なぜ、本屋さんで働きたいのか
前回は、嬉しさのあまり浮かれた記事を書いてしまった。ので、今回はちゃんと書きます。
本屋さんの記憶
読書家、というわけではないのだけれど、本が好きだ。
いつからだろう?小学生か中学生の時に、家にあった桐野夏生さんの「OUT」という小説を何度も何度も繰り返し読んでいた。「OUT」は、バラバラ殺人を決行する主婦たちの話だ。お風呂場で死体を解体するという、ショッキングな内容の話だったのだけれど、怖いもの見たさで何度も読んでいた。してはいけないような事をしているような、背徳感があったのかもしれない。それが、【本】に対する一番古い記憶だ。
【本屋さん】に対する記憶といえば、小学生の時に駅前にあった本屋さんの記憶だ。学校から帰ってくると自転車に乗って、立ち読みをしに行く。1人のときもあれば、友達と一緒だった日もあった。ほとんどいつも立ち読みだけ。今考えれば、あんな小さい店で数時間も立ち読みして、何も買わずに店を出るなんてことが良く出来たなあと思う。
当時、駅前には2つの本屋さんがあった。どっちも、個人の小さなお店で、交差点を挟んで反対側に位置していた。ひとつはタバコ屋さんがくっついているおばあちゃんの本屋さん。私がいつも行く方は、もうひとつのおじちゃんの本屋さん。なんでそっちのお店に行っていたのかというと、漫画が多かったのと、明るくて立ち読みしやすくて、居心地が良かった。外からの光がよく入る白い店内ということもあったけれど、蛍光灯の色味がかなり白かった記憶がある。
おばあちゃんの方は、立ち読みしているとハタキをかけられそうな空気を感じていたのに対し、おじちゃんはそんな空気を出さずにいつもレジでなにか仕事をしていた。とにかく、居心地が良かった。
上京して、実家を離れて、何年か経ってから駅前を通った時。おばあちゃんの本屋さんはあったのに、おじちゃんの本屋さんは無くなっていた。立ち読みばっかりしている子どもが多かったから‥と思うと、心が痛い。駅前再開発の関係で無くなってしまったのだ、と信じている。
本に、救われる
読まなくては!と思ったこともないし、記録をつけているわけではないのだけれど、人生の節目、節目ではよく本を読んでいる気がする。
なにか選択を迫られているときや、漠然ともやもやしているとき。違和感を感じることがあったときや、強烈に引っかかるワードを得た時。
それから、背中を押して欲しいときに、自ら望んでいるような内容が書かれているような本を選び「やっぱり、そうだよね!」と、自分の都合のいいように解釈したりすることもある。それはもはや、誘導尋問のようなものだ。
自分の考えと似ていると思った著者の本を選んでしまうのも、自分を肯定したいからという理由が根底にあるような気がする。自分が思っていることを、作家さんや先生と呼ばれるような人も考えている、というのは妙に心強い。
【自分が考えていることは、あながち間違っていないのかもしれない】そう思えることは、自己肯定感を格段に高めてくれた。
自分で自分の事を認めた上で、自分とは違うタイプの人の本を読むと、これはまた新鮮で面白かったりする。
コーヒーのことを勉強しながら、茶道の本を読んだりするのも面白い。似ている部分や、それが誕生した国の背景からの違いを知ることで、より深く腑に落ちたりする。
時には、涙をながしながら。時には、苦しいほど心を握りつぶされながら。本の中の言葉に、助けられてきた。
本屋さんで働いてみたい
本屋さんで働くということは、本屋さんの中にいられるということ。遊園地以上にエンターテイメントだと思っていた場所に、身を置けるというワクワク感。これはカフェの時にも感じていたけれど、純粋にその空気が好きなのだから、おそらく楽しい。
そして、新しい本や、知らなかった本を出会える可能性は格段に増える。売れ筋を知って、人が何に興味があるかの傾向もわかるかもしれない。本を手にとってタイトルを眺めるのだって、仕事しながら出来るなんて、ある意味すごい。(あ、でもテキパキやんないといけないんだよね、きっと)
なにより、一番は【本の裏側を知りたい】
年々、厳しい厳しいといわれている業界。現場の作業もなかなか大変そうな気がする。本は重いから、労力もかかる。そして、取次からの委託制度や返品制度というのも、実際にはどんな規模で行われているのか、毎日新刊はどれくらい出ているのか。返品された本は、どこに行くのか。
それから、わくわくする本屋さんの棚と普通の本屋さんの棚は、なぜぜんぜん違うのか。どうやって選んでいるのか、並べているのか。利益率が低い本という商品で利益を出していくアイディアなど、裏側から見てみたい。
衰退している業界かもしれないけれど、絶対に無くなってはいけない。それが本屋さんだ。
私にとって、コーヒーのお供は本なのだ。その本の事を知りたいと思うのは、ごくごく自然なことだ。ここまで書いて、面接落ちたら笑おう。それはもはや、ネタである。ナカジマノゾミでした。
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