幸せとは、目の前にあるものに気付くこと

Pocket

いつもおもしろい質問をしてくれるお客さんがいます。

ちょっと前は、この質問「ところで、のんちゃんの夢はなに?」

************

今週は、こんな質問をしてくれた。

「幸せって何?」

それに答えるために、いつものカップスリーブにこう書いて渡した。

《「今」に気付くこと。》

すると、その方は、首をかしげた。

次の日、また同じお客さんが来てくれた。

そして、また同じ質問をした。

「幸せって、何?」

その日は、こう書いて渡した。

《私には、あなたの質問を聞くことが出来る耳がある。あなたの質問を考えられる頭がある。あなたの質問に答えられる口がある。私は今日、生きている。だから、私は幸せです。》

それを読んで、今度はうんうんと頷いていた。

***********

《幸せってなんだろう?》

もう、これは生まれてから死ぬまでそれぞれの人間の、永遠のテーマなのかもしれない。

***********

今から7年くらい前。

上京して間もない時。

一度だけ、牛丼屋さんのすき家で、ポロポロと泣いたことがある。

なんで牛丼屋さんで泣いてしまったのか。

牛丼しか食べられないなんて、情けなかったから?
悔しくて、悲しくて、絶対成功してやろうって思ったから?

違います。

牛丼が、美味しすぎて、感動して泣きました。笑

**********

上京したてのときは、バイトも決めずに行ってしまったから、最初の方はめちゃくちゃお金がなかった。

カフェのバイトも、何十個も落ちまくっていて、どんどんお金はなくなる。なので、いつもパンの耳と、もやしを食べていました。笑

実家から送ってくれたお米や缶詰や、おばあちゃんがたまに送ってくれる食べ物、その荷物の中の封筒に隠した、少しのお金。

荷物が届くたびに、家族の優しさに泣いていました。

それまで、牛丼なんて全然好きじゃなくて、なんとなくカロリーも高そうだし、どっちかといったらなるべく避けていた食べ物。

***********

それでも、やっぱりたまにはお肉が食べたい!ということで、その時ルームシェアしてた友達と2人で意を決してすき家に行きました。

いつも、食べたくも無いと思っていた牛丼。
それを食べながら、ポロポロと泣いていました。

(牛丼ってこんなに美味しかったっけ。。)

その後、カフェのバイトも始まって、学校も始まって、もうそんなに貧乏なわけではなくなったのだけど、、、、

あの時の牛丼は、一生忘れない。

最高に美味しかった。

そして、あの時の、あの時間は、確かに幸せだった。

**********

私が《幸せ》に敏感になったのは、この時に一緒に上京してルームシェアしていた友達の影響が、とても大きいと思う。

ちーちゃんは、どんな小さなことでも、いつも幸せを感じていた。

外に出て、「うわ!今日、暖かいねー!幸せだねー♪」

ビールを一口飲んで「最高に美味しいね!幸せだねー♪」

レストランに行って、料理を食べながら「幸せすぎて、ひと口食べるごとに切なくなる」
※ひと口食べると、ひと口分この美味しい料理が減ってしまうのが悲しい、という意味らしい。

と、とにかく、なんでもかんでも幸せがっていた。

目の前に《ある》ものを、いつも見ていた。

そんなちーちゃんを見ていると、こっちまで幸せになってくる。幸せは、連鎖するのだ。

**********

もし、自分は全然幸せじゃないな〜と思う人がいたら、ぜひ気付いてほしい。

この、ブログを見てくれているということは、きっとあなたは目が見える。それは、幸せじゃないですか?

きっと、ネットを出来る環境がある。それは、幸せじゃないですか?

今日、帰る場所があるとしたら、それは幸せじゃないですか?

誰かを(心の中でだとしても)想えるのであれば、それは幸せじゃないですか?

守るべき人がいるとしたら、それは幸せじゃないですか?

誰かのために、何かを出来る仕事があるのであれば、それは幸せじゃないですか?

一日の終わりに「今日も頑張ったな〜」と温かいお風呂に入れるのであれば、それは幸せじゃないですか?

***********

無いものを数える人生は、どれだけお金があっても、地位があっても、権力があっても、幸せではない、のかもしれない。

満たされないのかもしれない。

いま、目の前にあるものを数えられる人生は、お金がなくても、地位がなくても、権力がなくても、それは幸せ、なのかもしれない。

もうすでに、満たされているのかもしれない。

**********

幸せとは、なるものでもなく、目指すものでもなく、憧れるものでもなく、いま目の前に《ある》ものに気付くこと。

当たり前のように存在しているものがなくなった時に、大切さに気付くのであるならば、当たり前のように存在しているものがあるうちに、少しだけ気付く。気付こうとする。

それはもう、幸せでの第一歩なのかもしれない。

*********

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

ソーシャル
2017年01月22日 | Posted in NONのこと, ブログ, 生きるシアワセ | | 10 Comments » 

関連記事

コメント10件

  • シゲちゃん より:

    おもろいねぇ、禅問答みたく
    で、私も幸せです。
    たまに、
    車飛ばして豊田市駅前に行って、
    コインパーキングに車を止めて、
    てくてく、いそいそ歩いて、
    Cafebus Nonの
    ノンちゃんに会い行ける。(๑❛ᴗ❛๑)
    それでも、生活に、家族に、仕事に
    困っていない。
    (^ー^* )フフ♪

    • non より:

      シゲちゃんさん

      禅問答、笑

      そうかもしれないです。

      もうすでに、何でも持っている。
      無いもの以外、すべて有る。
      そのことに気付いたら、気持ちが軽くなります♪

      今日も、今日が迎えられたことが幸せです*

  • SANA@ より:

    心屋さんがブログで言ってた言葉を思い出しました。

    「しあわせは
    あなたが迎えに来てくれるのを
    ずっと横で待っている。」

    私はその言葉がとても腑に落ちて。

    いつもそこにある、そこにいる。
    私達はそれに気づくだけなんだなぁって。

    • non より:

      SANA@さん

      うんうん、心屋さんの言ってる意味、すごくわかります。
      本当はずっと隣りにいるのに、どこか遠くに有るかのような錯覚になっているのかもしれないです。

      自分探しとかも、きっと同じなのかもしれないですね♪

  • KT より:

    のんちゃん、おはよ。
    「幸せとは?」
    色々あるよね?目先の幸せや将来の幸せとか。
    その時、自分がどちらを選ぶかは自由だけど。

    じゃ、何が人を幸せにするのか?
    僕は人付き合い(人間関係)だと思います。
    皆んなから好かれていたり、周りの人達と暖かな人間関係を築けているならば、「幸せ」を感じながら生活していくことができると思う。

    のんちゃんの友達ではないけど、
    「幸せとは、モノではなく湧き上がってくる感情である」何かの本で学びました。

    自分が幸せでいることで「笑顔、思いやり、優しさ、愛情」などを振りまきつつ、幸せのお裾分けをしながら生きていく。そんな人生を送れたら本当に幸せ。

    のんちゃんの幸せは、一杯の珈琲を通じ、お客様に「幸せ」をお裾分けしているんだね。
    いつも、カップを受け取ったときに感じています*ˊᵕˋ)੭

    • non より:

      KTさん

      自分の幸せに気付けて、初めて誰かに純粋に幸せのおすそ分けをしたいと思えるのかもしれないですね。

      コーヒーを通じて、それを感じてもらえているのであれば、
      この上ない幸せです♪

  • ネドベド より:

    こんにちは、mail読んでるとnonちゃんの年齢を気にしてしまうのは自分だけかな?今回のblogは為になります。何かあったら時に読み返しさせて貰いますね!( ̄- ̄)ゞ
    来週ぐらいに行けたらdrink飲みに行きますね(^-^)/

    • non より:

      ネドベドさん

      ふふふ笑
      いくつでしょう♪

      ギリギリ平成生まれであります♪

      ありがとうございます♪
      そう言ってもらえると、とてつもなく嬉しいです♪

      また、、、♪

  • dra-matic-irony より:

    先日は、本当にありがとうございました。
    なのですが・・・・

    「未来のために今がある」と 言われても僕は信じないよ
    だって今のこの僕は 昨日の僕の未来
    「現状(いま)に甘んずること勿れ」と 言われても僕は笑えないよ
    だって今のこの僕が 誰かの夢見る未来
    叶えたい夢ばかり数えて 叶えた夢は泣きながら きっとどこかへ

    Form RADWIMPS 夢番地

    完全な醜さで自分を超えていけるなら何度でも泥を纏おう
    不完全な瞬きで綺麗なもの以外全てを消すのならこの眼を捨てよう

    From 鬼束ちひろ Castle・imitation

    上に書いたような曲の歌詞がリフレインするように
    「こんな自分の目は抉り、鼓膜を破り、舌を切り落としたい」程に
    ますます情緒不安定で幸福とは無縁と感じている今の私には
    nonさんの今回のブログは(今回のブログも?)も激痛でございます。

    と、nonさんが
    「私はこう思う。という一つの考えをブログで書いていて、
    別に反論とか、それはそれで構わない。」といった旨の事も言っていたので、
    ここに来る人達らしからぬネガティブコメをしてみるテスト(苦笑)

    最近野暮用やら外に出る気力も出ないやらで
    ご無沙汰してしまっていますし、こんなダークサイドに落ちた自分を
    少しでも浄化すべく、また珈琲頂きにお邪魔しますね。

    • non より:

      dra-matic-ironyさん

      おお!この感じ、まさにdra-matic-ironyさんって感じで、ありがとうございます笑

      ひとつ言えるのが、私は自分と違う考え方を、《反論》とはとらえてないですよ♪
      私の意見がA案だとしたら、dra-matic-ironyさんの案をB案、そしてC案、D案、といくつも出てくるはずなんです。
      そして、正解を決める必要もない。
      ただ、自分にピッタリなのをチョイスしましょう♪ってなぐらいです^^

      そうそう。昨日の服も、とっても素敵でした♪
      陰ながら、そっと応援しています。

      みんな味方です。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です