今日、今、するべきこと
突然の、訃報が届いた。
移動カフェのときに、4年間、毎日、朝一番に寄ってくれていた、お客さんが亡くなった。
一番最初にお店を開けた日から、毎日のように顔を出してくれていた人。
いつもポッケの中には飴が入っていて、毎日ひとつ、くれるのだ。冬は、飴の代わりにホッカイロをくれた。ときには、お昼ご飯を買ってきてくれた。「今日は、美味しいパン買ってきたよ~」と言って、サンドイッチを買ってきてくれた。「これ、好きでしょ」と、手羽先を帰りに持たせてくれることもあった。
旅行に行ってきたときには、ビールのお供を山のように買ってきてくれた。
定年されてからも、健康はとても気を遣って、筋トレとお散歩を欠かさなかった人。
70歳近くでもピンピンしていて、シャキッと背筋の伸びた人。
「nonが定休日の日は、お散歩の楽しみがなくて寂しいな~」と言ってくれる人。
テレビで見た、健康法をメモして教えてくれる人。
そのお客さんには、とても良くしてもらっていたのに、、、わだかまりが残ったままになっていた。
私が移動カフェを辞めるとき。別のお客さんが企画してくれた送別会に、呼ばれていない!とか、なんだかんだのいざこざがあり、なんとなく気まずいまま私は移動カフェを引退してしまっていた。
もしかしたら、気分を害してしまったかもしれないなあ。申し訳ないなあ…そう思いながら、その後もお見かけすることも、連絡をすることもないままになっていた。
もう2年近くお会いすることもなかったのだけれど、1ヶ月前、運転していたら、たまたま交差点でその方が歩いているのを見かけた。
いつもだったら、かつてのお客さんに街で会ったときは、思わず「◯◯さ~ん!!お久しぶりですー!」と、駆け寄ってしまうのが、私の常だ。
でも、その時は…
なんとなく気まずいままになってしまっていたのが引っかかっていて、窓を開けて挨拶することが出来なかった。
あの時に、声をかけていたら。こんなわだかまりを残すこともなかったかもしれない。
でも、もう、後悔しても遅い。
「いつか謝れる」「今度お礼を言おう」と思っても、また会える保証なんてないのだ。
Iさんが、そのことを改めて教えてくれたような気がする。
明日死ぬとしたら
最近、考えることがある。
もし、明日死ぬとしたら、私はなにをするだろう。何を手に入れても、死んでしまったら意味がない。美味しいものを食べたって、好きなところに旅行したって、お金を使い果たしたって、墓場には持っていけないのだ。
そう思った時に、するべきことはたった一つなのかもしれない。
愛する人に、愛していることを伝えること。
感謝している人に、ありがとうと伝えること。
謝らなきゃいけない人に、ごめんなさいと伝えること。
今だったら、1歳の息子の記憶には自分は残らないことになる。私という人間は、いなかったことになってしまう。だからせめて、私という人を思い出せなくても【僕のことをとても愛してくれた人がいた】という事実だけは、残したい。
残るほどに、伝えたい。
だとしたら。それは「死ぬ時にすること」ではなく。
今日、今すぐにするべきこと、なのかもしれない。
Iさんがいつも買ってきてくれたフィッシュサンド、大好きでした。手羽先の唐揚げも、大好きでした。毎日おはようと声をかけてくれるのが、大好きでした。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
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