「困らない」という困った現象

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最近、困っていますか?

昨日、本を読んでいたらこんな言葉に出会った。

昨今、日常生活の中で「困らない」ということが当たり前になっている。しかし、手っ取り早く思える「困らない」という状況は、人生という大きな枠の中では本当は遠回りなのではないか?

困らないというのは、例えば、道に迷わないということ。今はスマホのナビを設定すれば、初めての場所であろうと大抵の場所に行くことができる。誰にも道を聞かなくても、1人で行くことができる。

そして、分からないことは誰かに聞かなくても自分で調べられる。インターネットを開いて打ち込めば、ほとんどの知識を得ることができる。やったことがないことでも、手順や方法は書いてあるし、説明書は検索したら出てくる。

それから、待ち合わせで会えずにすれ違うこともほとんどない。時間と場所を正確に決めなくても、友達と会うことができる。「今からそこ行くね!」で、いいのだ。

今現在、生活していて困ることってほとんどの人が無いような気がする。少なからず、私はほとんど無い。どんなものが必要なのか、欲しいものがどこに売っているのか、すぐにわかるのが今の時代。なんなら、自宅にいながら手に入れることができる。

企業や誰かが、困っていることを解決しようとしてくれて、世界が進歩していった結果のことではあるのだけれど。困らない世界になった結果、その場限りの情報や知識ばかりが増え、たくさんのことを知っているつもりになってしまった。

そして、身になる知恵や失敗するという経験は著しく減ってしまった。

クックパッド様様

料理を考えるのが面倒な時、とりあえず冷蔵庫にあるものをクックパッドに入力する。そうすると、これなら出来そうという料理がいくつか出てくる。それを、レシピを見ながらそのまま調理する。

当然、恐ろしく不味いということは無い。失敗することはほとんど無い。でも、これって「私が料理をできるようになっている」わけでは無い。

今の時代、インターネットさえあれば「料理ができない人」はほとんどいないのかもしれない。ただ、それで出来る気になってしまって「今度の時も、また調べればいいや」と、何も学ばずに何も得ないということは「料理が美味しくできる人になる」という結果には遠回りなはずだ。

考えてみたら、今は料理で失敗するということがほとんどない。(あ、焦がしたりは、今でもあるか)

タイヤ交換で困ったこと

一昨年、まだ山の中の我が家が圏外でWi-Fiつながっていない頃。朝起きたら、移動販売車のタイヤが2本パンクしていたことがあった。

旦那さんもいない。交換の仕方がわからない。でも、交換しなければ約束の場所に行けない。電波がないから電話もネットも繋がらない。「行けない」と言うことも伝えられない。

そういうわけで、何の知識も得ないまま、車のタイヤ交換を試みた。とにかく、やってみよう。もしかしたら出来るかも…

 

そんな気持ちで始めたタイヤ交換。だが、当然、うまくいかない。車屋さんで整備士さんが楽々やっているのを眺めているだけでは、どれくらいの力が必要なのかと言うことや、ジャッキをどこにどう挟めばいいのか?知っているようで知らなかったのだ。

戻すに戻せなくなってしまい、結局旦那さんの帰宅を待つことにした。約束に行けないという連絡を入れるために、電波のある山の下まで自転車で降りて行った。

あれは、明らかに失敗だった。そしてあの時の私は、間違いなく困っていた。

後日「タイヤ交換をしてみたけど、出来なかった」ということをブログにあげたら「タイヤは、分からないまま触らないほうがいい」という、ものすごく大切で最もなことをたくさんの人が教えてくれた。

この失敗で学んだことは【タイヤ交換は、私が思っていたよりも力が必要だから、近くの人に頼むなり、家族の帰りを待つなりした方がいい場合が多い】ということ。【見たことある・知っている、と、やったことあるは、大きく違う】ということ。そして【災害や万が一のために、インターネットを早急にひいた方がいい】ということ。

そして副産物として【自転車で山道を下るのはものすごく爽快】だということを知ることが出来た。【下るのは最高だけれど、帰り道は地獄のようにキツイ】ということと共に。

 

もし、困ったことが一瞬で解決出来ていたのなら。JAFにすぐに電話することが出来たなら。これらの体験や実感は、しなかったということになる。困ったことが起こるということは、いろんなことを体感出来る可能性を秘めている。

経営者の人や、日々変化の激しい仕事をしている人が精神的に強いのは「困ったこと」に対処してきた回数が、人よりも多いからではないかと思う。こういう時は、こうすれば大丈夫だったという過去のデータが体に刻まれているから、慌てることが少ない。困難を乗り越えた経験の分だけ、人間としての余裕がある。

困ったことは、ついつい避けたくなってしまうけど、本当は困ったことは、生きていく上で大切なことなのかもしれない。

今後、便利が増え、ますます困ったことが少なくなるかもしれない。そうなった時、一番困るのは、実は私たちなのかもしれない。

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著者:松浦弥太郎

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