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受け入れる。誰かと生きるって、きっとそういうこと
昨日は、いつもお店で使っている紙カップがいつもと違うものでした。
私は無地をこよなく愛しているので、いつもは白い無地のカップ。
昨日は、柄の付いたカップ。
白いカップがしばらく手に入らないため、数日間はこのカップを使うことにしました。
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昔だったら、こういうのって本当に嫌だったんです。
「いつものものがない!」「品切れって!困る!」「私はあの◯◯を使いたいのに!」
「あ~~~早く再開しないかな~~~困るな~~~」そう思って、気が気じゃなかったと思います。
ですが、始めて何年か経って考え方も変わってきました。
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仕事をするってことは、ひとりでは成り立たない。そして、生きていくってことは、ひとりでは成り立たない。
商品を売るとなると…材料や備品や消耗品。さまざまな仕入元があって、仕入れさせてもらって、私は商品を作ることが出来る。
それを買ってくれる人がいて、私の生活は成り立っている。
ひとりでは、完結出来ないから、それぞれの専門店にお願いして買わせてもらっている。豆だって、焙煎してもらっている。それがなければ、そもそも私の商売は成り立たない。
それぞれのお店に事情があり、別々のお店なのだから、イレギュラーが起こるのは当たり前のことである。思うようにいかないことが出てくるのも、当たり前のことである。
それが嫌なら、そもそも紙カップを作ることからやらなくてはいけない。それが出来ない以上は、事実を受け入れて、その中で最もいい方法を見つけるしかない。
《無いものは、無い》それを、どうするか。
《いつもと、違う》それを、どうするか。
その判断で、能力が問われるような気もする。
ピンチはチャンスなのだ。
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もちろん、出来ればいつものものを使いたい。でも、無いものは無い。
命に関わることでなければ、お店のポリシーに反することでなければ、柔軟に対応することは非常に大切なこと。
誰しも、ひとりでは生きていないのだから。
これって、お店とか商売のことでなくても同じなのかもしれない。
「◯◯さんの考え方は、合わない」「相手が思い通りに動いてくれない」「会社は私のことを分かってくれない」
だとしたら。それをそのまま受け止めてみる。
《相手が思うように動いてくれない》それなら、どうしようか。
その判断は、もしかしたら大きなチャンスになるかもしれない。
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いつも当たり前のように仕入れさせてもらっていたけど、本当はめちゃくちゃありがたいことなんだと改めて気付く。
当たり前は、当たり前ではないこと。人はすぐに忘れてしまう。
紙カップの業者さん。いつもありがとうございます。そして、また白いカップを使えるのを楽しみに待っています。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
「変な家に住みたい。」
高校生の時に、一生のうちでやりたいことを3つ決めました。
1つめは、バンジージャンプをすること
2つめは、モルディブに行くこと
3つめは、変な家に住むこと
当時は高校生なので、なんの考えもなく、ただただ漠然と思っていました。死ぬまでに全部やろう。理由は、「やってみたいから」それだけ。
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1つめのバンジージャンプは、3年前に飛ぶことが出来ました。茨木県の日本一と言われている竜神大吊橋。
2つめは、世界で一番きれいな海、というような番組で見て以来、ずーっと気になっていた場所。3月頃に行ってくる予定です。
そして、3つめ、変な家に住むこと。
・・・今、私の住んでいる家は、ちょっぴり変な家です。
どれくらい変かというと、家というカタチを全く無視した家です。収納が、とか。無駄なスペースが、とか。そういうの一切無視した家です。
場所も、場所です。便利とはちょっと離れたところです。かといって、暮らせないほど不便でもない。騒音はなく、鳥の声や、風の音、雨の音をダイレクトに感じます。夜空を見上げるたびに、満たされた気持ちになります。
暮らす、というよりは、遊ぶ。毎日、遊ぶように生きる。
毎日が流れて過ぎていく、というよりは、毎日を創っていく。そんな生活です。
この木に囲まれた空間で、ぼけーっとしながら暖炉の火を眺める。なんでもない時間が、至福。
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なんで変な家に住みたかったのかというと、暮らすことにドキドキしたかったから。
私は、1日、1日にときめきを感じたい。それは決してものや人に対してだけではなく、時間や空間にもドキドキしていたい。
だから、ちょっと変な仕事をしているし、ちょっと変な家が好き、とも言える。
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昨日は、朝からとっても嬉しい連絡がありました。
たまたま、この家のメーカーさんが以前nonに来た時に飲んだカプチーノを気に入ってくれた、という理由から、住宅展示場への出店依頼をしてくれました。
もちろん、私がこの変な家〈変な、変な、言うと怒られちゃうかな。)に住んでいるということは知りません。
何か特別な縁を感じたので、すぐにお受けいたしました。
もう、嬉しすぎて、今からめっちゃ楽しみです。
1月14日(土)・15日(日)
豊田市 BESS東愛知展示場
また、詳しく分かったらイベントの予定の方にもアップさせていただきます。
この展示場、ログハウス好きの方はめちゃくちゃワクワクすると思います。私も何度か足を運びました。生きることと遊ぶことはイコールなんだ。それで良いんだ。そう思えるような展示場です。
もちろん、好き嫌いはあるかと思いますが、私は大好きです。
何より、住宅展示場なのに、好き勝手に自由に見て周れるところが好きです。誰も営業をしてこないというのは、気に入った!買いたい!と、思ってもらう自信がある、ということ。
気になるのなら、何度でも遊びにおいで。そんな余裕のあるスタンスも、大好きなのです。
BESS 東愛知展示場
〒471−0058
愛知県豊田市大池汐取64−3
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もしかしたら、本当に大事なのはどんな家に住むか、ではないのかもしれません。どう生きたいのか、どんな人生にしたいのか。その選択肢の一つとして職業があり、家がある。
大事なのは、自分がどんな人生を歩きたいのに気付き、選択すること。
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最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
「ただいま」小さな感動は、大きく成長して戻ってくる。
サービスってなんだろう?おもてなしってなんだろう?ホスピタリティってなんだろう?
移動カフェを始めて4年たって、毎日考える。いや、初めてアルバイトをした16の時から考えてる。それでもまだまだ、わからないことだらけ。正解のない、仕事。一生学びたい、大好きな仕事。
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夏に、京都の天橋立に行ったときのことをふと思い出した。
天橋立は、日本三景のひとつ。別名《海の京都》とも言われている。8月のお盆に入る少し前の連休を利用して、1泊旅行をした時のこと。
泊まった旅館のお部屋に、てるてる坊主が置いてあった。
決して高級な旅館というわけではなかったけど、粋な心遣いだ。
その日は、曇り。翌日の予報も曇り。翌日の予定は、景色を眺めるレンタサイクル。
「明日晴れるといいね〜」と言っていた矢先の事だった為、この小さな気遣いに感動した。
ココに来た人は、素敵な景色を見たいと思っている人がほとんど。
(私達も、あなたの旅行がいいものになりますよう願っています。)
気遣いって、特別なことじゃなくても、お金をかけなくても、ほんのすこしのひらめきがあればいいんだ。
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このてるてる坊主って、私の中の感覚のラテアートとよく似ている。
「やってください。」と求めるものでもなく。お客さんに無理に押し付けるものでもなく。「ラテアートするので買ってください。」と条件にするものでもなく。
ただ、提供する側も、受け取る側も、ほんのちょっと優しい気持ちになれたらいい。
その日がちょっと、いい気分で過ごせたらいい。
それだけのこと。
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お客さんにたくさん来てほしい。
そう思う時に、ネットやCM、チラシや雑誌で宣伝するのも一つの手。
売りたい側が編集したり発信しているから、売る側の都合のいい部分や主張したい部分しか載せないこともある。知名度はすぐに上がる。
もうひとつは、小さくじわじわ広がっていく口コミ。
自分が発信していくわけではなく、お客さんがお客さんに伝えていってくれる。ただ、行ってみたり、食べてみた感想が《普通だった》時には、なかなか起こらない。
だから、ちょっとした感動をいつも考えることがすごく大切なんじゃないかと思う。
毎日、全員のお客さんを感動させることは出来ないかもしれないけど、一日に一人でもいいから目の前のお客さんの心を動かすようなことをしてみる。
それはやがて、大きなモノとなって帰って来る。
ひとつひとつの気持ちは、やがて「ただいま」と大きく成長して帰って来る。
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自分で仕事をすると、そのことを目の当たりにする。
自分でお店を持った人や、起業した人は「あなたもやったほうがいい。」なんてことは、あまりむやみに他人に言わない。(ような気がする)
自分は楽しいけど《自分の楽しい》と《他人の楽しい》は全く別物。もちろん、楽しいだけじゃないこともあるかもしれない。
人の人生の責任は取れない。
ただ、やっている本人達が満足して続けていけるのは、「ただいま」と帰ってきたこの気持ちを何度も感じてしまったからなのかなって思う。心を奪われてしまったからなのかな、と思う。
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あなたが蒔いている種は、必ず花が咲く。
いずれ、たくさんの花を咲かせるために、今は蓄えている。
そう思います。
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最後までお付き合い頂きありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
茶の湯とは ただ湯をわかし 茶をたてて 飲むばかりなることと知るべし。
私は今、とっても興味がある人がいます。
茶の湯の名人、千利休について。
お茶を習っている先輩から「千利休とか好きそうだよね。」の一言をもらって以来、千利休ってどんな人なんだろう?と思って調べ始めたのがきっかけでした。
今は、お茶というよりは《千利休》自身について本を読んだり調べたりしています。
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すこし調べただけでも、いくつか名言や考え方が出てきて、それがまた素敵すぎて。
これを分かろうとすることや、勉強することはかならず接客業の身になる。そう思うのです。
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私が特に好きなのは、《貴賤平等》という考え方です。
茶室の中ではもてなす側も、もてなされる側も、身分も権力も関係ない。対等の立場である。
今の日本にも大きな影響を与えている考え方で、どのお客様に対しても平等に接することや、「お客様は神様ではない」という考え方にも通ずるものである。
武器も持たず、身分も関係ない。狭い茶室にいるのは、生身の人間同士。飾るものもなく、武器もない状態でこそ、その人自身の価値が問われる。
そして、「自分がされて嬉しいことを人にせよ」ではなく、「自分がされて嫌なことは人にするな」でもなく「相手がされて嬉しいことを、相手に施せ」という、まさに接客…というか対人関係においての言葉。
「完璧ではないものこそ美しい」
「当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう」
「頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもある」
自分は悪くは無いこと、謝る必要がないと思う案件で、秀吉に切腹を命じられた千利休。
腑に落ちないながらも、もし頭を下げれば命は助かったはず。
それでも、頑なに自分を貫き通した千利休。
(なんだか、会社にもこういうことってあるんじゃないかなって勝手に想像してみたり。笑)
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おそらく接客においても、美においても、究極の人。
かっこいい。かっこよすぎる。
小説と、漫画と、ネットの中からと。いくつか本は読んだのですが、まだまだ調べたり無いです。もし、千利休の思考・哲学についておすすめのモノがあればぜひ、教えてください。
コーヒーとお茶。ものは違うけど、考え方やおもてなし、学ぶことは多いはず。
完璧ではないことも、また美しい
昨日は、祝日のためにお休みをいただき、香嵐渓に遊びに行ってきました。
自転車で。
といっても、家からは片道8キロくらいです。普段まったくといっていいほど運動していない私には、十分すぎるくらいいい運動になりました。
昨日は、香嵐渓の紅葉かなりすすんでいました。
夏の活き活きとした新緑から、オレンジ色を経て赤色に。
赤色から、もっと濃紅へ。そして、その濃紅は だんだん水分を飛ばしながら枯れ葉へ。
おそらく、昨日はピークの日からは数日経っていました。
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《せっかく見るなら、1番きれいな瞬間を見たい》誰しもの心の声です。
桜や紅葉や、ホタル。それからコスモスにひまわり。自然の頃合いを見計らって、見に行くもの。
そして、花火やイルミネーション。こっちは人工的ではあるけれど、やっぱりそれを求めて見に行くもの。
きれいなものをみると感動します。それが、自然に近いほど、より感動します。
ただ、人工ではないものは、気候や気温によって《ベストではない》ことも多々あります。
ベストで見れたら1番いいけど、そうではないこともある。
それでも。
その中から美しさを見いだせる人でありたいと思う。
完璧ではない状況を嘆くのではなく、その時の目の前にある景色の中から、素敵なものを見つけられる眼を持ち合わせていたい。
例えば、枯れた落ち葉の中から。
例えば、散ったモミジが流れる水辺から。
例えば、ピークを超え下を向きつつある花の哀愁から。
例えば、雨に包まれた1枚の桜の花びらから。
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どんなときにも、完璧じゃなくても、素敵なものはたくさんある。
自分の視界の中から、お気に入りを見つけることは出来る。
思っていなかったことでも、希望していなかったことでも、それでこそ見つけれるモノがある。
普通の毎日の中から、お気に入りや素敵な情景を切り取れる人。
思い描いていたのとは違う景色の中から、美しいものを切り取れる人。
そんな人は、どう生きてもきっと素敵な毎日が送れると思う。
そんな毎日がいい。
そんな、人生がいい。
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香嵐渓の中から、今日もたくさんのものを受け取りました。
感謝。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
伝えたいことを、そっと伝えられる手段
いつも、ホットのドリンクの時にお渡しするカップスリーブ。
一言、その時に伝えたいことを書いたりします。
もちろん、お客さんが急いでいる場合や書かない方がいいと判断した場合は書かないこともあります。
一番最初に、ひとこと書くようになったのにはきっかけがありました。恥ずかしがり屋かつ、人見知りの私だからこそ。
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豊田市駅を始めた3年前。
初めてnonに立ち寄ってくれたお客さんが、次の週にもう1度、寄ってくれたことがありました。
心の中で、(あ!このお客さんは先週寄ってくれた方だ!なんとかして、さりげなく、また来てくれてありがとうの気持ちを伝える方法はないか?)と考えていました。
もう、今だったら「先週のラテは苦くなかったですか?今日は何にしましょうか♪」みたいな会話や、「ブラック、、でしたよね?」などの言葉から《また来てくれたこと》を覚えていることを言葉の隅っこに忍ばせる手段を身につけていったのですが、
その時の私は必死に考えて、考えて、でも言葉に出すのが恥ずかしくて・・・
なんとかカップのスリーブにペンで『今日も、ありがとうございます。』と、そのひと言を書きました。
お客さんが、それに気付いたのかはわからないけど、気付かなかったとしてもそれはそれでいい。気付いてくれたら、それはそれでいい。そんな気持ちだったように思います。
こんなちっちゃい一言ですが、喜んでもらえることもあるんだな〜と知りました。そしてそれが、書き始めるようになったきっかけでした。
誰かの気持ちが少しでも晴れたら本当に嬉しいし、今日も頑張ろうって思ってくれる人が1日にひとりでもいたら、とても嬉しい。そんな気持ちでいます。
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そんなこんななカップスリーブなんですが、たまに嬉しいことを言ってくれるお客さんがいます。
わざわざとっておいてくれているのだと、教えてくれたりするのです。一人や二人ではなく、何人かの方が言ってくれました。私としては、もう、めちゃくちゃ嬉しいです。そんなに大切にとってもらっているなんて思いもしなかったので…
ですが、たくさんある方は200枚近くにもなるそうで、家の中でも職場の引き出しでも、そのスペースを取ってしまっているのは大変申し訳なく思います。
もしかしたら、捨てづらいな、困ったな、と思っている方もいるかもしれないし…
なので、もし捨てずらくて困る!という方がいたら、ぜひnonまでお持ちください。私が責任を持って処分いたします。
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私も過去の功績の証や、思い出の品はずっと取っておくほうだったのですが、今はあまり取って置きすぎることはしなくなりました。過去にとらわれた生き方になるような気がしてきたからです。
過去に、どれだけすごい栄光を成し遂げようと、すごい賞賛をもらおうと、もっと大切なことがある。
これからどうしていくのか、そして今、どう生きているのか。
過去の栄光を語る人より、これから希望を語る人の方が話していて面白い。過去に、こんな表彰をされました!といくら言ったところで、特に興味はない。「で、あなたは、今日どう生きてるの?」そこに私は興味がある。
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というわけで、年末も近いですし、大掃除で困ったカップスリーブはぜひnonへ奉納ください♪
それでもとっておいてくれる方は、それはそれでとっても嬉しいので、そうしてください♪
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
あの空気に、恋をしている。
いつもの生活の中で、なぜだかものすっごくドキドキすることがあります。
それは仕事中、けっこう頻繁に襲ってくる。「ドリップ1つ」の後に、やってくる。定量はかった豆を挽いてペーパーにセットし、沸騰したお湯の温度を少しだけ冷ましドリップし始める。
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少し蒸らして、そーっと円を描くように…
この作業自体が緊張するのかといえば、そうではない。今まで何万回と行ってきた。上手くできるかなとかっていうドキドキではない。そうではないのだけど、その場の空気にドキドキして止まらなくなるのだ。
静かにドリップしていると、トポトポとかコポコポとか、そんな音がする。
私この音が好き。これを聞くのが好き。真剣にこの音を聞きながら、目の前のコーヒーをだけを見つめる。
すると、お客さんも、このコーヒーを見つめていたりする。
目は合っていない。けど、恥ずかしいような、照れくさいような気持ちになる。コーヒーをかいして、見つめ合っているのかもしれない。
間違いなく、同じ空気が流れている。そんな感じ。
・・・今、想像しただけでドキドキする。
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この前、素敵な言葉を残してくれた人がいた。
お気に入りのドリップコーヒーを頼んだ後。
「この香りと、この時間は、俺のだね。」
一杯づつ淹れるコーヒーだからこそ。自分のために挽いた豆の香りと、それだけに向き合っている時間は俺のもの。そういう意味らしい。だから、ドリップコーヒーが好き、らしい。
よくわかっていらっしゃる。
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あなたのために挽いた豆の香りと、ドリップしている時間。そして、耳をすまさないと聞こえないコポコポという音。そしてこの空間。
これらはすべて、頼んでくれたあなただけのもの。
明日も、あのドキドキに出会えると思うと嬉しくなる。
きっと、私はあの空気に恋をしている。
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最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
蚊の泣くような声とは、このことだな。
私は、もともと声が小さいです。
というか、大きい声を出すのが苦手。そして、全然通らない声。たぶん口大きくあてけ喋らないからなんだけど、店員さんへの「スイマセーン!」が何より苦手です。
普段ですらそんな感じなのに、金曜日からますます声が出ず、金、土、日と来ていただいた方にはご迷惑おかけいたしました。すみません…。
喉が痛いわけではないのだけど、鼻をかみすぎて耳がポーンってしている感じ。エレベーターでずっと登っているような感じ。
現実と自分との間に分厚い空気の膜がある感じ。
こういう時って、声まで出づらくなるんだな〜。
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初めて会うお客さんはきっと、ささやくような喋り方の変な人だと思ったに違いない。コソコソ話みたいな声。
こういう日は、お客さんに本当に助けられる。特に平日の朝は、ほとんどの方と目で会話できるようになっている。
朝、並んでいただいている間に、目の端っこでお客さんの並び順を確認して、ドリンクを作る順番を頭の中で想定する。
(○○さんはドリップ、その次が〇〇さんだからモカ、その後ろは〇〇さんだからドリップ…〇〇さん電車の時間に間に合うかな。〇〇さん、いつもより早めの出勤だな…etc)
こうして、ぐるぐる想定してしまうから、目の前のお客さんに集中しようとあえて意識的に視野を狭くしたりする。
そして、商品を言うこともなく、金額を言うこともなく、ありがとうの表情とアイコンタクトをお互いが浮かべたままやり取りすることもある。
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この、目の会話が私はけっこう好き。
ほとんど言葉はないけど、ちゃんと伝わっている。受け取っている。これをお互いに感じていたら、なお嬉しい。
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声といえば、以前ひとりの女の子に突然手紙を渡されたことを思い出した。手紙には、こう書いてあった。
「少し前から、声が出ないので、手紙で失礼します。〇〇○○と申します。私もこの仕事がしたいです。よかったらお話し聞かせてください。」
渡した後の目を見て、強い意志を感じた。即「もちろん!」と返事をした。笑った顔が、最高にかわいかった。
声が出なくなることはいろんな原因があるらしいけど、この時の訴えは目で見事に通じた。
きっと日常生活は不便だったんだろうな。たった3日でも不便なんだもん。
しばらくして、移動販売のバイトを始めたその子がお店に来てくれた。もう、声は取り戻していた。はじめてきいた声は、本当に可愛かった。優しくて、素敵な声だなって思った。声を聞けたことが、本当に嬉しかった。
これからも大切な友達であり、同志でありたいな。
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声も、言葉も、仕草も、その人を表す一部。
表情と、目線は特にごまかせない繊細な部分。多分、その人の人間性が現れてしまうんじゃないかと思う。
どの部分が欠けても、他の部分でカバーできるようにもっともっと感性を磨きたいな。
3日間、蚊の鳴くような声で、失礼しました。
火曜日には、戻っていますように。
自由とは、人生は選択出来るということを思い出すこと
自由がない。自由がない。自由がない。…この言葉を何回も繰り返していたら、めまいがしてきそうな言葉。
『自由になりたい。』私もたぶん、発していた言葉。よくよく考えたら、自由のことをよく知らなかったのに、発していた言葉。
知らないものに憧れても、叶わない。ゴールがないのに、走っている感じ。だから、走りながらゴールを考えてみた。
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起業して独立している人が、みんな自由を感じているかといったらそうでもない。会社に勤めている人がみんな不自由を感じているかといったら、それも違う。
結婚している人が、自由じゃないわけではない。独身の人がみんな自由を感じているわけでもない。
子どもは?だいたいみんな自由。かもしれないけど、そうでもないと感じている子もいる。『大人になったら、なんでも好きなことできるから、早く大人になりたい。』私はずっとそう思っていたし、早く親元を離れて自由になりたい!と願う子もいるはず。
でも大人からしたら、『子どもは自由で、いいよね。』になる。
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自由って、なんなんだろう?
実態がない、という点では『幸せ』とちょっと似ている。
実態はないけど、確かに『ある』
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自由ってきっと【ルールがないこと】ではないと思う。
ルールはありません、なんでもしていいです、何してもいいです。もし、それが自由だとしたら、すぐに飽きちゃう。
今まで、仕事を変えたりするときに【仕事をしない期間】が1か月とかあったりしたけど、特に自由を感じたわけではなかった。それを選びたくて、選んだんじゃないのに結果的になっちゃった【無の状態】っていうのは、『自由』とは言い難い。
でもこれが、自らお願いして、頼んで勝ち取った1か月だとしたら?それは自由なのかもしれない。
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なんとなく、自由について出てきた答えは、《自分が選択しているという実感がある状態》は自由というものに近いような気がする。
例えば、私は仕事をしていて、めっちゃ自由を感じる。
他の人から見たら、労働状態で考えたら、自由とは程遠いと思うかもしれない。でも、営業時間も、営業日も、イベントも、自分が好きでそうしている。
もっと休みたい、と思ったらそうしたらいいし、このイベントは自分と合わないと思ったら断る。そういう選択権がある。そして、それを実感している。だから、自由。
でももし仮に、お金のために、自分のポリシーを曲げて仕事をしたら、きっとそれは不自由。
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選ばされている、させられている、やらされている、そうなると不自由を感じる。
でも、そもそもは、自分が今まで選択してきた結果が《今の自分》なんだから、選択権はいつも自分にあるはず。
働くことを選択したのは、自分。ここの会社に入ろう!と決めたのは、自分。辞めないという選択をしているのは、自分。空気を読んで、やりたくないことをやる、という選択をしたのは自分。
全部決めているのは自分。選択しているのは自分。
でも、その実感がなかなか持てないし、忘れてしまうから、不自由を感じる。
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だから、自由って状態じゃなくて、『自分が選択をしてきた結果、今この状態』ってことを思い出すことなんじゃないかと思う。
どうしても合わないことは『辞める』という選択を自分でするしかない。その結果、嫌われても、お金がなくなっても、別の問題が起こっても、そうしたらいい。
そうしないのは、天秤にかけた時に『辞めない』が勝っているから。だから、辞めないという選択をしているのは結局、自分。
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『させられている』という言葉は、不自由を生み出す。
だから、したくないけど「してあげていること」はしないほうがいいと思う。相手のためにも、自分のためにも。
世の中、そうはいかないものなのかもしれないけど・・・
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自由って、なんだろね?
いろんな人の自由を聞いてみたい。なんなら、人間だけじゃなくて動物にも虫にも聞いてみたい。
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェCAFEBUSNONの希でした。
《一期一会》出会うこと。
先日、お客さんがこんなことを言ってくれました。
『僕がココにくるのは、コーヒーと店主だけではなくて、いつもまったく知らない人に出会うのがおもしろいから』
そんなことを教えてくれました。
『あなたに会いたくて』『コーヒーが飲みたくて』と言ってもらうのもすんごい嬉しいのですが、こうした視点で来てくれるお客さんがいるっていうのが私はとっても嬉しかったりするのです。
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普通のカフェって、隣のおじさんが話しかけてくるとか、そうそう無いと思うんです。カウンターの喫茶店だったり、バーだったり、スナックあたりだと日常茶飯事なのかなとも思うのですが、普通の飲食店だとあんまりない光景。
特に、若い人がいくようなおしゃれなカフェだと、ほとんど考えられないような光景。
通りかかりのおばあちゃんが、急にみんなに飴くれたりとか。笑
でも、NONでは毎日がそんな当たり前のように、一期一会の会話が生まれていたりします。
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おじいちゃんと若い人が気付いたらめっちゃ仲良くなってたりとか。子どもを連れたお母さん同士が世間話してたりとか。
私はそういう光景を見ているのがとても好きです。
なんか、いいな。今日も平和だなって思うのです。
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知らない人と話すことなんて、特に若い世代になるにつれて機会がなくなっているような気がします。自分たちは、知らない人についていっちゃだめ、話しかけられても気を付けなさいと、育てられてきたし、今の子はもっと、警戒しなさいと教えられているのかもしれません。
学校、部活、塾、バイト、会社、サークル、趣味、友達…
たしかに、そういう出会いは大切にしたほうがいい。
でも、一期一会、その場だけの瞬間を共有するのもけっこうおもしろかったりします。
もう、二度と会わないかもしれない。だからこそ、価値が有ることもある。
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もう会うことはない、かもしれない。
でも、また、会えるかもしれない。
きっと、また、いつか会える。
日々、そんなことを思いながら営業しています。
NONは今日も、平和です。きっと。
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最後までお付き合い頂きありがとうございました、豊田市駅の移動カフェ cafebusnonの希でした。