冬の湯気と漂う音
冬の朝のコーヒー
朝、起きて、コーヒーを入れる。
たったそれだけの動作なのだけれど、夏と冬で大きく違うことがある。
それは、湯気の存在だ。
夏には、すぐに消え去ってしまっていた湯気が、ここの所かなり存在感を増してきた。気温が下がるほどに、湯気はくっきりと輪郭を現す。
沸かしたケトルから、マグカップ2つと、コーヒーサーバーにお湯をうつすとき、そのくっきりと浮かび上がった湯気を見て(あぁ、今年も冬がやってきたんだなあ)と、改めて実感するのだ。
コーヒーは、沸かしたてのお湯では温度が高すぎる。
沸かしたケトルから、ドリップ用のポットにお湯をうつすと、その時点で5度から10度くらい温度が下がると言われている。私が好きな低めの温度で抽出するには、沸かしたお湯を一度コーヒーサーバーにうつし、それをさらにドリップ用のポットにうつすと、ちょうどよくなる。
ただし、夏と冬では温度の下がり方が異なる。
お湯のリレーをしていく段階で、ガラス、陶器、琺瑯、そのものの温度が下がっていることもあり、同じ作業をしていても冬のほうがやや低い温度に仕上がる。
低い温度で抽出したコーヒーは、高い温度で抽出したコーヒーよりも、角が立ちにくく、丸くなる。
冬のコーヒーが優しいのは、そのためだろう。
名古屋駅3丁目のコーヒートラック
先日、MAGNI’S COFFEE TRUCK に行ってきた。平日はいつも同じ場所に常駐している、移動しない移動カフェだ。土日のみ、イベント出店などで各地を回っている。
いつもの場所に、いつもいる。
移動カフェでも、そんな安心感をその地に生きる人に与えることが出来る。
屋外ならではの開放感も、寒い中で飲むコーヒーも、最高。
丁寧に淹れてくれるコーヒーから立ち昇る湯気が、たまらない。もはや、湯気フェチだったのかもしれない、と思うほど永遠に見ていられるような気がする。
「うぃっす」「うぃーす」
コーヒーを飲んでいたら、常連さんと思わしき人がやってきた。こんな風にお客さんと店主が挨拶できるお店は、特殊かもしれない。「いらっしゃいませ」でもなく「こんにちわ」でもなく、どこまでもゆるく、いつも通りの「うぃっす」
お店とお客さんが、おなじ高さに立っている、というのは双方にとってかなり心地よい関係だ。お客さんを持ち上げるでもなく、自分がへりくだるでもない。お客さんを持ち上げるというのは、ある意味丁寧でお上品なのだけれど、堅苦しい。そんなお店ばかりでなくても良い。
それに、実は、お客さんは、それをそんなに望んでいないのかもしれない。お客さんをお客さんという認識で扱っている限り、お店とお客さんの距離は縮まらない。
マグニスコーヒーのドリップコーヒーは、やっぱり優しい味がした。
豊田の駅前から漂う、音
もっともっと街中や、公園、お外で過ごせるような環境や場所があったらいいなあと、常々思う。子どもをもってみて、より一層そんな気持ちが強くなった。
そんな事を考えながら、豊田の駅前を散歩していたら、どこからともなくジャズの演奏が聞こえてきた。その日は土曜日だった。お昼下がりということもあり結構人がいたのだけれど、みんな音の方に吸い込まれるように歩いていた。その先を見てみると…ビルの前でサックスとギターで演奏している人がいた。
そして、そのビルの中には、最近コーヒースタンドが出来ていた。
※土日は「B&C SPACE」
何もなかった場所に、音楽とコーヒーがあることで、そこは何もない場所ではなくなっていた。シャキッとした冬の空気が、華やかに穏やかになっていた。
息子のつむつむくんは、初めて見る生演奏に片手を上げて、ベビーカーを蹴り上げて、ノッていた。赤ちゃんにだって、きっとこの心地よさが伝わったはずだ。
ふんわりと立ち昇る湯気や、どこからか聞こえてくる音楽。今年の冬も、いい冬になりそうだ。
ナカジマノゾミでした。
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そういえば、本屋さんのアルバイトの採用連絡をいただき、昨日から始まりました。そのことについては、また次回。
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