出来ないのは、思い込みだった話
小学校から仲のいい地元の友達が、はるばる山の中へ遊びに来てくれました
元はみんな知立市民。「知立大好き!ずっと住む!」と言いながら、今は誰一人住んでいないという4人組です。
上は小学生から、下は0歳まで。つむつむ君を入れて子どもが7人になったのですが、全員男の子ということで、いつも集まるとワチャワチャ!です。
今回は、うちの庭で虫取り大会が行われていました。
その間、ママ達はコーヒー飲んでのんびり。近況を話したり、子どもの話をしたり。こういう時間、大切。
基準を変えれば「出来ない」から「出来る」へ
そこでつむつむ君の成長の話になって、「寝返りはするけど、おすわりはまだ出来ないんだよね〜」と話していました。
でも、そのあと席を外して戻ってきた時に、保育士さんの友達が「これ、おすわり出来てるよ?これで完成形だよー」と教えてくれました。まだ1、2分でごろんと倒れてしまってもそれでOKなのだそう。
私的には、グラグラするからまだ出来ていないと思っていたおすわり。一人でずっとそのままの状態で倒れないのが完成だと思っていたおすわり。
私が勝手に「まだ出来ない、出来ていない」と思っていただけで、「出来て」いました。
ちょっと基準を変えるだけで、「出来ない」は簡単に「出来る」になる。状態は一緒。だとしたら「出来る」という言葉をかけてあげたい。子どもにも、自分でも。
逆さまにしたら、「出来た」こと
もうひとつ、つむつむ君の練習していることがありました。それはストローで飲み物を飲むこと。
今は便利なグッツが売っていて、すぐに出来る様になるストローマグを買いました。それでも、どうしても飲めない。ストローをくわえるのが怖いのかな?とも思いましたが、ストローを逆さまにしたらすぐに飲めました。どうやらシリコンのストローが嫌だったようです。(反対側はプラスチック)
「出来ない」と「出来る」は紙一重のこともあるようです。
つむつむ君をみていると、本当におもしろいです。
寝返りして、戻れなくて、そのうち泣けてきちゃう。戻しても、戻しても、うつぶせになっちゃって、結局泣けてきちゃう。そんなに泣けてきちゃうなら、うつぶせにならなきゃいいのに、って親からしたら思うのだけど…身体が勝手に動いちゃうようです。
頭で考えるのではなく、身体が勝手に動いちゃう。そうやって体力がついて、いつの間にかいろんなことが出来る様になるのかもしれないですね。成長しよう、成長しよう、なんて思わなくても気付いたら成長している。
大人になって「成長しよう」と思わないと成長できないときには、苦しさが伴う。「成長しよう」と思わなくても成長しちゃうときには、楽しさが伴う。つむつむ君の寝返りも、楽しさが伴っているかもしれないです。だとしたら、いいな。
今日は、どれくらい寝返りするのかな。どれくらいひっくり返せるのかな。楽しみです。ナカジマノゾミでした。
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