生み出された、言葉の行方
おはようございます。相変わらず、更新の遅いブログですが、いつもお付き合いありがとうございます。
近頃の私は、子育てのあいまにライティングの仕事をちょこーっとだけ請け負っています。
妊娠中にかなり長期のお休みをしたためか、何かしたい欲求が高まった末の選択が、家事や子育てのあいまに出来て、自分でペースを調整できるこの仕事でした。彼が寝静まった後に、カタカタと気分転換がてら文章を打ってます。
何かが出来る、ってやっぱり楽しいです。子育てももちろん楽しいけど、欲張りな私はいろいろとやってみたくなっちゃうみたいです。
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ライティングの仕事は、昔思っていた《ライターの仕事》とは、幾分か違いました。
私がライターだと思っていたのは、おそらくエッセイストやコラムニスト。自分の感性を求められているもの。
でも、それ と これ は別物でした。
少なくとも、今の私のしている仕事に《ワタシ》は必要なくて。求められているのは、決められたお題とキーワードを上手に取り入れながら【おかしくない文章】を分かりやすく、為になる文章として、アクセス数の伸びる記事を作成すること。
発注者さんの、意向に沿った文章を生み出すこと。
(すみません、自分で企画して取材して構成するライターさんは、きっと全然違いますね。ひよっこバイトライターと一緒にしてはいけません。)
それはそれで、楽しさはあるし勉強にはなるんだけど、けど、、、やっぱりなんでも書きたい放題のこっちのブログのが楽しいです(笑)
《ワタシ》を出してもいい場所だから、かもしれないですね。
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で、そんな仕事をしていて、ふと思ったんです。
この、今の時代に生み出された膨大なコトバたちって、どこに行くんだろう?って。
ネット社会になって、文章や言葉の生み出される数ってすごいことになってるんじゃないのかな。メールでも、ブログでも、フェイスブックでも、ツイッターでも。
かつては目に見えない音として、伝えたい相手に届いたら、基本的には消えてきたはずなんです。言葉は、声として。
一部の発信者(作家さんや、広告代理店、新聞記者など)しか《残す》ことは出来なかった。
もしくは、手紙として伝えたい相手だけに直接届くようになっていた。
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でも今はこうして、ほぼ全員が公共とも言える場所に残るコトバを生み出せる。
インターネット上では無限のコトバが、ひしめき合っている。
この先も、リセットしない限りコトバは増えていく一方なのかもしれない。
例えば、私の書いた文章が誰かの役に立っていたり誰かの心に残っていたら、そのコトバは生きている。
でも、誰の目にも止まることなく使い捨てにされたコトバたちは、どこに行っちゃうんだろう?
インターネットの中で、生きているのかな。それとも、インターネットの中で、死んでしまうのかな。
そもそもインターネットって無限なんだろうか。どこから、どこまでっていう大きさが決まっているのかな。それとも広がり続ける宇宙みたいな存在なんだろうか。今、どれだけのコトバがそこに存在して、どれだけのコトバが生きているんだろうか。
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そんなことを、ふと思って考えていました。
愛を持ってコトバを生み出したのなら、愛を持って生かしてあげたいな。死なせるために生み出しているわけではないのだから。
《生み出された言葉の行方》これはしばらく私の脳内でうごめいているような気がします。
これをツマミに酒が飲めそうだ。いやいや、これをツマミにノンアルコールビールが飲めそうだ。
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さて、今日もカタカタ頑張りましょ♪皆さんも良い一日を。中島希でした。
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コメント4件
物理的に考えれば、
一人の人がしゃべる言葉の量は
昔から変わらないだろうけど、
書く文字の量は、
筆の時代からパソコン、スマホの時代になって
飛躍的に増えてますよね。
そしてもっと増えてるのが、
言葉を届けるスピードと距離。
そして蓄積される量。
蓄積されるだけの言葉もあれば、
世界中を駆け巡る言葉もある。
同じ文字の並びでも、
誰が言ったか、書いたかによって、
行方も違うし、影響力も違ったりする。
せっかくなら、受け取った人が
この言葉、この文章に触れてよかった、
と、少しでも思ってもらえるような言葉を
生み出して行きたいと思います。
ふふふっっっ(笑)
何事も楽しんでますね!
のんちゃんらしいです♪
そもそも、この【らしい】というコトバも…
コトバって面白いですね☆