感謝は幸せになるための道具じゃない①
Facebookやブログを見ているとよく出てくる『感謝。ありがとう』という言葉。
私もよく使うし一般的に『いい言葉』として認識されている。
自分でもよく使っているのだけど、時に違和感を感じることも…
気持ち悪さというか。これがなんなのか分からなくてもやもやしてたので、少し改めて考えてみた。
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とあるタレントさんのブログで「家族(仲間)のみんな、ありがとう!日々、感謝感謝です!」という言葉を頻繁に書かれているのを読んだ。それと同時に、その方は離婚調停中の旦那さんに対してものすごい恨み「絶対に許さない!呪ってやる!」というような言葉を書かれているのを目にした。その時、強烈な違和感と恐怖を感じた。
【仲間】自分を擁護してくれる人やわかってくれる人、応援してくれる人には「感謝、ありがとう」だけど、
【敵】自分の不利益になる人には、攻撃心が収まらない。
もちろん夫婦間で何があったのかなんて分からないから、そこまでの恨みがあるなら簡単に許せる話でもないのかもしれないし、他人の夫婦関係にどうこう言う権利はないのですが。
本当の意味で【感謝】を感じている人なら、こういう発想にはならないような。
ん~違和感。
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ここまで極端ではないにしても、人に感謝を強要したり、強すぎる正義感で【良い】を押し付けてしまう人、【悪い】を徹底的に吊るし上げる人。他人の家庭事情に感情移入する人。何かがおかしい。
話を戻して。特にFacebookは感謝という言葉で溢れている。感謝を感じる人が多くなったのだとしたら、日本は豊かになる。
でも、実際には、日本は豊かになっているのだろうか?幸せを感じる人は、増えているのだろうか?
その違和感を追っていくうちに気付いたことは【感謝】を幸せになるための道具として使っている人が増えているのではないか、ということ。
「感謝」「ありがとう」と言葉に出して言うことは、確かに『いい事』であるし、誰も傷つかずに周りにも自分にもいい影響をもたらす。
でも、それは【結果的に】であって、それを幸せになるための手段として使うのはおこがましいのではないかと思う。
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そもそも、感謝って【しなきゃいけないもの】でもないし【させるもの】でもないし【求めるもの】でもない。
ただ、沸き上がってしまうもの。どうしようもなく溢れてしまうもの。
それを実感して幸せを感じた人が、誰かに伝えようと思った時に、受け手側が「誤った捉え方」をした場合、言葉の一人歩きがはじまる。
毎日、ありがとう、感謝と言う=幸せになれると思い込んでしまう。
でも、本当に大事なのは【ありがとう】と思えることを目の前の現実から見つけることであって、感情を伴わずに記号として発することではない。
口で発すると意識しやすくなるから、日常の中から「ありがとう」を見つけやすくなる。それが習慣化する。
それをわかりやすく伝えるために【ありがとう】と言おう!と伝えているのであって、【ありがとう】と言えば、もれなく幸せになれますよ、ということではない。
「ありがとう」と言ったから「幸せになれる」のではなく、「ありがとう」と発した瞬間に得られるものこそが「幸せ」なのである。
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感謝は、作るものではないし、求めるものでもない。幸せは、憧れるものでもないし、追うものでもない。
感謝は、幸せになるための道具じゃない。
感謝は幸せと同様、そこに在る出来事や存在に気付くことだ。
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こう書いてみると【伝える】という作業は慎重にならなくてはいけないし、発信している以上は誰かを不快にさせている可能性がある。間違った伝わり方をしてしまう可能性もある。
それでも、伝えようとする人が好きだし、そういう人でありたいと思う。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。今日も、今日を感じながら過ごせますように。中島希でした。
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コメント6件
#ありがとう。
多分 宗派によって 考え 色々あるみたいだけど
旦那様の方に あわせる方が 無難みたいなような
まぁ nonさまが そう思うなら 自分を信じて ・・・
今までの nonさまで 素敵だと 思う。
#Baby ・・・に 伝えて ね。
「感謝」「ありがとう」がいい言葉で、誰も傷つかない言葉だからこそ、いい人でいられて、嫌われないっていう自己防衛的な部分があるのでは。そうなるのは、心の奥で嫌われることが怖いからだけど。
私も「感謝しないといけない」って聞くと、違和感を感じます。感謝って自然に出てくるものじゃないの?って突っ込みたくなる(笑)逆に、出てこないならしょうがないかなとも思う。「感謝しなさいよ!」ってのも、おかしな話。
私もひねくれてるかな(^^;
まぁねぇ~♡
ありがとう(*- -)(*_ _)ペコリ