期待の大きさが仇となる時代

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 コーヒーカップの手書き風のラベル

少し前に、コーヒーショップに行った時にこと。

コーヒーカップに貼ってあるシールに、手書きの文字を印刷して「THANKYOU(うさぎのマーク)」と書いてあった。※手書きではないけれど、誰かの手書きを印刷したもの

いつもはカップにマジックで何か一言書いてあったりすることはあるものの、プリントされてきたのは初めてで、なんだかものすごい違和感を感じた。

そして、一緒にいた子に「この手書き風の一言添えた印刷ラベルって、珍しいね~。」といったところ、こんなことを教えてくれた。

「自分のカップにだけ手書きで何も書いていないことに、ショックを受けるお客さんがいるからじゃないかな?」

 

期待を持ってしまうこと

 

SNSが発達して、サービスする側が大変だと感じる部分。それは「自分だけ、他の人よりサービスを受けていないんじゃないか?」と思ってしまう人が出てくるということ。

例えばある人が「◯◯と言うお店に行ったら、こんなサービスをしてくれました!最高!」と、投稿したとする。それを見た人が、そのサービスを期待してそのお店に行ったのに、思っていたようなサービスがなかったとする。

すると、通常のサービスを受けたのにもかかわらず「私には特別なサービスをしてくれなかった!」というところだけがクローズアップされてしまう。

そうなると、サービスする側は、一定のサービス以上のサービスを提供しにくくなる。状況を見て、忙しい時、手が空いている時、その瞬間に自分ができる最高のパフォーマンスをすることがホスピタリティにつながる、ということがわかっているのに、なんとももどかしい。

そういえば、こんなニュースもあった。

ニュース;ファーストクラス乗ったのに、誕生日祝われなかった! 「泣いてしまいました」男性乗客、怒りの星1つ

誕生日にファーストクラスに搭乗したのに、客室乗務員はそのことに気づいてくれず、とうとう自分から伝えたところ、謝られてケーキとシャンパンが出てきた、というもの。そのことに男性の投稿者は悲しくなって、泣けてきてしまったという。

これには、ちょっと申し訳ないけど笑ってしまった。なんだか、可愛さすら感じてしまう。いやいや、それはプラスαの部分であるべきで、怒りのクレームというとちょっとずれているように感じる。

この投稿者が、この航空会社に大きな期待を抱きすぎていたからこそ、そうなってしまったのだ。航空会社は謝罪しているけど、これって謝罪することなのかな。

とはいえ、本人からしたら、かなりショックだったのであろう。サービスの内容がどうであれ【評価星一つ】には、変わらない。

期待することは、悪いことばかりではない

そのことで、お客さんが増えてくれるのも事実である。しかし、過度な期待が相手を落胆させてしまうなんて、皮肉なことだ。

 

サービスとホスピタリティの違い

 

サービスの部分と、ホスピタリティの部分を混同してしまうから、こういう事態になってしまうのだ。

サービスとは相手に頼まれたことをすること。つまり、商品の提供だったり、技術の提供、お願いされたことをすること。

ホスピタリティとは、お願いされていないけど相手が望んでいるであろうことを予測して提供すること。

全くの別物だ。サービスには義務があったとしても、ホスピタリティには義務がない。というよりは、義務がないからこそ、期待を超えた嬉しさが発生する。

受け手側が、サービスとホスピタリティの違いをわかっていなければ、話はややこしくなる。日本人は、平等や均衡を重んじることから、特にこの感覚が伝わりづらいのかもしれない。

 

ラテアートに対する意識

 

以前、移動カフェをしている時になんとなく苦手な言葉があった。

「ラテアートって、してもらえるんですか?」という言葉だ。もちろん、喜んでさせてもらいたい!と思っていた。期待してくれることは嬉しいし、そう言ってワクワクしてやってきてくれたお客さんはなんだか可愛い。

しかし、いつもなんだか違和感を感んじていた。

その理由が、今わかった気がする。

おそらく、私にとってはラテアートはホスピタリティの部分だったのだ。相手が望んでいることを察知して提供したい、という部分。

しかし、相手からの要求によってそれはサービスになる。そこの違いが自分な中でしっくりきていなかったのだ。

どちらが悪いわけでもない、双方の認識の違いである。

コーヒーショップのカップの意味

そもそも、手書きだから、自分にあてて書いてくれて嬉しいと感じた人がいた。しかし、それができない状況の時に当たってしまった人が悲しんでしまった。だから、手書き風の印刷をした。

これって、全く以て本末転倒。意味がない。

昔だったら、全く問題なかったことでも、ややこしくなってしまったものだ。

受け手側は、「自分だけ、してくれなかった」という被害者意識ではなくて、過度な期待をせず、たまたまラッキーに当たった時は喜べるくらいに気持ちを緩ませて生活することが必要だ。

本末転倒なサービスは、滑稽だ。

 

サービスとホスピタリティ、それを理解しておくことは粋に生きる第一歩。中島希でした。

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