共通の敵を作りたがる心理
反対車線の対向車にパッシング
道を走っていて、反対車線の車にパッシングされたことってありますか?これって「この先で、スピード違反取り締まってるから気をつけて!」と言う親切心だったんですね。
家の近くの道路で、速度超過の取り締まりをしていることがあります。遭遇するのは数ヶ月に一度。何度となく遭遇しているので、自分の中では要注意ポイントと心得ています。(そんなこと心得なくても、日頃から交通ルールには気をつけなければならないのですが)
で、その近くで何度かパッシングされたことがあって、その意味を知らない時は(どうしたのかな〜、私、昼なのにライトつけっぱなしだったかな?)くらいに思っていました。
でも、その意味を知ってから、なんだかこのパッシングの行動がお茶目で可愛く思えてきました。
このパッシング、警察からしたら違反者が少なくなるからがいいのか、せっかく取り締まっているのに捕まえられなくて良くないのか…は、賛否両論なので置いておいて。教えてもらった側は、正直助かります。
これって、小学校の時にいたずらして、先生に怒られないようにみんなで示し合わせる、みたいな感覚に似てません?
教えた側は、特に「いいこと」があるわけではないし、一瞬だからお礼を言われるわけではないけど「取り締まりしてたから、気をつけてね(ウィンク)」みたいな。お茶目さを感じてしまいます。
なんていうか、ちょっと好き。
いいことがあるわけじゃないのに、親切にも教えてくれるのは「共通の敵」を作る時の心理にも似ているのかもしれません。
ここで言う共通の敵とは、警察のこと。個人的には、警察は嫌いではないのですが(移動販売の時に、目の前が交番で親切で好きな警察官のおじちゃんがたくさんいた)さすがに取り締まりはあんまり好きじゃないです。なぜかドキッとしちゃうから、心臓に悪い。
で、ドライバーにとっては取り締まりは「共通の敵」のような存在になってしまうわけです。
先生に見つからないようにいたずらするのが楽しいように、あのパッシングは個人的には他のドライバーとのコミュニケーションに感じます。(むやみにパッシングするのは、交通法違反になるそうなので、本当はしないほうがいいみたいですけどね)
共通の敵を作ると、団結する説
団体をまとめたいと思った時に、団結させる方法は2つ。一つは、明確な志を掲げて、共通の意識をもたせて、まとめる方法。もう一つは、共通の敵を作って、その標的にヤイヤイ言ってまとめる方法。
手っ取り早いのは、共通の敵を作る方法なのかもしれないですね。だから、自らその役をかって出る上司や店長もいる。私も昔いたバイト先では、そんな傾向がありました。確かに、共通の敵がいることによってすごく団結するんですよね。でもそれは、必ずしもいい雰囲気とは限らない。そして、その団結は案外もろい。
いじめっ子の構図だと、自分が「共通の敵」にならないように、みんな必死になってターゲットを作る。そして、それが繰り返される。
大人の場合だと。自分が「共通の敵」にならないように、本来力を入れなくてもいいようなところに意識をむけちゃって、いいパフォーマンスができなくなるなんてこともあるかもしれません。
わかりやすいのは「〇〇反対デモ」
ああいう時の「共通の敵」に対するパワーはすさまじいものがあります。各々が自分を正義だと思っている時には、なおさら。共通の敵を作って、集団を統率するのが上手い人は、歴史上では大きな勢力を持っていたし、国家ですらこの力を利用するときもある。
必要以上の風評や世間のバッシングも、こんなところがあるのかもしれないですね。
これって行き過ぎれば、「共通の敵」にされた人は、とんでもない被害を受けることになります。元は自分に非があったとしても、そこまでコテンパンにするのはどうなのかなって思います。
お茶目なパッシングの話から大きく飛躍してしまいましたが、人間の心理って昔から根本は変わっていないのかもしれないですね。集団の心理や、個人の心理、深層心理、こういうのに実は興味があります。人間って、とことん面白い。
そういうわけで、ちょっと図書館に行ってきます。今日も良い1日を。ナカジマノゾミでした。
おはようございます!
そうなんですよ!昔からよく助けられてます!
いや、もちろん交通ルールは守っていますけど・・・
おかげで免許証はゴールドです!!