人間の根底は、善ですか。悪ですか。
「人間の根底は善だと思いますか。悪だと思いますか。」
少し前に、いつも来てくれる年配のお客さんからこんな質問をされました。
「あなたは、人間(人類)の根底にあるのは善だと思いますか?悪だと思いますか?」
このお客さんは、いつもいろんなお話をしてくれるのですが、この質問は特に心に残りました。
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人間の根底は、善なのか。悪なのか。
特定の人を指しているのではなく《人間》というものの本質は、という意味です。
性善説とか、性悪説という言葉もあるみたいです。
この議論に答えはないけど、私は善だと思っています。
誰かに「ありがとう」と言われて、少し心が満たされるのであれば、きっとそれは善ということ。
もし、あるとすれば《悪という名の善》なのではないか、と。
本人は良かれと思ってやっているけど、他の人にとっては迷惑だった、とか。自分の大切な人を守るために、とか。
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アメリカの、とある連続殺人鬼の話を聞きました。
その人は、たくさんの人を銃殺して死刑になってしまうのですが、その死刑になる直前に言った最期の言葉が「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ。」
つまり、その人にとって自分のしたことは悪ではないという認識だった、ということ。
社会的にみたら、殺人は絶対にしてはいけないこと。
ただ、「自分は悪くない」と思うことは、《悪だという意識がない》ということ。反省する、ということもある意味で言ったら善の心がある、ということ。
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犯罪を、認めるわけではない。
絶対に、してはいけない。
ただ、その加害者の方向から見てみると、もしかしたらそれは《悪という名の善》なのかもしれない。
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「ありがとう」といわれて嬉しい。
誰かの役に立てたことが、嬉しい。
そういう心がほんの少しでもあるとするなら、それはきっと《善》
社会的に良いと言われようと、そうでなかろうと。
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昔、とあるクレーマーさんがいました。
いろんなお店で問題を起こしてしまうので、周辺のお店では出入り禁止になってしまいました。
たしかに、お店からしたら問題が起きるのは困るので、なるべく問題が起きないようにしたい。
ただ、その人が悪か、というとそれはまた別の話で。
ある時、その方が私の必要としている情報を持ってきてくれたので「ありがとうございます。助かります。」と伝えたら、とても嬉しそうな顔をしてくれました。
きっと、どんな人でも誰かの役に立てた、誰かが喜んでくれた、という気持ちは生きている以上、絶対にあるんじゃないかと思います。その時にとっさに出た表情が、その人の本質なのではないかと思います。
どこかでそれが、捻れて、素直になれなくて、かまってほしくて、本当の心の中とは別の行動をしてしまうこともあるかもしれないけど…
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人間の本質は、きっと善だ。
そう思って、人を見ると、けっこう楽しいです。
あなたが苦手なあの人。もしかしたら、その人の方向から見たら、それが善なのかもしれないです。良かれ、の基準が、自分と相手はズレているだけかもしれないです。
本質の、本質は、きっと善。
人生の最期の最期にも、そう思える生き方をしたいな。そう思いながら、死ねたら最高だ。
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最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
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コメント12件
善、悪の基準で判断が分かれますね。
人間は牛や豚、鶏、生命活動をしていた動植物の命を奪い
自分の中に取り込んで生きているので多数の人間が悪?かも
ブログ、たまに拝見させて頂いてます。
今回は初コメントです。
ブログの内容に共感できる記事が多くあり参考になりました。
今後の活動を応援してます。
こんにちは。
今日も面白いテーマだね。
のんちゃんのカフェ面白いお客様多いな(笑)
この間たまたま「ストーカー加害者」の本を読んだんだけどね。罪の意識がないらしいの。のんちゃんが書いてる、アメリカの殺人犯の「悪という名の善」と同じ心理だったよ。
人間の本質ってなんだろう。
善と悪、両方かな…?悪を認識して、ようやく善になれるのかな?善だと信じたいな( ^ ^ )/
苦手な人は、善だと信じて接するけど、それでもモヤモヤする時は、フィルター外してみてるよ。
ときには意味に縛られないのも面白いかも!
のんちゃんこんばんは^^
「善」と「悪」。良く比較される事ではありますが、のんちゃんの書いてある通りいろんな考え方や、意味があるように思えます。
ちょっと話の視点が変わってしまうかもしれませんが、人間の根底は、善悪の前に「欲」があると自分は思っています。
善い事を考える時、誰かを幸せにしたい!あの人を助けてあげたい!など、善い事をしたいという思い。つまり「欲」としての行動。
悪い事を考える時、あいつを貶めてやる!何か迷惑になる事を世の中にしてやる!など、悪い事をしたいという思い。これも「欲」としての行動。
生き物全てにこれはあるのだと。
例える一つとして野生の動物の世界や昆虫や植物。
「弱肉強食」
これを「善」とするか「悪」とするか。子孫を残していく「欲」の行動。そのために捕獲したり養分を横取りしたりする「欲」
の行動。
この動物的本能の様なことから、良い方向とダメな方向に分類された思念が「善」と「悪」に分かれて、そこからまた善悪の判断がどうであるのか、議論されていくものなのではないかと思えます。
理性と倫理を持つ人間として、また人生のテーマになる問題だと思いますね。
また小難しく書いてしまってごめんなさい(;^ω^)
ではでは^^
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すんませーん!
なんか前に書いてあるお二人のコメントとかぶってしまったようで、お二人とのんちゃんに申し訳ない(;´・ω・)良かったら自分のコメントは削除してください。
初めまして、redといいます。
私は人間の根底はどちらがあるか分かりませんです。
もちろん、善、悪どちらもあると思います。人間なので。
こんな話があります。
海難事故で船が沈没して浮輪が1つしかありません。
自分が助かる為に他の人を見殺しにしたと…..
この行為は善でしょうか?悪でしょうか?
法律によるとこれは緊急避難になるので人殺しには
なりません。よって善です。
ただ、見殺しにした行為に対しては悪なのではないでしょうか。
悪の行為をしているのに善だと言う人(私を含め)がたくさんいます。
これは悪の行為がいけないと言う事ではありません。
おそらく船が沈没して浮輪が1つしかなかったら私は…..
ですから、私は善の事をしたが悪の事をしたとしっかり認識することが大事だと思います。
議論されている問題とずれてしまいすみません。。
のんちゃん、おはよ。
今日は難しい?話しだね。
僕も人間の本質は「善」だと思う。誰でも自然に感謝の気持ち「ありがとう」が言えるのは善があるから。
僕の考える「悪」は小さなことから大きなことまで幅広くあって、「悪」の根底は「欲求」じゃないかと考えます。虐めにしても、人を殺めたとか全て興味があったことを実行したから。でも、最後には後悔する。
だから、人間の基盤は「善」であって、欲求という形ににって「悪」になる。
言いたいことが言葉にするのが難しく分かりにくくてごめんね。