明日死ぬとしたら、何しよっか?

Pocket

 

 ビビらすためでなく意識を強めるための予言

 
 


 
先日の地震にビビる記事を見て、【2018年、6月21日に東海地方にどデカイ地震がくるっていう予言があるよ】と、教えてもらいました。

えぇ。6月21日って。今日じゃないですか。

決して決してビビってるわけじゃないですけど、その情報を教えてもらって即、非常用のお水とレトルト食品、レトルト離乳食、オムツ等、買い足しました。(ビビってるわけじゃないですけど、、)

これまでも散々「用意しておかなきゃね〜」と言いながら、後回しにしていた非常食。こうして具体的な日にちがあるだけで、一気に買う気になります。「一応、備えとこう」と言う気持ちになります。

混乱するからデタラメな情報を流してはいけない、とは言うけれど。冷静にビビって、冷静に備えるきっかけになるのであれば、それも有難いのではないかと思います。

冷静にビビりながら、玄関に持ち出し袋をまとめました。(結局、だいぶビビってる)
 

明日死ぬとしたら、何する?

 
そんなことを思っていたら、以前お勧めしてもらって読んだひすいこたろうさんの「あした死ぬかもよ?」と言う本を思い出しました。

 

もし、明日死ぬとしたら、何する?今の私なら、どうするだろう?ちょっと考えてみました。

何かを買ったとしても、手に入れたものは天国には持っていけないし。

何かを壊したりしても、それから得られるものはない。

今の私が、明日死ぬとしたら。たぶん一秒でも長く息子を抱きしめていると思う。彼のために、というよりは、自分のために。そして、彼に与えられるものはすべて与えたい。愛情も、知識も。その先で役に立つ可能性が少しでもあるものは、すべて。息子だけではなく、周りの人にも。

最後にしたいことは、得ることではなく与えることなのかもしれない。

だって、死んだ後に残るものは、与えたものだけなのだ。私が生きた証は、与えることでしか存在できない。死んでしまったら、得たものは残らない。知識も経験も。でも、死ぬ前に誰かにそれを与えることができたら、その後もそれらは生きて行くことになるのだろう。

だとしたら、もし明日、死ななかったとしても、そうするべきなのかもしれない。
 

明日死ぬとしても、今日と同じ1日を過ごしますか?

 
これは、スティーブジョブスの有名な言葉です。もし明日死ぬとして、今日と同じ日を過ごしたくないと思うのであれば、死ぬ直前であってもしたいと思える事を何故してないのか、という本質をついた言葉。

今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない。命に限りがあるということを忘れていないか?今日と同じ日が永遠にくると思っていないか?と、考えさせられる言葉です。

災害や、事件、事故や病気。それらは本当に起こってほしくない出来事ではあるけれど、自分の命や限りある時間、大切なものを見直す機会にしていかなくてはと今回特に思っています。

 

今日は、最期の一日だと仮定して過ごしてみようと思います。予言が外れるようにと願いながら。ナカジマノゾミでした。

ソーシャル

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です