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自分をサボらない。
「良い」と「悪い」を基準にして「好き」と「嫌い」を決めるのは、自分をサボっていると思う。
自分の感覚を、サボってる。
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体に良いから、好き。体悪いから、嫌い。
美容に良いから、好き。美容に悪いから、嫌い。
ダイエットに良いから、好き。太るから、嫌い。
節約に良いから、好き。節約できないから、嫌い。
もし、全員がこういう発想になったら。全員、趣味嗜好が同じになってしまう。量産型人間だ。
「良い」と「好き」はイコールじゃない。判断材料の一つには、なり得るけれど。それが全てじゃない。
「良い」を人に押し付ける人は「良い人」ではない。
情報を頼りに好き嫌いを選択するより、感覚を頼りに好き嫌いを選択する人でありたい。
体に良いから食べなきゃ、ではなくて。体に良いものを「美味しいから」という基準で選択できる、人間本来の味覚や身体の状態にならなくてはいけないのかもしれない。
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例えば。
コーヒーは体に悪いとしたら、コーヒーを飲むのをやめますか。
私は、やめない。
私は、私をサボらない。
29年間という時間
そういえば、先日無事に29歳になりました。
当日はキャンプに行っていたので、富士山の麓でのお誕生日となりました。
毎年、ケーキと年齢分の花束を用意してくれる旦那さん。
そして、お誕生日会をしあえる友達。お祝いの言葉をくれる家族。
本当にありがとうございます。
いつしか歳を重ねることは全然嫌なことではなく、嬉しいことだと思うようになりました。周りに、素敵に歳を重ねられた方がたくさんいるからかもしれません。
いろんな体験ができて、いろんな感情が味わえて、本当に生まれてきてよかったと思います。
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29歳になって思うことは、人生という時間は全然足りそうにない!ということ。
もし、何事もなく寿命まで生きれたとしてもあと50年。その前に人生が終わってしまう可能性だってあるし、明日いなくなってしまう可能性だってある。
早い分にはいくらでもあり得る。
まだまだまだまだ、君の笑顔をずーっと眺めていたい。
まだまだまだまだ、旅行にも行きたい。
まだまだまだまだ、美味しいものをいっぱい食べたい。
まだまだまだまだ、見たことないものを見てみたい。
そして。
まだまだまだまだ、働きたい。私は、私を楽しむために働きたい。
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笑い皺のいっぱい出来た可愛いおばあちゃんになるまで、元気でいられたらいいなと思います。
息子がお腹の中に出来た時、いつも命が絶たれてしまうことを心配していました。胎動が少ないだけで、気が気ではありませんでした。(どうか生きて生まれてきてくれますように。君に会うことが出来ますように。)毎日毎日、そう思っていました。
生まれてきてからも、すやすや寝ていると、いつも呼吸しているかを確認していました。新生児の時は、特にドキドキしていました。(明日も元気な君に会えますように。)
毎晩、今もそう思います。
私は特別心配性というわけではなくて…母親って、きっとそんなものなんだと思います。
もしかしたら、自分が生まれた時もそうだったのかもしれない。そう思うと、今こうして29年間生きているという事、それだけで胸を張っていいんじゃないかと思うのです。
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また、来年も歳を重ねられますように。
また、明日も家族の顔を見られますように。
当たり前の毎日が、当たり前に訪れますように。
そんな事を思った誕生日でした。30年目も、穏やかな日々になりますように。
これからも、よろしくお願いいたします。中島希でした。
THANKYOUクッキーのおかげ
あったかくなってきましたね。
風は強いけど、気温はポカポカ春日和です。
こんな季節はお散歩がしたくなります。この前も、キッシュとクッキーを買って、家族で簡易ピクニック(お弁当作るのサボったバージョン)してきました。
そこで、なんとなく河原で食べていたクッキーに「THANK YOU」の文字。
なんだかほのぼのしちゃいましたね。
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そこから、THANKの語源ってなんだろ?とか、ありがとうって名詞?動詞?なんてことを考えているうちに、感謝って名詞だっけ?なんてことを調べ出して。
ますます深みにはまって、「感謝する」って、動詞なのか?ってことを一日中考えていました。
そして、今まで違和感を感じていたことがスーーーッとすっきりしました。
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今まで、「感謝しよう」「感謝しなきゃ」「感謝しなさい」「感謝するべき」なんていう言葉が、全然しっくりこなかったんです。
いやいや、感謝って「する」ものじゃなくて、感じるものでしょ?って。
なので、「感謝」を辞書で調べてみました。
感謝とは’’ありがたいと思う気持ちを表すこと。また、その気持ち。’’
私の中での「感謝」の位置付けは’’ありがたいと思う気持ち’’の方だったんですね。
だから、感謝しなきゃ!っていう日本語が不思議で、感謝しなきゃ!と思っている時点で感謝していないじゃん、するものじゃなくて、湧き出てくるものなのなんじゃない?って。
気持ちを強要するのはおかしいし、気持ちを「感じなきゃいけない」と思うのもおかしい。
感謝って、ありがとうを表すための行動じゃなくて、心の中に湧き出た気持ち。
そんな意識が強かったんです。
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ただ、辞書で見る分には、ありがたいと思う気持ちを表すこと(行動)でも合っていたみたいです。
ん~なるほど。
感謝する、についても同様で、捉えようによっては動詞であるような気もします。’’ありがたいという気持ちを表すこと’’をする、と思えば動詞。
ただし’’ありがたいという気持ち’’自体を感じている状態、と思えば、動詞でもないような…
この辺は、言った人の意図や前後の文法によって変わるのかな、と思います。
※専門知識のある方、ぜひ教えてください♡
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こうやって調べていくうちに、もやもやしていたことが、ちょっとすっきりしました。
こんなことを思うようになったのには、訳があります。
私が多分、本当の意味で「感謝」を知ったのは23、4歳だったと思います。それまで思っていた「感謝」とは比べ物にならないくらい「有難い」という気持ちを感じました。
自分で仕事を始めて、生きることの楽しさを知ったあの日。好きなことを仕事にしてもいいんだ!と知ったあの時。何の心配も恐怖もなく、生きること自体にワクワクしたあの瞬間。
「あ~~~生まれた来て良かった~~~!生んでくれてありがとう!」と、ただただ、生に対して湧き出てきたもの。
しなきゃいけないからする、ものではなく。すべきこと、というわけでもなく。でも、伝えずにはいられない感情。
それが「感謝」だったんだと思います。
九死に一生を得た人や、どん底を味わった人、病気とか戦っている人はもっとそういう気持ちが強いかもしれません。困難を乗り越えてきた人たちが深くて素敵なのって、そういうところなのかもしれません。
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「感謝の気持ち」
はてさて、これをどうやって息子に伝えよう。今から考えています。
これを息子に伝えるのは、簡単ではないと思います。
というか、大人に伝えるのですら簡単ではないです。
今日のブログだって、わりと意味わかんないですし(⌒-⌒; )笑
感謝は誰かが教えるもの、ではないのかもしれないですね。ただ、本人に気付かせてあげることは出来る。そう思っています。
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週末は、また天気がいいみたいですね。今度はどこをお散歩しようかな♪中島希でした。
生み出された、言葉の行方
おはようございます。相変わらず、更新の遅いブログですが、いつもお付き合いありがとうございます。
近頃の私は、子育てのあいまにライティングの仕事をちょこーっとだけ請け負っています。
妊娠中にかなり長期のお休みをしたためか、何かしたい欲求が高まった末の選択が、家事や子育てのあいまに出来て、自分でペースを調整できるこの仕事でした。彼が寝静まった後に、カタカタと気分転換がてら文章を打ってます。
何かが出来る、ってやっぱり楽しいです。子育てももちろん楽しいけど、欲張りな私はいろいろとやってみたくなっちゃうみたいです。
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ライティングの仕事は、昔思っていた《ライターの仕事》とは、幾分か違いました。
私がライターだと思っていたのは、おそらくエッセイストやコラムニスト。自分の感性を求められているもの。
でも、それ と これ は別物でした。
少なくとも、今の私のしている仕事に《ワタシ》は必要なくて。求められているのは、決められたお題とキーワードを上手に取り入れながら【おかしくない文章】を分かりやすく、為になる文章として、アクセス数の伸びる記事を作成すること。
発注者さんの、意向に沿った文章を生み出すこと。
(すみません、自分で企画して取材して構成するライターさんは、きっと全然違いますね。ひよっこバイトライターと一緒にしてはいけません。)
それはそれで、楽しさはあるし勉強にはなるんだけど、けど、、、やっぱりなんでも書きたい放題のこっちのブログのが楽しいです(笑)
《ワタシ》を出してもいい場所だから、かもしれないですね。
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で、そんな仕事をしていて、ふと思ったんです。
この、今の時代に生み出された膨大なコトバたちって、どこに行くんだろう?って。
ネット社会になって、文章や言葉の生み出される数ってすごいことになってるんじゃないのかな。メールでも、ブログでも、フェイスブックでも、ツイッターでも。
かつては目に見えない音として、伝えたい相手に届いたら、基本的には消えてきたはずなんです。言葉は、声として。
一部の発信者(作家さんや、広告代理店、新聞記者など)しか《残す》ことは出来なかった。
もしくは、手紙として伝えたい相手だけに直接届くようになっていた。
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でも今はこうして、ほぼ全員が公共とも言える場所に残るコトバを生み出せる。
インターネット上では無限のコトバが、ひしめき合っている。
この先も、リセットしない限りコトバは増えていく一方なのかもしれない。
例えば、私の書いた文章が誰かの役に立っていたり誰かの心に残っていたら、そのコトバは生きている。
でも、誰の目にも止まることなく使い捨てにされたコトバたちは、どこに行っちゃうんだろう?
インターネットの中で、生きているのかな。それとも、インターネットの中で、死んでしまうのかな。
そもそもインターネットって無限なんだろうか。どこから、どこまでっていう大きさが決まっているのかな。それとも広がり続ける宇宙みたいな存在なんだろうか。今、どれだけのコトバがそこに存在して、どれだけのコトバが生きているんだろうか。
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そんなことを、ふと思って考えていました。
愛を持ってコトバを生み出したのなら、愛を持って生かしてあげたいな。死なせるために生み出しているわけではないのだから。
《生み出された言葉の行方》これはしばらく私の脳内でうごめいているような気がします。
これをツマミに酒が飲めそうだ。いやいや、これをツマミにノンアルコールビールが飲めそうだ。
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さて、今日もカタカタ頑張りましょ♪皆さんも良い一日を。中島希でした。
君が笑えば、世界が笑う
つむつむ君、4ヶ月を迎えました。
6.6キロと、62センチで割りとでかめです。すくすくむくむく大きくなってます。
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ひいおばあちゃんの四十九日で、実家へ行った時にのこと。旦那さん側の実家は、ちっちゃい赤ちゃんや子どもが居ないから今のところ彼の天下です。
みんなが抱っこしてくれて、顔を覗き込んでくれて、ちょっとグズっただけでも「お腹すいたかな?眠いかな?」って、みんな気にかけてくれる。
小学生のお姉ちゃんも、中学生のお兄ちゃんも、興味津々で手を握ってくれたりほっぺをツンツンしてくれる。
そして彼が笑うと、みんな笑顔になる。「わ~!笑った~!」
その時、エラ・ウィーラー・ウィルコックスの、この言葉を思い出した。
”君が笑えば、世界は君とともに笑う”
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(誰か、楽しませてくれないかな)大人になると、図々しくなるもので。笑顔は誰かがさせてくれるもの、だと思いこんでいる。その象徴が「なにか楽しいことないかな~。」という他人任せな言葉。
でも、「楽しいこと」は、誰かが運んできてくれるものではない。
目の前に起きている現象の中から、見つけるものだ。
僕が笑ったら、みんなが笑った。こんなシンプルなことを、ときどき大人は忘れてしまうのだ。
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移動カフェを始めた時、私の中にひとつの目標があった。
《笑顔の発信源になる》というものだった。
もし、コーヒーを買う時のやりとりでお客さんが和んでくれたら、笑ってくれたら。そのお客さんの職場の人達も笑顔になるかもしれない。そして、その家族、友達、道ですれ違った人。ほんのちょびっとでも連鎖して和やかな気持ちになってくれたらいいな。
そんな風に思っていた。
仕事を辞めてからはすっかり忘れていたけど、これって仕事をしていなくたって出来ることなのかもしれない。
私が目一杯笑うこと。ムスコが目一杯笑うこと。それが、旦那さんの笑顔になり、旦那さんの職場の人の笑顔になり、そのまた家族や周りの人の笑顔につながる、かもしれない。
スーパーのレジでにこやかにお礼を言うこと、エレベーターで一緒になった人に親切にすること、親切にしてもらったら目を見てお礼を言うこと。
そんなちっちゃなことが、ゆくゆくは、世界を変えるかもしれない。
働いていなくたって、働いていたって、きっと出来ることだ。
まずは、自分から。自分の周りから。
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君が笑えば、世界が笑う。
君が美しければ、世界もまた美しいだろう。
君の世界は、君で出来ている。
ゴディバの提案「義理チョコやめませんか」
先日、ラジオを気いていたら、興味をそそる話題が流れてきた。
チョコレートで有名なゴディバが、今年のバレンタインデーを前に新しい提案をしているという。
「もっとバレンタインデーを好きになってほしいから。日本は、義理チョコをやめませんか。」
これ、本当にそう思う。
いや、義理チョコが悪いんじゃない。
「あげたくないのにあげるという選択をしておいて、影で文句を言っている女性の愚痴を聞く」のが、本当に嫌なのだ。
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小さな会社で働いていた時、2月が近づいてくると「うわ~もうバレンタインだ。今年、どうする?」と女子社員の間で会議が行われていた。毎年みんなでお金を出し合って、男性社員にチョコレートを渡していた。
そこには内心(うわ~面倒くさい~)という空気が流れていた。
私はどっちかというと、上司や社長が好きで、すごいお世話になっていたから”あげたい派”。バレンタインは日頃の感謝を伝えるきっかけをつくってくれるいい機会だ。
でも全員が全員そうじゃなくて、嫌々という人もいて。
そんな空気が面倒くさくて「嫌な人はあげなくていいんじゃないですか?私、個人的にあげるんで。」と言ったら、気まずい空気が流れた。
そういうことは「抜け駆け」になって女子に嫌われる要因になるらしい。なんてアホらしい。
いかにも日本的な発想だ。
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進んであげたい人はいいけど、嫌なら辞めたらいいのに…
そう思うことは他にもある。
最もたるのは、年賀状。
送りたい人に文句を言うつもりはない。送りたいのなら、送ったほうがいい。でも、面倒くさいと言いながら送っている人を見ると、はてなマークが浮かぶ。送りたくないなら、送らなきゃいいのに…
とにかく《自分でやりたくないことを選択しながら、文句を言っている人》が好きじゃないのだ。
これをしなかったら、嫌われるんじゃないか、とか。みんながしているから、とか。周りに変に思われるんじゃないか、とか。
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自分でそれを『選択』をしておきながら、それに対して愚痴を言っている大人にはなりたくない。
これは、20歳の時に思ったこと。
自分で選択したことや、自分で選択した会社に文句を言うのって、超、格好悪い。
それは、自分を否定しているのと同じことだ。そんなに嫌なら、そこから離れればいい。格好悪い大人には、なりたくない。
その気持ちは、今も健在だ。
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あれ?バレンタインの話から、辛口な話になってしまった。
…とにかく。もっと自分の気持ちに正直に生きたほうがいい。バレンタインは、あげる側がワクワクする日。女の子にとっての、最高にときめくイベント。それが、憂鬱な日になってしまっては本末転倒。
「日本は義理チョコを渡さなきゃいけないみたいな風習、辞めませんか。」に一票。
そして、「いつもお世話になっている人に、ありがとうを伝えるいいきっかけの日」という、本来のバレンタインをもう一度思い出そう。
付箋1枚でもメモ1枚でもいい。そこに、チョコレートがなくてもいい。
「いつも、ありがとう。」その気持ちをちょっと思い出して伝えるキッカケの日になればいい。
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今年のバレンタインは、好きなケーキ屋さんのザッハトルテを予約しています。これから取りに行きます。
「いつもありがとう」を思い出す日、なんて素敵なことを言っておきながら、自分の食べたいケーキを予約してご満悦♡
バレンタイン最高!中島希でした。
見た目の価値を求めすぎる、今
先日、インスタにこんなことを書いた。
http://www.pictame.com/user/masudanozomi/284091961
読む人が読んだら、イラッとする内容かもしれない。そして、今さら、、、というのもある。逆に、今だから言えるということでもある。さらに言えば、インスタ女子からは嫌われる可能性が高い。笑
なんだか、現代は、目に見える価値だけを重要視するような風潮がある。少し前から気になっていたのだ。
それが顕著になったのは、やはり「インスタグラム」の影響だろう。
インスタグラムは最高に楽しいSNSであり、最もお世話になったSNSでもあり、非常にやっかいなSNSでもある、と感じている。
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飲食店において、宿泊する宿において、観光地において、見た目がいいのは大切なことだ。
汚い、よりはきれいなほうがいい。ダサい、よりはかっこいいほうに惹かれる。まずそう、なんて論外で食欲をそそる商品のほうが良いに決まってる。
お客さんがそれを求めるのは当たり前のことだ。
ただ、間違えてはいけないのは「見た目がよければ売れる」と、提供する側が勘違いしてしまうことにある。
そして、インスタグラムはそれを助長してしまうのだ。
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「見た目がよければ売れる」と思い込んでしまった時に起こることは、見えない価値に対しての意識の低下だ。
サービス業、接客業として大切なことをないがしろにしてしまったり、忘れてしまうことにある。
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「うちは、ラテアートが出来ないから、お客さんがなかなか来ないんだ。だから、エスプレッソマシンを買おうと思っている。」
そう言っているカフェの人がいた。
本当にそうだろうか?本当にそれだけが原因なのだろうか?大切なことを見落としていないだろうか?
今、目の前に来てくれたお客さんに対して、自分に出来る事を100%やったと言えるのか。気の利いた一言を必死で考えることを、疎かにしなかったか。いつも寄ってくれるお客さんの名前を知ろうと、覚えようと、呼ぼうと試みたのか。なぜ、この人がここに来てくれたのかを、何を求めているのかを想像してみただろうか。
自分が持っていないモノや技術や知識のせいにするのは簡単だ。
でも、それは、自分が出来ることを全力で必死で考えて実行した後でも遅くない。
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移動カフェのとき、途中から本の貸出のサービスを始めた。
名前(あだ名でも可)と、本のタイトルを記入してもらうだけの簡易的なものだった。その目的は、たったひとつ。いつも来てくれるお客さんの愛称を知って、呼ぶためだった。
自然に名前を聞き出すため、だ。
名前を覚えたり、名前はわからなくても相手の個を認識して、認識していることを伝えるのは、商売の基本だ。
かと言って、いきなり名前を聞くのはおかしい。仲良くなる前に名前を聞かれたら不信感しかない。どうしたら、自然に呼べるかを考えた結果が、図書館だった。
それが、良かったのか悪かったのかは分からない。でも、そのおかげで距離が近づいたお客さんが居たのは確かだ。
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見た目の価値を高めるのは大切なことだ。
でも、見えない価値を高めるのはもっともっと大切なことだ。
一時的な集客を追い求めるのは、危険が伴う。今だからこそ、お客さんの立場としても、お店側の心情としても思う。
そしてやっぱり、そんなことを考えてしまうくらい、私はサービス業が好きなのだ。頼まれてもいないのに、そのことで頭の中がいっぱいになってしまうくらい好きなのだ。いつかまた、アルバイトでもパートでもいい。サービス業がしたいなと思う。そして出来ることなら、それがカフェだったら。なお幸せだ。
まだ雪の残る足助の山の中から。中島希でした。
新しいワタシのおもちゃ
来ました♡デジタル一眼♡
前回、カメラが欲しいと書いていたんですが、昨日無事に届きました。
ヤッホー*\(^o^)/*
いろいろ検討した結果、オススメしてもらったcanonのkissシリーズのX8i にしました。
ちょっと型落ちしてるから、ちょっとお手頃。
ぜんぜんカメラのことが分からない私にも優しそうなやつ。
それと別で、オススメしてもらった単焦点レンズ。
こっちは今日届く予定。わくわくわくわく。
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ちょこっと触ってるだけなんだけど、めっちゃ楽しいです。今まですっごい古いミラーレスを使っていたからか、wi-fi機能にすらびっくり。便利すぎる。
しかし、赤ちゃんを撮るのは難しいな~。動く。ぶれる。私の手も、動く。ぶれる。うむむ・・・
早く可愛く撮れるように、たくさん触ろう♩
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私の場合、実は好きなこととか趣味ってなかなか見つからないんです。
こんな趣味素敵だな~とか、これが出来たらいいな~とは思うものはたくさんあるんです。でも、体が勝手に動いちゃうくらいビビッときたやつしか続かない人間だとわかっているので、、、そうなるとなかなか見つからない。
だから、仕事を辞めて以来久しぶりの感覚です。あ~楽しい♡
カメラがあると、お出掛けも楽しくなりそうです。
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つむつむ君、生後100日経ちました。
相変わらず、めちゃくちゃ元気です。首も座って、足もジタバタが激しくなりました。いただいたバウンザー、そのうち蹴り飛ばして破壊するんじゃないかとヒヤヒヤしています。
つむつむ君は、何に興味を持つようになるかな。何でもいい。好きなものが見つかったらいいなと思います。
そして、それが何であっても、受け止められる親であれたらいいなと思います。
今日もすやすや眠る横顔を見ながら。中島希でした。
子育てと、焦燥感
おはようございます。
今年の冬は、とっても寒いみたいですね。
みたいですね?…というのも、今わたし完全に季節音痴になっております。
今年が寒いのか寒くないのか、まったくわからない。ほぼ1日家の中でぬくぬくしているので、今年がどんな冬なのか、正直わかっていないのです。
外に出るのは、週に1、2回のお買い物の車までの1分と、日中の暖かい時を見計らって薪を取りに行く3分くらい。
去年までの凍えた早朝や、日の落ちてくる夕方の冷え込み、そんな感覚を体感していないのです。
贅沢な話なんですが、無性に焦燥感が押し寄せてくることもあります。
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よく言う、子育て中の孤独感とか焦燥感ってこんな感じなのかもしれないです。
(あれ?今日の私、何にも生み出してないぞ?)(あれ?今日の私、赤ちゃん言葉しか喋ってないぞ?)(あれ?何にもせずに1日が終わってしまったぞ?)
子どもは超かわいいし、ずーっと眺めていても飽きないし、家の家事だって最低限はやることがあるし、今の毎日に何の不満があるわけでもないのに、何だか気持ちだけ焦ってる。
よく子育てママが言う【社会に取り残された感じ】って、こういうことなのかもしれないです。
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忙しい時には、今すぐ欲しいと思った休日。
でも休日の毎日になると『動きたい!』欲求が湧き出てくる。
モルディブに行った時も、1週間くらい何にもしなくていいですよ~というのが逆にそわそわしてしまったり。
職を変えたり、住む場所を変えたりするごとに、数週間とか1か月とか働かない時期があったけど、その度に【うぉ~働きたい~!】と、やる気まんまんになっていたのを思い出します。じっとしていられない性分なのかもしれないですね。
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今楽しみなことといえば、一眼レフカメラを見に行くこと。
《かわいい息子を、かわいいうちに、これでもかというほど撮りまくりたい!親バカだって、いいじゃない!》という私のわがままに巻き込んでいるところです。
お正月、弟に触らせてもらったカメラのシャッターを押す感覚が忘れられず、久しぶりに興奮しています。
ちなみに弟は、人生の最高に幸せな瞬間を切り取ってプレゼントする仕事をしています。素敵な仕事です。
私も、nonをしている時に、たくさんのお客さんに写真を撮っていただきました。そして、皆さん快くデータでプレゼントしてくれました。
私にとって、写真はとても嬉しい贈り物でした。
データを見返して、こんな日もあったな~って未だにニヤニヤしてます。忘れていた記憶や、その時の風景を鮮明に思い出すことができます。
だって、写真は、今日の私から明日の私へのプレゼント。
…この調子で、あと少し、旦那さんを洗脳しようと思います。中島希でした。
バッサリショート復活。
新年あけましたね~!
ついに、3年近く伸ばしていた髪の毛をバッサリとショートにしました。
30センチくらい切ったような。んも~う、快適です♡
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出産付近で髪の毛を切るママは多いような気がします。または、逆に長めに伸ばして縛れるようにするタイプ。
私も、長めで縛ればいいかな~(ショートは美容院に行くスパンが短くなるから)なんて思っていたんですが、甘かった~。
息子くんが、だんだんものをつかめるようになってきて、髪の毛をグイグイ引っ張れるように…
サラサラではなく、からみやすい私の髪の毛はすぐに彼の手の中でくしゃくしゃに。「今に見てろよ~!つかめなくしてやる!」という捨て台詞を残して、美容院に行ってきました。
そして、久々の一人きりを満喫してきました♪
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私がショートヘア女子の可愛さに気づいたきっかけは、ちょっと昔。映画のモテキの長澤まさみが超絶可愛かったから。
あれはね、もう反則。女子でもドキドキするやつ。
あ~やばいな~かわいいな~。キュンキュンするな~。
あれをみて、可愛いと思わない男の人はいないと思う!そして、女子から見ても最強!
久々のショートは、やっぱり調子がいいです♪思いっきり切って良かったー!かなり気分転換になりました♪
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息子くんとは、新年も相変わらず穏やかに過ごしています。最近は、夜も一回も起きずに8時間くらいまとめて寝てくれるように。寝付きも、指をしゃぶりながら1人で寝るから、ママはあんまりやることがない。笑
もう少しして、動けるよになったり離乳食が始まったらたらバタバタとした1日になりそうだから、それまではしばし休憩でゆっくりさせてもらいます♪
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挨拶遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。中島希でした。