足し算の人生と引き算の人生
足りないものを補おうとして、手に入れる人生。
すでに在るものを、手放していく人生。
足し算の人生は、所有することで安心感を得ている。
引き算の人生は、手放すことで軽やかな心を手に入れる。
昔は足し算の人生が主流だったのに対し、今は引き算の人生を選択する人も多い。
所有することで安心感を得ていたはずが、所有することで不必要な執着心を得てしまい、不必要な不安や恐怖まで得てしまうことに気付いかたらだ。
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得ていくのは、モノだけでなく、仕事や地位、資格や資産、家族や恋人。「あれがあったら、いいな」と思うモノ全て。
足し算の人生と引き算の人生で、何が違うのかというと、そもそものベースの前提が違う。
足し算の人生は「足りない、満たされていない、不十分」から始まる。
引き算の人生は「足りている、満たされている、十分」から始まる。
不満がベースか、満足がベースか。
日常の幸福感に差が出るのは一目瞭然だ。
ただし「手に入れたい」という欲望は、向上心や発展につながり、社会には大きく貢献しているとも言える。今の日本があるのは、足して足して足していったから、だ。
一人の人間の中にも、分野によってどっちの考え方も入り混じっている。
足したい部分と、引きたい部分。そのバランスが合う人を、価値観が合う人というのかもしれない。
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赤ちゃんを見ていると、何にも持っていない裸の状態でも、みんなに愛されていることに気付く。何にもない、何にも出来ない。いや、泣くことと、飲むことと、たまにニンマリすること、うんちをすること、そんなところ。
それでも、みんなを笑顔にすることができるし、幸福感を与えることもできる。
「何にもない」ということは「何でも出来る」という可能性を持っているということだ。
ぎゅっと握った手の中には、何を掴んでいるのかな。
夢と希望かな?可能性かな?そう思ってそーっと開いてみたら、ホコリをたくさん握っていました。
あちゃ〜。ママ。おお掃除、がんばるね^^;
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コメント4件
どんなにきれいに掃除しても
ぎゅっと握った手にはホコリはたまるんでしょうね。
「周りの人間の頑張りには限界はある」
「目に見えないものでも、
少しずつ積み重ねると形になる」
まぁ、でも掃除は手を抜かないで(笑)
のんちゃん、おはよー。
今朝も哲学から入って、日常の小さな場面にもっていって、きちんとオチ “うんちとホコリ” をつける文脈と文体が好きです。
さあさあ、のんちゃんのエッセイ本が出版されるとしたら、今日のは第何章なんでしょうかね?(^ー^* )フフ♪