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1歳のHAPPY BIRTHDAY

先日、息子のつむつむ君が1歳の誕生日を迎えました

1年前の写真をみると、びっくりするほど皺くちゃでちっちゃくて頼りなくて。人間というより、動物にしか思えないような生命体。

1年で体重は約3倍、背も30センチ近く伸びました。この12ヶ月の凄まじい心身の成長を物語っているようで、感慨深くなりました。

 

子どもを持って変化したこと

つむつむ君が生まれてきてくれたことで、変わったことはなんだろう?と考えてみたら、1つ大きく変わったことがありました。親になる前と、親になった後でぜんぜん違うこと。

それは、自分の生に対する意識。

というよりは、生に対する執着心と言えるかもしれません。

子どもが生まれる前までの私は、もちろん「いつ死んでもいいや」とは思っていなかったけど、「いつ死んでもいいような日々を過ごそう」と思っていました。

もし、今日倒れたとしても後悔しないような1日を過ごそう。そのためには、やらなくていいことやしたくないことをしているヒマはない。やりたいことだけやろう。そして、死ぬまでにしたいことは早々にやろう!明日死ぬかもしれないと思って、生きよう。

そんな感じでした。

だから、100m落下するバンジージャンプも怖くなかった。だって、それで死んだとしても、やってみたかったんだもん!と。(ちなみに、今だったら、絶対にやりたくない。つむつむが成人して、孫の顔を見届けられたら飛べるかも。笑)

あの時だって、決して死にたいと思っていたわけではないけれど、そこまで死に対する恐怖は無かった。いつか必ずくるものだから。

でも今は、何があろうと絶対に生きたい。24時間一緒にいるつむつむ君の顔を、どうしても明日の朝も見たい。寝たきりになったとしても、目が見えなくなったとしても、彼を感じられる五感が1つでも残されているなら、生きたい。

それは、彼のためではない。「私がいなかったら、、、」という心配からくるものではない。ただただ、私のために、だ。

明日もつむつむ君に会いたい

 

どうしても、明日もつむつむ君に、会いたい。どうしても、2歳のつむつむ君がどうなっているのか見てみたい。どんな小学生になっているのか、どんな青春時代を過ごすのか。どんなことが好きで、どんなことに興味を持ち、どんな大人になっていくのか。

絶対に絶対に、見たい。
絶対に絶対に、死んでも死にたくない!

この気持は、今までに感じたことのない気持ち。まさに生きることに対する執着心だと言える。

もし、日本の寿命が伸びている要因が、子孫の成長を見届けたいという執着心からくるものだったら、日本ってすごい国かもしれない。(なんせ、平均寿命は伸び続けている)

彼が今日まで大きな怪我もなく、生きてこられたこと。いろんな日を一緒に過ごせたこと。ありがたい、という一言では全然足りない。共に生きる、ということがどれほど奇跡的で尊いことなのか、肌で感じ始めているのかもしれない。

今、すやすや寝ているつむつむ君。朝起きたときに「おはよう」と声をかけることが出来るのが、今は1番の幸せだ。

 

つむつむ君、1歳のお誕生日おめでとう。
これからも、いろんな毎日を一緒に過ごせますように。

ナカジマノゾミでした。

2018年10月15日 | Posted in ブログ, 暮らしと子育て, 生きるシアワセNo Comments » 

 

絵本【ふうしてあそぼ】読み聞かせイベント

作者さんによる絵本の読み聞かせと、それにまつわる絵の具遊び(ブロウアート)のイベントに行ってきました

対象年齢は、1歳半から大人まで。

1歳前のつむつむには、ちょっと早いかな~と思ったものの、どうしても会いたい人がいたので行くことにしました。

私が会いたかった人は、その絵本の作者の はるのまい さん。

はるのまいさんは、移動カフェのときにある方にご縁を設けていただいて出会いました。

私の出産時期が近づいてきたときに連絡を頂き、ベビーラックやマタニティ用のジーパン、育児にまつわる本などを「良かったら、使いませんか?」と譲ってくれました。

その時まで、はるのさんが妊娠していたこと、1ヶ月前に出産していたことを全く知らなかったので、いつの間に出産されたのだろう?と、びっくりしました。

SNSで投稿されている内容は普段と変わらないように思えたし、仕事も忙しそうなイメージだったし、そんな一大ライフイベントを抱えていたとは思いもよらなかったのです。(SNSでは、けっこう後からさらっと報告していました。とってもクール。私は速攻「生まれたよー!」と言いたくなっちゃうタイプ。)

 

女性にとって妊娠出産は大きなイベント

 

結婚・妊娠・出産・育児のこと。その真っ只中には、ついついその事に対する投稿が多くなりがちだし、子どもが生まれてからプロフィール画像を我が子にするママさんも少なくありません。(現に、私のインスタはつむつむ99%。)

幸せのおすそ分けかもしれないし、報告を兼ねているかもしれないし、「この子のママです」というのが、自分の存在を確証してくれているものなのかもしれない。

それが悪いわけではないけれど、ママではなく妻でもなく個としての「わたし」が薄れていくことに疑問を感じていた中で、はるのさんは「子どもは子ども、わたしはわたし」を貫いているように思えて格好良いな〜と思っていました。

 

そして、出産後もそれまでと変わらないペースで仕事をするはるのさんを、ひそかに尊敬していました。イラストや絵本を家で作成しているとは言うものの、赤ちゃんをみながら仕事をすること自体、私にとっては信じられませんでした。

そんなはるのさんの発信の中ですごく印象に残った言葉があります。はるのさんが出産して3ヶ月近く経ったときです。

【赤ちゃんを中心に自分の世界が周り、時間、エネルギー、金銭、すべてを捧げてしまいそうな衝動にかられる。子どもが可愛すぎて、子育てが面白すぎて。自分の全エネルギーを子どもに注ぐ生き方もありだし尊敬するけれど、私はそうじゃない方の人生を選ぶことにした。子どもがいること、を自分の中での言い訳にせず、守りに入らず、チャレンジを続けていく。

その言葉を読んだときに、自分はどうなのかと問われたような気がして、ドキリとしました。自分は子どもを言い訳にしているのでは、と。

 

子どもが出来たと分かった時には、出産・育児という人生の大きなイベントごとが体験出来るというワクワク感と、好きな仕事を辞めなくてはいけないという寂しさと、どこまで走り続ければゴールなのだろう?と思っていた仕事から解放されるという安堵感がごちゃまぜになっていたような気がします。

寂しさと、安堵。相反する感情の正体は【自分の人生から少し距離を置くこと】へのまさに言い訳だったように感じました。「やりたい事をしたいけど、子どもが小さいから」といえば、その間は自分と向き合うことをしなくてもいい。守られた状態の中にいることが出来る。

もちろん子どもを第一優先に考える生き方も素敵なのだけれど、私にはなんだか違うような気がしていました。

だからなのか、出産後も好きな仕事をしているはるのさんに会いたいな、と思ったのでした。

そして、久しぶりに会ったはるのさんは、やっぱりキラキラしていました。ぱあーっと周りが明るくなるような笑顔で、沢山の人に囲まれて。

人は好きなことをしている時、最大限に輝いている。

そんな、よく分かっていたのに忘れかけていた事を改めて思い出した一日でした。

 

ちなみに、はるのまいさんの絵本はこちら

絵本アーティスト はるのまいのつれづれ日記

モスバーガーのハロウィン限定の包み紙の絵も描いているそうです。ん~。すごい!今度モス行ってみよう。

 

ちなみにつむつむは、イベントのブロウアートよりも近くにいる女の子にちょっかいをかけるのに忙しそうでした。相変わらず、他人の領域にズカズカと入り込んでいくところ、ある意味、見習いたい…。ナカジマノゾミでした。

 

コーヒーを愛するひと

10月1日はコーヒーの日

10月1日になると、なんだかコーヒーが恋しくなる。まあ、いつも恋しいのだけれど。

それでも、より一層コーヒーに向き合いたいという気持ちになる。いつもそこにいてくれる君へ、の想いを馳せたくなるのである。

 

どういう理由かは忘れてしまったのだけれど、10月1日はコーヒーの日なのだそうだ。他にも日本酒の日であり、眼鏡の日でもあるらしい。

というわけで、いつもは購入しているコーヒー豆を生豆から焙煎することにした。めずらしく、焙煎したい気分になった。

焙煎は、これが初めてではない。出産前に何度か、カセットコンロで手網焙煎に挑戦したことがある。その時は、ことごとく失敗。いや、失敗とは言うものの、飲めるといえば飲める。

少しまばらな焼き具合になってしまったり、味の中盤以降にすこーし青臭さを感じることはあるものの、淹れているときの新鮮で芳ばしい香りはとても良い。

ん~…と思う仕上がりのときは、ドリップするときにその欠点を出しにくく淹れたりすることも出来る。自分で飲む分にはまあいいか、という感じ。

でも、美味しいロースターで買ってきた豆とは、やっぱり全然違う。プロの技ってすごいな~といつも思い知らされることになる。(最近では、岡崎の豆蔵というコーヒー屋さんのコーヒーに感動しました。これはまた後日)

コーヒー仙人さん

焙煎するときには、ハンドピックといわれる不良豆・欠点豆を取り除く作業をする。その作業をしながら、あのお客さんのことを思い出した。

 

あのお客さん、とは移動カフェにちょくちょく顔を出してくれていた、コーヒーマニアの通称コーヒー仙人さん(私が心の中でそう呼んでいた)だ。

コーヒー仙人さんは、コーヒーを仕事にしているわけではないのだけれど、ものすごくコーヒーに詳しい。怖いぐらい、詳しい。そのへんのコーヒー屋さんより、よっぽどマニアック。実際にカフェをまわるだけでなくコーヒーと名のつく書物や映画、漫画までも網羅している。

カフェインの成分などの理論的なことから、生産地の状況なども含め。

私は、コーヒー仙人さんが来ると、いつもドキドキしていた。

コーヒー仙人さんは、私の移動カフェに、コーヒーではないモノを求めにきてくれていた。最高級に美味しいコーヒーを飲みたいときには、きっとここには来ない。ここに来てくれる時には、コーヒーを飲むという呈で、そこにある空気や、そこに集う人、他愛もない会話、そんなものを求めてくれていた。

きっとそうには違いないのだけれど、それでも美味しくないコーヒーを出すわけにはいかない。鋭い目線でどつかれるかもしれない。「われ、コーヒーなめてんのか!」と言われたら、立ち直れない。

コーヒー仙人さんは、いつも緊張を高めてくれる存在だった。

怖い、怖い、怖い、と思っていたコーヒー仙人さんなのだけれど、本当はすっごく優しい人だった。コーヒーのマニアックな情報を教えてくれたり、自分で焼いた豆を持ってきて飲ませてくれたり(すっごく美味しかった!)、私がへばっている時には喝を入れてくれることもあった。

だんだんと、そんなコーヒー仙人さんのことが大好きになった。

 

そして、趣味でしているという焙煎の話になったときに、こんなことを言っていた。

「ハンドピックをすると、確かに味は良くなる。でも、少し欠点がある豆だろうと、俺はどのコーヒー豆も捨てたくない。一粒一粒が愛おしい。だから、俺は、ハンドピックはしない。」

その話を聞いた時、この人は、本当にコーヒーを愛しているのだ、と感じた。

【最高のコーヒーを飲みたい】のではなく、【最愛のコーヒーを飲みたい】のかもしれない。顔は怖いコーヒー仙人さん(怒られる!)の心の中の温かいものを垣間見た気がした。

もちろん、お店で商品としてコーヒー豆で商売をする人にとっては、そうはいかない。ハンドピックは味を左右する、大切な作業だ。だけど、もしかしたら…ハンドピックをしながら、一粒一粒の豆への愛おしさを感じて、涙している人もいるのかもしれない。

欠陥があるものを排除する

欠陥があるものを排除すると、手っ取り早くまとめることが出来るのかもしれない。優秀を集めれば、優秀な集団になるのかもしれない。「君は、いらない」「君は、必要」「その欠点は、だめ」…ここから弾き飛ばされた人は、どこにいくのかな?

こうしなければいけない場面があるのは、事実だ。

でも、きっと。

「すこし欠点があろうと、一人一人が愛おしい。一人も捨てたくない」そんな心を持っている人も、いるはずだ。

そして、切り捨てて人選しなければいけない立場の人も。本当は一人一人を愛するがゆえに、心を締め付けられるような思いをしていることもあるのかもしれない。

 

コーヒーを焼きながら、そんなことを考えていた。

 

コーヒーを焼きながら、そんなことを考えていたものだから、案の定すこし焦がしてしまった。美味しいコーヒーを焼くには、まだまだほど遠い。

 

しばらく息子のお昼寝タイムには、コーヒーを焼こう。そうしよう。最高のコーヒーではないかもしれないけど、最愛のコーヒーを焼くことは出来る、きっとね。ナカジマノゾミでした。

 

大人の人見知りスイッチ

大人の人見知りは単なる甘え?

「大人の人見知りは、単なる甘えである」

「人見知りということを自分で公言するのは、優しさが欠落しているのでは?」

そんな言葉を幾度となく聞いてきた。

聞いてきたのにもかかわらず、あえて言わせてもらうとすれば、私は人見知りである。わりと、結構、人見知りである。

もちろん、誰にでも人見知る、というわけではない。

初対面の人でも、マンツーマンであれば大丈夫なことが多い。異性の方が、平気だったりする。仕事が絡んでいたり、接客中はむしろ親しみやすいタイプを気取ることも可能だ。雰囲気的に合いそうだと察知した人とは、人見知りを微塵も感じさせないこともあるかもしれない。

でも、トータルで見ればやっぱり、なかなかの人見知りなのだと思う。

人見知りが子どもを育てる上で、生じる不具合

仕事をしている時は、ほとんど毎日「仕事スイッチ」が入っている状態だった。だから、自分が人見知りだということを忘れかけていた。

久しぶりに思い出したのは、産婦人科の行っていた出産前の「マタニティヨガ」の時だった。

知らない輪にポコッと入る時、それは突如発動される。

【無理して喋りかけなくても、1人でいいやスイッチ】がものすごい勢いでONになる。1人でいいや、とは思っていても、ツンツンしているわけではない。喋りかけてもらう分にはもちろん嬉しいのだ。だから、親しみやすい表情を作っておくことは忘れない。

ニコニコというよりは、ニヤニヤだったかもしれない。(だいぶ気持ち悪い)

思えば中学生の時、男の子に「なんか、話しかけづらい」と言われたような気がする。その時には、なんて損な性格なんだ!と思ったのだけれど、確かにと納得する部分もある。

学生の時は【無理して喋りかけなくても、1人でいいやスイッチ】が常にONになっていた。仲良しの子と、一緒にいればいい。社交性皆無。そのうえ、親しみやすい表情を作るという発想は当時持ち合わせていなかった。

しかし、子どもを生むとそうも言ってられない場面も出てくる。

児童センターなどに行くと「この場面で気軽に交流できたらいいのに!」と思うことが多々ある。

すんなりと輪に入れたり、集っているママさんたちに何かしら質問などが出来れば、かなり空気は軽くなるということも分かっている。「なんとなく、気まずい空気」は、自分次第で「和気あいあいとした交流の場」になることも重々承知だ。

その空間に出来たら、どんなにいいか、と思う。

それなのに、例のスイッチは簡単にONになってしまうのだ。

息子を盾にする母

そんな私の葛藤を知ってか知らずか、息子のつむつむくんは、最近まったく人見知りをしなくなってきた。

知らないお友達にズンズン近づいていき、おもちゃを貸せと手を伸ばす。なんだかよくわからない言語で喋りかけている。知らないママ同士が話しているところに、割り込んで、他人の足の間に座る。知らない人によじ登る。誰彼構わず、相手の目をじっと見つめて手を振る。

私には、めちゃくちゃ難易度の高いことを平気でやってのける。密かに、そんなところを尊敬していたりもする。そんなつむつむ君のおかげで、救われることも何度となくあった。

私が誰かと話すきっかけをくれる。笑顔が生じるきっかけをくれる。

つむつむ君から与えてもらっていることは、たくさんあるのだ。

最近では、率先してつむつむ君を盾にしている。(よし、つむつむ!そこにそびえ立っている壁を壊してきてくれ!)と言わんばかりに、GOサインを送りまくっている。

こうして【人との壁を壊したい】と思うあたりから推測すると、私は人見知りではあるものの人嫌いではない、ということなのだろう。むしろ、ほとんどの人見知りの人がそうなのかもしれない。

人が好きだからこそ、近づけない自分と葛藤している。

人嫌いであれば「自分は人見知りだ」と落ち込むことも悩むこともないのだ。

つむつむ君と行動を共にしているうちは、全力でつむつむ君を盾にしよう、と心に決めている。これからも頼んだよ!つむつむ君!ナカジマノゾミでした。

 

疑似、3人姉弟の子育て体験

先日、姉に三女が生まれました

 

ママと赤ちゃんが入院中&退院後1ヶ月の間、長女と次女は実家で預かることになりました。その間の保育園の送り迎えやご飯や身の周りのお世話を父・母・パパ・私で分担することに。

唯一、仕事をしていない私も微力ながら協力させてもらうことにしました。

とはいえ、つむつむくんを連れての参戦。数時間は、3人の相手をひとりでするという体験をする貴重な機会。なかなかエキサイティングでした。

ギャーとか、ワーとか

常に誰かの声がしている。常に賑やか。常に誰か何かを主張している。さすがにひとりの子育てでは、ここまで賑やかにはなりません。

家の中では、あまりにも一瞬で部屋がぐちゃくちゃになるというびっくり体験をしました。

いたるところで、何かがひっくり返っている。姉が妹のお菓子を勝手に食べて、妹がヤイヤイ言っている。そんな妹の髪の毛を全力でつむつむが引っ張り、さらに妹号泣。妹の号泣につられ、なにもされていないつむつむも号泣。その間、姉は紙を小さく切り刻んで雪を降らせている。つむつむ、雪を食べる。お絵かきしていたペンも食べる。物干しラックをなぎ倒す。妹が「ちゅむちゅむダメー!」と言って余計に振り回す。姉、我関せず。

なんだこれは。カオスとはこういうことを言うのではないか。

早く、誰か帰ってきてー!!!と、家族の帰りを心待ちにするほどのゴタゴタ感。

よくドラマで、パパが帰宅したときに「わ~い!パパが帰ってきた!」と子どもが玄関に走っていく光景が描かれているけど、パパを本当に待ちわびているのはママなのでは?と思いました。

たった数時間で、お手揚げ状態。これを毎日毎日経験しているママさんやパパさんてすごいなあ…と改めて気付きました。

なんていうか、耳の休まる時間が一瞬もない。これにも慣れるものなのかなあ。大家族で育つ赤ちゃんって、本当にたくましくなりそうだ。

普段は騒がしいと感じるつむつむ君の抱っこして攻撃も、この賑やかさの中ではまったく気にならない。むしろ、どこにいるのか注意してみていないと、こっそりと隅の方で何かゴソゴソとやっているのに気づかないという状態だから不思議。

いつもの家では、何をしていても目につくから干渉しすぎてしまうような気もする。

そういう意味では、神経を使いすぎなくていいのかもしれないな、と思いました。

兄弟っていいな

そんな破茶滅茶な姉妹も、ママが赤ちゃんにつきっきりになってしまうとやはり寂しいようです。寂しさを我慢しながら、「私も抱っこしてほしい。でも、赤ちゃんのお世話してもいいよ」と、泣きながら言っていたという話を聞いて、成長したなあ~とジーンときてしまいました。

たった3年、生きてきただけ。でも、そんな言葉を言えるところまで成長している。子どもの心って、大人が思う以上にすごいスピードで成長しているのかもしれません。

私が姉弟がいることによって得たものは、数知れず。できればつむつむ君にも兄弟を、と思うけど…どうなることやら。この辺りは計画するでもなく、風の吹くままに任せます。

山の中の家に帰ると、一気に静かな環境に戻ってきた感じでした。穏やかだけど、どこか寂しいような気がしました。

それにしても、寒くなったなあ…。そろそろ、冬の支度が必要ですね。ナカジマノゾミでした。

2018年09月22日 | Posted in ブログ, 暮らしと子育て2 Comments » 

 

コーヒー豆、やるじゃないかという話

コーヒー豆のカスの再利用

「コーヒーの豆のカスってどうしているの?」

移動カフェの時に、よくされた質問である。

どうも、していない。どうも、していなかった。

大量にあると、逆に利用価値を考えなかったりする。当時は毎日1・5キロ~2キロくらい出てくるコーヒーの残りカスに特に気を配ることをしなかった。いろんなことに使えるらしい、ということを教えてもらってはいたものの、それを他のゴミと分けてとっておいて、広げて乾燥させて…という工程をするつもりは無かった。

再利用して出来たものが、買うほど欲しい何かの代用になるのであれば良いと思う。でも、買うほど欲しくない何かのために、時間や多少の資源(それを作るときに必要とする水や紙など)を使うという選択肢はまるでなかった。(たぶん、節約苦手なタイプ)

しかし、ここのところ立て続けに「コーヒーのカスの利用法」というワードを目にすることがあった。ヒマだしちょっとやってみるか、という気持ちでコーヒー豆のカスを利用してみることにした。

今の所、再利用出来るものでほしいと思えるものは【消臭剤】だ。

コーヒー豆の消臭剤の威力

方法は、超簡単。飲み終わったドリップコーヒーの豆をバットに広げて乾燥させ、水分を飛ばしてお茶とかだしを取る紙のパックに入れるだけ。毎日50グラムくらい出来るから、量もちょうどいい。

(消臭剤と言っても気休め程度のものでしょう)正直、ぜんぜん効果は期待していなかった。

しかし、家の中で、この消臭剤を使いたい場所は真っ先に思い浮かんだ。

 

おむつのゴミ箱だ。

我が家では、おむつの密閉できるゴミ箱がある。おむつを捨てる時には、流せるものはトイレに流して、丸めたおむつを一度ビニール袋に入れて縛ってから、そのゴミ箱に入れている。

ゴミの収集は、週に二回。

つまり家の中に留めておくのは3~4日なのだけど、夏場はこのゴミ箱がなかなか強烈。ゴミ箱を洗っても、すぐに次のおむつはやってくる。

というわけで、ゴミ箱の底に【コーヒ豆のカスの消臭剤】を忍ばせてみることにした。

数時間後。

いつもは蓋をあけると、モワッとした何かを感じていたのだけれど、特に感じなくなっていた。微かにコーヒーの匂いもする。何かの匂いでごまかしている感じではなく、吸収している感じ。

なんだよ、なんだよ。めっちゃ良いじゃないか。

それに味をしめて、ひとつひとつのおむつを入れた袋にも、塩をまくようにコーヒー豆のカスをひとつかみ入れるようになった。(これに関しては、効果は不明。気休めかもしれない)

もっと暑い時期にやっておいても良かったかもしれない。来年も(特に夏場は)必要性を感じている。

思い込みと自分ルール

私はわりと、自分ルールがある方かもしれない。〇〇は好き、〇〇は嫌い、〇〇はしない、興味ないことはしない、ピン来ないことはしない。

「これ、良いよ!」と言われても、興味外のことはふ~んと流してしまう。逆に興味のある分野のことは、「これ、良くない!」と言われても、体験してみたい。逆にそそられたりする。

つまり、偏っているのだと思う。世の中のあらゆるジャンルの物事の中から、まんべんなく、という事をしない。自分のゾーンに入っていることを中心に生きている。(こう書いてみると、それが至って普通なのかもしれないけど)

 

主婦になってみてからは、これまで排除していたことや必要ないとつっぱねてきたことも、わりと「やってみるか」と思えることがある。

そして、それが意外とおもしろい、興味が出てきた、ということもある。

自分ルールを徹底するのもいいかもしれないけど、それを飛び越えたこともたまにはいいかもしれない。

昨日、録画しておいたセブンルールと仕事の流儀を見ていたら、どっちのプロフェッショナルもこのようなことを言っていた。今回のセブンルールは【LINEのゲーム事業部の開発リーダーの女性】で、仕事の流儀は【人気ブランドディレクターの女性】だった。

「好きなもの、はなくてもいい」「興味のないことでも、一生懸命なんでもやってみる」「NOは言わない」

共通していたのは、どっちの女性も好きを追求した先にプロフェッショナルになった人ではなくて、目の前のことに真摯に向き合っていたら「社会に必要とされる人になり、それが生きがいになっていて、仕事を楽しんでいる人」だった。

私は、どちらかというと「好きなことをする」という典型的なタイプだ。人間は、自分の考えに近い方の情報を取り入れてしまいやすい。(検索にしても、流れてくる情報にしても)

だから、逆の意見というのはすごく貴重な気がした。

 

何はともあれ、効果を見くびっていたコーヒー豆の消臭剤は、なかなか良いということが分かった。おむつが取れるまで、しばらく活用させてもらおうと思っている。

コーヒー豆、やるじゃないか。ますますコーヒーが好きになったよ。ナカジマノゾミでした。

 

ちっちゃい戦友が出来た旅、東京旅行②

①の続き

下北沢の本屋さん

「まだ4時。もうちょい行ける!」そう判断した私は、もう一つ(行けたら行きたい)と思っていた場所に向かうことにした。

下北沢のB&Bという本屋さんだった。

なぜそこに行きたかったのかというと、少し前に買った本「これからの本屋読本」や、お勧めしてもらって読んだ「本の逆襲 」「本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本」の著者、内沼晋太郎さんのやっているお店だったからだ。

本屋さんにあまり興味がない人からすると【本屋さんはどこもそんなに変わらない】と思うかもしれないけれど、本屋さんってすごくいろんなタイプがある。

いろんなカフェがあるように、いろんな本屋さんがある。

ベストセラーを扱っている、大型の本屋さんばかりが本屋さんではない。そういうわけで、個性的な本屋さんとして知られているB&Bはどうしても行ってみたい場所の一つだった。

そのため、予定変更。東西線から千代田線に乗り換えることにした。東西線から千代田線に乗り換えるには、大手町という駅で乗り換えだ。1回だけの乗り換えで下北沢まで行ける。そんなに難しいことじゃない。

大手町につき、乗り換えの移動を急いだ。

よくわからなかったので、駅員さんに「エレベーターの場所」を聞き教えてもらった。少し前方には、同じくベビーカーを押した夫婦がいた。

(この後をついていけば、行けそうだな)と判断し、のんきに後ろをついて行った。発車まで、あと3分。間に合いそうだ。息子は抱っこ紐の中でスヤスヤ寝ていた。

その時、目の前に、30段くらいの下り階段が出てきた。どこを見渡してもエレベーターはない。そういえばさっき「千代田線への乗り換えは、段差があります」と、書いてあったような気がする…

いや、でも。それはさっきベビーカーを持ち上げて登った10段くらいのことだと思っていた。あれはダミーだったのか!

 

前の夫婦はどうするんだろう…?と思って見ていたら、ママが赤ちゃんを抱っこし、パパがベビーカーを持ち上げて難なく下り階段を降りて行ってしまった。

まじか。まじか。まじか。その手があったのね。

私は、今1人だ。いや、正確には2人なのだけれど。ベビーカーにてんこもりの荷物をのせて、お腹に抱っこしながらこの階段は、さすがにちょっと無理。しかし、ここで引き返すとなると、さっきふぅふぅ言いながら、ベビーカーを持ち上げて登った10段を降りることになる。結局、どっちにしても降りなくてはいけない。

オワタ\(^o^)/

その時に「ポキッ」と心の中で音がした。ような気がした。

 

このポキっという音がを聞いたのは、10年ぶりだと思う。初めて東京に1人で行った時に、新宿で迷子になった時だ。その時はスマホのマップも全然正確じゃなくて「新宿駅西口バス乗り場」からバスに乗らないといけないのに、まったくたどり着けなかったのだ。

散々迷って歩いた挙句、駅員さんに聞くことにした。「西口のバス乗り場に行きたいのですが…」その時の駅員さんは面倒くさそうに「あっちにいって聞いて」と言った。その時、何かが心の中で「ポキッ」といった。

今思えば、あの新宿駅構内を、田舎から出てきた人に口頭で伝えるのは難しすぎる、ということが分かる。だから、せめて近くまで行ってからそこにいる人に聞いた方が分かりやすいよ、という意味なのだと理解出来る。

でも、その時は、何だかすごく悲しかったのだ。「東京って本当に冷たいんだ…」と泣きたい気持ちになった。いや、実際ちょっと泣いたと思う。

その時は結局、何回もいろんな人に聞いてなんとかなった(のだと思うけど、正直あんまり覚えていない。)

 

あぁ…どうしようかな。早足にどんどん人が過ぎていく。きっとみんな急いでいるに違いない。ここで声をかけて止めてしまうのもなんだか申し訳ない。

人の流れが落ち着いたところで、離れた場所にいた駅員さんにお願いすることにした。結局、乗り換えの電車には間に合わなかった。

 

なにはともあれ、下北沢につくことが出来た。B&Bは、予想外にも地下のお店だった。ベビーカーごとお店に入る手段はなかった。仕方がない、と邪魔にならないところにベビーカーを置いていくことにした。(スミマセン…)

必死の形相で乗り継いで来た本屋さんは、それはそれは素敵なところだった。店内の本の、9割くらい見たことないタイトルの本だった。本屋さんに来たら、サーっとタイトルは眺めてそれとなく記憶に残すようにしている。だから、9割が見たことない本というのはすごいことだ。

ベストセラーや誰もが知る名作ではない本ばかりだった。もしくは、他の本屋さんでは目につかないような場所に配置されている本が、棚のメインに並んでいたのかもしれない。

なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。

 

店内を一通りじっくりと見て回りたい衝動に駆られた。何時間でもいられる気がした。

 

しかし、気持ちとは裏腹に、滞在10分でリミットがきた。抱っこ紐でくくりつけられていた息子が暴れ出したのだ。というのも、朝の8時からずーっと抱っこされているのだから、致し方ない。彼にしてみたら、正常な判断と言える。

普段は「ママ抱っこ♡」タイプの彼でも、いい加減に鬱陶しくなってきたに違いない。

「離せー!この野郎ー!」と言わんばかりに暴れている。

 

本屋さんで、これはまずい。相当まずい。

 

泣く泣く店内を後にした。そして、絶対にまた来ることを心に誓った。

 

そうと決まれば、退散!とばかりに家路に急ぐことにした。ギュウギュウの満員電車に揺られ、渋谷駅の乗り換えですこし迷い、スクランブル交差点を上から見てギョッとし、なんとか品川までたどり着いた。

怒り狂っている彼をおにぎりでなだめて、新幹線を待った。

新幹線に乗ると、ようやく解放された彼は「いやっほう!!!!!」とばかりに、今度は稀に見るハイテンションになってしまった。疲れが通り越した時におこる、ナチュラルハイというやつかもしれない。

怒り狂っているのも困るけど、ハイテンションでキャーキャー騒ぐのも車内では耐え難い。このままでは、車両にいられない。落ち着けるために、一度、新幹線の車両の接続部分に出ることにした。

とはいえ、地面に野放しにしておくこともできないし、手で抱っこしているのにも限界がある。再び抱っこ紐で抱っこするしかない。そう思って抱っこ紐に入れたのだけれど、この判断が甘かった。昨日と今日の疲れが爆発したのか、窮屈なストレス空間に逆戻りになるのを察知したのか、これまで見たことないような大惨事(大泣き)になってしまった。

…完全に、オワタ\(^o^)/

結局、眠るまで約2時間立ったまま抱っこで堪えることにした。思わず、だっこしながら何度かしゃがみこんでしまった。もう、肩も足も限界だった。

やっと寝付けた寝顔を見ながら、ようやく席に戻ってひと息ついた。

 

今回、彼にとっては何もかもが初めてだった。初めての電車。初めての新幹線。初めての人混み。初めての強制抱っこ。初めての犬とのふれあい。知らない人にこんなに会うのも初めてだった。朝食のバイキングも、バケットにカポナータをつけて食べるのも初めてだった。

 

彼は、この二日間すごく頑張ってくれた。そして、私も、すっごく頑張った!(私は自分の欲のために、だけれど。)

「う~ん」と伸びをして、再び起きた彼がなんだかたくましく見えた。

その顔を見ていたら、一緒に一つのことを成し遂げたような達成感を感じた。都会で一緒に戦った戦友のような気がした。ちっちゃい、戦友。一緒にがんばった仲間。

【かつて住んでいた場所に行く】なんていうのは、はたから見たら、旅でもなんでもないのかもしれないけど。2人で行った東京は、これまでとはまったく違った景色に見えた。

これは、間違いなく『旅』だった。

だけど、もし、また行くことがあれば、次回はぜひとも家族3人で行きたい。急に階段が出現しても、ヒョイっと持ち上げて何事もなかったような顔で進めるように。大暴れしても、交代で抱っこできるように。ビールを飲みながら、美味しいねーと言えるように。

息子との絆が深まったのと同時に、日頃の旦那さんへのありがたさが身にしみた旅だった。

 

それにしても、東京はすごい所だ。道に迷っても、心が折れても、終電に乗り遅れても【なんとかなる】ということを、いつだって教えてくれる。道に迷わなければ【迷っても大丈夫】ということを知ることはできないのだ。困難がなければ、困難を乗り越える経験は出来ないのだ。

 

そんなことを、これでもか!というほど教えてくれる東京は、やっぱりすごい。

 

終わってみれば、最高にいい旅だった。今度の東京は、戦友の彼がもう少し大きくなったときに。長々とお付き合いただきありがとうございました。ナカジマノゾミでした。

2018年09月08日 | Posted in ブログ, 子連れさんぽ, 暮らしと子育て4 Comments » 

 

ちっちゃい戦友が出来た旅、東京旅行①

そうだ、東京行こう。

そう決めたのは2週間前。横浜のカフェで働いていた時の友達、何人かと連絡を取っていた時だった。その中の1人の子が年明けには九州に行ってしまうということで、もしかしたら全員で会えるのは最後になるかもしれない、と。急に【行かなきゃ!】という気持ちが突き動かされた。

旦那さんに許可を取る前に「行くわ!」と手が勝手にメッセージを送っていた。

息子は連れて行けばいい。なんとかなる。

その時点ではさほど心配もしていなかった。授乳期間を終えた息子は、わりとなんでも食べられる。東京ならば、どこにいてもすぐに食べ物を手に入れることはできる。ベビーカーもある。困ったら助けを求めればいい。大丈夫。

と、まあ簡単に考えていた。

のちに、「ポキッ」という心が折れる音を聞くことになるとは思いもしなかった。

行きの新幹線での息子は、かなりのご機嫌だった。持ってきたおにぎりとお茶を飲んで、席で絵本をニコニコ眺め、席を通る人に手を振っていた。彼にとっては、新幹線だけではなく電車も初めての体験だ。そして、静岡あたりでストンと眠りの中へ。

(なーんだ、余裕じゃん)

品川で降りて、ホテルにチェックインし、友達と合流した。そこでもみんなにかまってもらってニコニコしていた。6人全員で集まるのは4年ぶり?とかそれくらい。みんな環境は変わっていながらも、変わらない笑顔でなんだかほっとした。

ミッション1、カフェバイトの友達に会いに行く。クリアだ。

みんなと別れて、夜ご飯を食べるために駅のあたりや近くのお店を見に行った。ベビーカーで入れるようなゆったりしたお店はなく、土曜の夜とあってどのお店も賑わっていた。東京は、いつもそうだ。なんだか、ギュギュギュっとしていて落ち着くお店を探すことが困難だ。

本当はあるのかもしれないけれど、下調べしないタイプだから見つけられない。1人の時はなんとかなっていたけど、子連れとなると話は別だ。

なんとなくどのお店も店内には入りにくいなあ〜と感じたので、通りにあったオープンテラスのイタリアンバル・デルソーレに入ることにした。

(本当はホテルの部屋でテイクアウトの食事でもよかったのだけれど、どうしても美味しいビールが1杯飲みたかった。どうしても、どうしても…)

デルソーレは食事が摂れるイメージはなく、エスプレッソを中心とするイタリア系のカフェだと思っていた。しかし、その店舗ではディナーも出していた。すごく、すごく、ほっとした。

そこの店員さんが、きっとすごく出来るバリスタさんなのだと思うのだけれど、息子にもよくしてくれた。居心地の悪さをまったく感じずに食事をすることが出来た。バリスタさんに救われた気がした。この時点で「やっぱりバリスタっていいなあ」と再確認した。

少しだけ飲んで、早めにホテルに退散し、早めに寝かしつけた後に、のんびりと持ってきた本を読んだ。すごく、リラックスできた宿泊だった。

東京旅行、二日目

今日のミッションは、まずは有楽町でお店を開いている友人に誕生日祝いを渡すこと。

朝から、しとしとと雨が降っていたため、つむつむ君は抱っこ紐で抱っこし、傘を差し、その他の荷物をベビーカーに乗せビニールカバーをかけて移動することにした。重い、が仕方がない。荷物を全部もつよりは8キロの息子の方が軽い気がした。

品川から有楽町へは山手線で1本。エレベーターを探すのにもだいぶ慣れた。

有楽町のドイツパンとコーヒーの移動しない移動カフェは、相変わらず元気に営業していた。立地は最高の場所なのだけれど、なんせお店を年中無休で営業しなければならない、という約束らしい。その場所で7年間、毎日彼女は営業していた。すごい。すごすぎる…。すごいを通り越してもはや変態だ。

でも、久しぶりの笑顔を見れて、なんだかほっとした。「来るなら言ってよ〜!」と、毎回突然来る私に苦言を呈していた。

私は、いつも友達のお店に行く時に連絡しない。もし、万が一、本人が居なくってもいいか、と思っている。もちろん会いたいし、そのために行くのだけれど。でも、会えなかったとしても、その人が元気に生きている痕跡が感じられればそれでいい。その人がいつも身を置いている空気を感じられればそれでいいのだ。

なるべく、気を使わせないように、と思ってそうしているのだけれど、自由に計画を変えられるように身軽に行きたいという自分の都合もある。約束に縛られたくない性格は、こんなところにも顔を出しているようだ。

これでミッション2、お誕生日祝いを渡す、もクリア。

 

そこから、メトロを乗り継ぎ、千葉県の行徳に向かった。ここには、1年前にカフェを開いた友達がいる。カフェニルは今回どうしても行きたかった場所の一つだ。

彼女は、カフェの専門学校のクラスメイトだった。20歳だった当時から、28歳でカフェを開く計画を立てていた。

そのために、エスプレッソの勉強をとillyで働き、フードの勉強をと別のお店にステップアップのための転職をし、新規オープンの立ち上げを経験するために幾つかのお店で働いていた。

そして、数年前から珈琲焙煎のネットショップを始め、実店舗を開いた。それも、子どもを産んで1年ほどでお店をオープンさせたのだ。なんともパワフル。

「20歳の時の彼女はカフェを開く夢を見ていて、それが叶った」わけではなかった。
「将来、カフェをしたいんだ〜」という希望を持っていたわけではなかった。

あれは「夢」ではなく「計画」だったのだ。

そのために必要な勉強やスキルを逆算して学び、コツコツと何年も前から計画を温めていた。叶った、という他力を思わせるニュアンスとは少し違う。そこに向かって進んできた。つまり、必然なのだ。

そして、お店のオープンが目的でもないはずだ。もっともっと先を見つめている。

ここに着いた時、彼女の顔を見て泣きそうになったのを、息子の顔を見て必死にごまかした。

日曜の午後、ひっきりなしにやってくるお客さんの顔を見て、愛されているお店であるということがひしひしと伝わってきた。ここに来てよかった。そう思った。

ミッション3、「1周年おめでとう!」と言いに行く。クリア。

これで今回の旅行、すべてのミッションは達成した。

このまま東京駅まで行き、帰りの新幹線に乗ればよかったものの(あれ?もしかしてもう一つ行きたいところ行けるのでは?)という心の声が聞こえてしまったために、下北沢に向かってしまっていた。我ながら、なんとも私らしい判断だった。呆れるほど私らしい判断だった。

…②に続く。

2018年09月05日 | Posted in ブログ, 子連れさんぽ, 暮らしと子育てNo Comments » 

 

【話が噛み合わない原因】具体と抽象

「具体と抽象」 著者:細谷功

久しぶりに、読んで考えさせられる本を読んだ。

人と話していて、(あれ?全然会話が噛み合わないぞ)という経験は誰にでもあるはずだ。その場合に考えられることはいくつかあるが、その中の一つとして、【具体で話す人】と【抽象で話す人】という原因が考えられる。

【抽象】とは、例えば大まかにカテゴリを分けたものの総称だ。

「マグロ」というのは「魚」というカテゴリに所属している。この場合は「魚」が【抽象】で「マグロ」が【具体】だ。【具体】はさらに細分化することが出来る。「マグロ」の中にも「キハダマグロ」や「本マグロ」などがあり、それはさらに具体的に表される。

しかし、【抽象】や【具体】は、比較の相手によって変動する。「生物」というカテゴリの中では「魚」は【具体】になる。ピラミッドのような関係だ。

抽象の世界で話す人の話は、具体の世界で話す人には通じない。逆に、具体で話す人のことは、抽象で話す人にとっては「話の論点がずれている」と感じる。

抽象は、総合的に見たり、全体像を想像しないと捉えることができない。木を見て森を見ず、とは全体を把握できずに具体のみを見ている状態だ。
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以前こんな話をしてくれた人の話を思い出した。

「部下が、指示したことをその通りしか出来ない。応用が利かない。AをA’に直して、と伝えたらそれしか出来ない。もしかしたらBはB’に直すべきなのかもしれないという発想が出来ない。」

この部下は、一つ一つの仕事を「具体」と捉えているのだろう。全体を上から把握して、仕事を総合的に見ているオーナー側からすると、「何でそんなことも想像出来ないの?」となる。

哲学などは、まさに抽象の世界。大きな枠でざっくりと定義した言葉で表す。

「〇〇の場合は当てはまらないんじゃないんですか?」と具体例を出してくる人は、ざっくりとしたイメージが湧かず、具体的なパターンでしか捉えられないということなのだろう。

抽象で捉えることが得意な人は、仕事の方針など、大きな矢印を創ることに向いているという。具体で捉えることが得意な人は、数や数値が決められた作業などが向いているようだ。

マニュアル化、というと【具体派】の人にとっては仕事がしやすいのかもしれない。この場合はこうする、この場合はこうする、というのが逐一決められている状態。

【抽象派】の人にとっては、本質的な方向だけが定められている仕事の方が能力を発揮出来るのではないかと思う。

接客で言えば、マニュアルがなくても、例えば「お客さんの喜びを一番に考えるという理念」などをきちんと理解していれば、その時々でベストの対応をする「おもてなし」ということにつながる。

**************

【抽象】は、人間のみが把握することが出来る概念なのだそうだ。

抽象で捉える力を持つことは、生きやすさにつながるのかもしれない。そして(話が噛み合わない)と思った相手がいたら、自分とは別の視点で物事を視ている人がいるということを知っておくと、余計な苛立たしさやもどかしさを感じずに済むのではないか、と思う。

なんだか話の噛み合わない人がいる、と思ったら読んでみると面白いかもしれないです。

2018年08月30日 | Posted in おすすめの本, ブログ, 価値観を考える本9 Comments » 

 

セロリの筋が教えてくれること

 

セロリが好きです

 

でも、なんだか料理のレパートリーがあんまりなくて、たまーにしか買いません。炒め物にするか、ディップするか、サラダに入れるか、漬物にするか。あの独特の風味はもっと何かに使えそうなんだけどなあ…

そんなわけで先日久しぶりに足助のスーパーパレットでセロリを買いました。

洗って、筋を取って、、、と思ったのに、どう見ても筋が見当たらない。

よーく見てみると、筋を取ってあるような跡がある。試しに食べてみると、丁寧に全ての筋が取り除かれていました。
 

セロリには筋がある

 

「セロリには、筋があるからね、口に残らないように、根元の方から包丁を入れてすーっと引っ張って筋を取るという下処理が必要なの。」

何にも料理ができなかった私に、昔働いていたカフェのキッチンで、セロリ好きのオーナーが教えてくれたこと。

どのお店でセロリを買っても、当たり前のようにあるセロリの筋。

それが、このセロリには無い。

もし、お店が意図的に筋を取ってくれているとしたら、なんて優しいのだろう。だって、セロリですよ。キャベツでもレタスでもなく、どどーんと食卓の上でアピールするわけでも無いセロリ。そのセロリの筋を取って、売っているとしたら。

お客さんの身になって考えないと、こういう発想にはならないような気がする。

この足助のスーパー。前から大好きなのだけれど、より好きになったような気がした。

たかが、セロリの筋。でも、そいういう細かいところだからこそ、感動する。値段でもなく、お洒落さでもなく、気の利いた一言でもなく。そんな武器がなくても、人をファンにすることが出来るのかもしれない。すごい。
 

丁寧な仕事が愛される

 

この前、イベントでキッチンカーのバインミーを買った。

スピードが勝負でもあるイベントの日のキッチンカー。ある程度作り置きしたり、途中まで仕上げていたりするお店が多い中、一から(パンに切れ目を入れるところから)その場で作ってくれた。

もう。それが美味しくて美味しくて。

オーナーさんは「まだ始めたばっかりで要領が悪くて。時間がかかっちゃって申し訳ない」と言っていたけれど、それを待つのって全然苦じゃない。むしろ、ポンポン出てくるより、その時間も愛おしい気がする。

 

他のお客さんの注文を見ていたら、梨ジュースはその場で梨を剥いていた。す、すごい。私だったらビビって、ある程度の個数は剥いておいてしまうと思う。それはお客さんのためという名の、自分のためだ。早く提供することをお客さんのためだと最優先するのか、一つ一つもっとも新鮮な状態で提供することをお客さんのためだと最優先するのかは、オーナーの考え方が求められるところだけど。早く提供したい、には自己保身も含まれるのだと思う。

目の前でコーヒーを淹れてもらうのが、たまらなく嬉しいように。目の前で自分の分を調理してくれるというのは、やっぱり嬉しい。そして美味しさは倍増する。(視覚的効果も関係あるのかもしれない)

丁寧な仕事は、愛される。

丁寧な仕事というのは、礼儀正しくうやうやしく仰々しい、とは別物だ。堅すぎる敬語と、過剰すぎる梱包はちょっと似ている。大きな組織ほど、この辺りの調整が苦手な気がする。画一的に全てを丁寧に丁重に慎重にするのは、その場の空気感の魅力を殺しかねない。

大切なことは丁寧に。力を抜いていいところは、適当に。それくらいがちょうどいい。

セロリから、そんなことを学んだ1日。スーパーから学ぶことも、結構あるのかもしれない。只今、絶賛主婦満喫中。ナカジマノゾミでした。

 

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