はかせるオムツから感じた広告の影響
テープのオムツから、はかせるオムツへ
ハーフバースデーが近くなってきたつむつむ君。オムツ替えの時は、自分で足を抱えるほど持ち上げて、なかなか離そうとしません。そして「ちょっと~おむつかえれないんですけど~」という私を尻目に、こっちを見てにやにやしています。
そろそろテープタイプのオムツじゃなくて、履かせるタイプのオムツの方がラクなんじゃない?!ということで、昨日はオムツ売り場に行きました。
はかせるオムツ、といえば
ところで、はかせるオムツ、といえばなんでしょう?
♪はかせるオムツ、ムーニーマン♪
が、出てきたのではないでしょうか。私も、特に深く考えずに選んでいたからか、ムーニーマンを手にとっていたんですよね。だって「♪はかせるオムツ、ムーニーマン♪」って歌いながら、買いに来たから。
無意識、というか、そんなに深く興味がない「まあ、いいか」という事については、マスに向けた広告の影響をもろに受けちゃってるという事実に、買った後からぞっとしました。
これが例えば、わたしだったら。
どこでコーヒーを飲もう?という「自分の興味のある事」については、「まあ、いいか」では決めないんですよね。なんとなく、という理由でスタバには行かない。スタバに行きたい時には「スタバに行く理由があるから、行く」「ここのカフェに行きたいから、行く」
でも、自分がまあ何でもいいか、と思うことについては、多数の他人の意見や広告、有名なもので判断している。無意識のうちに。
自分が選んでいる、と思っていることでも、実は社会に選ばされているということは結構あるのではないかと思うのです。特に、そこに、興味がないほどに。
政治にしても、食にしても、製品にしても
今の日本を作っているのは、社会への関心の無さなのかもしれないですね。きっと、操作する人にとっては、簡単な世の中。
すべてに関心を持つことは出来ないけど、自分たちの未来がかかっていることや、子どもが大人になった時の社会、そういうことには関心を持って選択していかなければ行けないなあ…と実感しました。
今まで、実は選挙にも全然興味がなかった私。
「行かなきゃいけないから」「選ばなきゃいけないから」「正直、誰に入れても一緒でしょ?私の一票で何が変わるの?」恥ずかしいながら、こんなことを思っていました。
今は、子どもが安心して走り回れる社会を、若いうちから何度でも挑戦できる社会を、と切に願っています。こういう事を考えるきっかけになったのは、間違いなくつむつむ君のおかげです。
彼のお陰で、私もちょっとは「関心のある大人」になれるのかもしれません。(まだまだ政治のこととかは、よく分かっていないけど)
はかせるオムツ、から飛躍しましたが。今日はそんなお話でした。
♪はかせるオムツ、ムーニーマン♪なかなかフィットして、ふんわり柔らかくて、良さそうな感じです。つむつむ君、良かったね!
あまりこの場では言えないのですが、おむつ選んでくれてありがとうございます。
おむつから政治の話とは笑・・・
わたくしも正直言って1票で何が変わるんだろうと思っていた者です!