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「アイスのエスプレッソは邪道ですか?」

たまに自転車で寄って行ってくれるお客さんがいます。この前も久々にお会いできた時にこんな話をしました。

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「アイスのエスプレッソは邪道ですか?」

このお客さんは、初めて来てくれた時「エスプレッソのアイスはできますか?」と聞いてくれました。通常エスプレッソにアイスはありません。

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そもそも、エスプレッソとは約30mlのとても濃いコーヒーです。抽出する際にはエスプレッソマシンを使い、強い圧をかけて抽出します。飲み物、という感覚とはちょっと違うコーヒーです。

コーヒーが苦手な人が飲んだら、間違いなく「うえ〜!」と言うと思います。その少量の液体にたっぷりの砂糖を入れてサッと飲むのがイタリアの紳士のイメージです。

※ちなみに、このエスプレッソにミルクを足したり、お湯で割ったりしたものがカフェラテだったりアメリカーノだったりします。

たまに、エスプレッソをアイスと注文されると、「一応アイスはお出ししていないのですが、氷に直接エスプレッソを落とすことはできます。どうしましょうか?」と提案し、その返答の様子を見てエスプレッソを知った上でそう注文しているのか、はたまた、まったくイメージできずに注文しているのか、様子を見守ります。

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エスプレッソを氷に落としている時点で【エスプレッソではなくなっている】のかもしれないのですが、お客さんが何を望んでいるかを私は優先したいので、【お客さんの単語】からではなく、お客さんの様子から想像してお渡ししています。

その方は「この飲み方が好きなんだけど、某コーヒーショップでは、断られてしまうんだ。」と教えてくれました。エスプレッソのアイスという注文では、きっと、「ホットしかありません」という返答になってしまう。注文するとしたら「アイスアメリカーノの、水 抜きで」とかになるのかな?

※アイスアメリカーノは、エスプレッソを氷と水で割ったものである為。

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「エスプレッソ」を注文された際も、注意が必要だったりします。

例えば私はメニューにあえて【エスプレッソ S/W」と記載しているのですが、このSはシングル(約30ml)という意味です。Wはダブルの(約60ml)という意味です。「シングルで。」とか「ダブルで。」と言われたら、間違いなくエスプレッソをよく飲む方だと察して、そのまま作り始めます。

 

ところが「エスプレッソSサイズで。」と言われた場合は、失礼にならないようにさりげなく量やどういうコーヒーかを伝えて確認します。なぜなら、エスプレッソは通常、Sサイズという頼み方はしないから。

お客さんとの言葉のやりとりを通じて、察して、求めているものを一緒に探したり提案したりするのが私はとても好きです。

カフェのメニューは、まだまだ分かりにくいものや、誤解をされているメニューも多かったりします。これを飲みたいんじゃなかったのに…そうならないように、そして、失礼にならないように配慮するのは、提供する側の技量かなと思います。

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一通り話し終えて、帰り際お客さんに「この飲み方は邪道ですか?」と聞かれました。

私が思うコーヒーって、自分が好きなように、美味しいと思う方法で飲むもの。

お砂糖とミルクを目一杯入れたコーヒーを飲んでいるおじいちゃんが、「こうしたら、エネルギーがいっぱいとれるでしょ?」とニカッと笑っていたのを思い出した。戦後を生きたであろうその人からしたら、食べることと生きることはイコールなんだ。

それも、その人の飲みかたであり価値観。誰かが強要することではないし、別に間違っているわけじゃない。

私たちに出来ることは、そのいろんな美味しさや楽しみ方の可能性を伝えていくことなんだなと改めて思った。誤解がないように、正確に伝えていくこと。それ以上は、それぞれのお客さんの楽しみ方を優先する。

コーヒーに邪道なんてない。私はそう思うなあ。

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最後までおつきあいいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月23日 | Posted in NONのこと, バリスタのこと, ブログ3 Comments » 

 

感情は伝染する。受け取りたくない感情は距離をとる。

「イライラしている人と一緒にいると、こっちまでイライラしてくる」「ネガティブな思考の人と話していると、ゲンナリしてくる」感情って感染する。間違いなく、周囲に影響を与えている。

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昨日、その話題を出してくれた男性は、来た時、なんとなくぐったりしていた。不機嫌な同僚と、1日同じ空間にいたため、あまり気持ちのよい1日だったとは言えないようだった。

感情は伝染する。これって本当にその通りだと思う。

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小さい子どもの時から、きっとみんな本能的にわかっているんじゃないかな。

家に帰ると、お母さんがニコニコしていた日。家族の会話がすすんで、リビングにいたくなる。家族の誰かの機嫌が悪い日、とっとと自分の部屋に閉じこもって一緒の空間にいたくないと思ってしまう。

忙しくて、余裕がなくて、店員さんがイラついているお店は、お客さんも少しムッとしてしまうかもしれない。美味しい料理が、美味しくなくなってしまうかもしれない。

上司がご機嫌な日は、仕事がやりやすいかもしれない。職場の誰かの機嫌が悪い日は、なんとなくみんなの空気も濁っていたような気がする。

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人のネガティブな感情は、受け取らないように華麗にスルーするのが1番の方法だと思う。右から左に聞き流せないのであれば、物理的に距離を置くのがいい。ちょっと冷たいようにも聞こえるけど、これ以上、被害を拡大させないための最善の方法。

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そして、ネガティブなことばかりではなく、楽しい気持ちや機嫌がいいというのも確実に感染する。なんだか楽しそうな人とは一緒にいたくなるし、ニコニコしている人がいると空気がニコニコする。ムードメーカーがいると、一気に職場に花が咲く。

誰かに何かをしたい!と強く願うなら、まず最初に自分の感情を保つ方法を知るべきだと思う。自分で自分をご機嫌にする、と言い換えてもいい。

誰かのために、何かをしたいなら、まず自分自身を知らないといけないんだと思う。

同じ24時間を過ごすなら、気持ちのよい24時間を過ごしたい。私なら、ね。

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いつも、お客さんや関わる人たちにいろんな言葉を投げかけてもらうことで、考える機会をいただいている。感じたり、考えたり、閃いたり。ひとりじゃ思いつかないような社会の問題や、人間関係の問題を少し知ることができる。本当に、ありがたいな、と日々思っております。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月22日 | Posted in NONのこと, ブログ, 生きるシアワセ2 Comments » 

 

子どもの「ありがとう」に感動。

昔は、赤ちゃんとか小さい子ってあまり得意じゃなかったです。抱っこするのもなんだか怖かったし、どうやって接していいかわからなくて。

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それが変わったのは、友達の子どもが生まれたり、お姉ちゃんの子どもが生まれたり、子どもと触れ合う時間が増えてきた3、4年くらい前から。なんで今まで苦手だと思っていたのかわからないくらい、可愛くて可愛くて仕方がない。

今は、お子さんと一緒にお店に来てくれるお客さんも増えて、毎日めちゃくちゃ癒されています。

私は、まだママになったことがないので子育ての大変さや、それ以上に《我が子》の可愛さは、本当の意味ではわかっていないのかもしれません。だけど、子どもの可能性って本当に無限大だなと思います。

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先日、姪が来た時にちっちゃな花束をあげました。そしたら、受け取る時に「ありがとう。」と言いました。ママに「ありがとうは?」と言われても言えなかったのに、自分からありがとうと言えたことにびっくりして感動しました。

子どもは親の真似をする、とよく言います。《ありがとうと言わせる》ではなく、《子どもに対していつもありがとうと思って接する》と、その真似をして周りにありがとうと思って接するようになるのかな。

「ありがとう、は?」というと「ありがとう、は?」を、真似してしまうのかもしれない。感謝を求めることを教えてしまうのかもしれない。感謝は求めるものではなく、勝手に湧き出てくるものなのに、その機会を奪ってしまうのかもしれない。

子どもって、面白いな〜。それでいて、すごい学ぶことが多いんだろうなあ。

未体験の私からしたら、誰かの親になることって本当に尊敬に値する。いつも立ち寄ってくれるママさんたちに、お話たくさん聞いてみたいなあと密かに思っています。

小さな小さなお客さんの成長を見られることも、また、楽しみの1つ。

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最後までおつきあいいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月21日 | Posted in ブログ, 生きるシアワセ2 Comments » 

 

元気が出ない時こその、ススメ。

なんとなく、元気が出ない。まるで自分の周りだけどんより雲がかかっているようだ。体も気持ちも重い。誰か元気出させてくれないかな〜。

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そんな日も、あるでしょう。そこに直接的な原因がある場合もあるし、気候やなんとなくの場合もあるかもしれない。そんな時に【何にもしない】というのも、ひとつの手。ひたすら空を眺めたり、夜の海に波の音を聞いたり、【必要ではないことだけど、やりたいこと】をやってみる。

もうひとつオススメなのは、【誰かを元気づけること】

「自分は今、こんなに元気がないのに、誰かのことを元気づけるなんて出来ないよ!」そう思うかもしれない。でも、そんな時こそ、あえて誰かを笑わせてみる。元気づけてみる。

なんでそんなことをするのかというと、心から相手のためを思って発した言葉は、いつも自分に跳ね返ってくるからだ。

お友達が、「今日は大失敗をしてしまって落ち込んでいる」と言っていたら。『大丈夫、そんな日もあるよ。積極的に何かをしたら、失敗するのは当たり前だよ』と返してみる。

「仕事が忙しすぎて、大変。倒れそう。」という人がいたら「少し、休憩してみたら。息抜きも大切だよ。」と返してみる。

そこで、ハッと気付く。自分にも、その言葉をかけてあげれているかな?と。言ったことは、自分が1番近くで聞いている。

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周りの人には優しい言葉をかけてあげられる。だけど、自分のことになると、ついつい厳しい目線で見てしまう。自分で自分を責めてしまう。

でも、本当に優しい人って、自分にも優しい言葉をかけてあげられる人だと思う。

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自分の元気がない時こそ、誰かを元気付けてみるのも1つの手。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月20日 | Posted in ブログ, 生きるシアワセ2 Comments » 

 

晴耕雨読を心の中で感じると穏やかな毎日になる。

晴耕雨読…晴れた日には田畑をたがやし,雨の日には家で読書すること。自分でどうこう出来ないことに動じないで、その日に、その時に出来ることを楽しみなさい。

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昨日は足助での出店でした。朝から、結構な雨。やるかな〜どうかな〜と思いながら足助に向かいました。

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出張予定の日に、イベントの日に、楽しみにしていたことがある日に、雨のことってありますよね。雨どころか台風が来るかもしれないし、雪かもしれない。屋外の場合、それ自体が中止になってしまうこともあるかもしれない。

3年前のある雨の日、お客さんに「今日は、天気が良くないですね。」と話し始めたことから、こんな会話になりました。

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私「今日は、あいにくの雨ですね。」

Kさん「あなたにとって、雨は悪い事ですか?」

私「ん〜、そうですね、でも雨があるから晴れのありがたみを感じられるし、植物も育つし、雨も必要だなって思います。」

Kさん「という事は、やっぱり雨は良くない事、でも必要な事、という認識ですね。」

私「ん〜…。そうなのかもしれません。」

Kさん「すべての物事には、良いも悪いもありません。雨は、雨でしかない。晴れは、晴れでしかない。いいも悪いもありません。雨の日は、雨を受け止める。晴れの日は、晴れを受け止める。先入観で決めつけちゃいけない。生きていれば必ず晴れも雨もあります。誰かがどうこうできることではないし、どうこうするものでもない。その日その日を感じてみるのも面白いですよ。」

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そんな話をしてもらいました。自分にとっては深く心残る言葉でした。それからいろんなものの捉え方が変わっていきました。

始めたばかりの頃は、やりたい仕事がたくさんあるのに、お客さんのいない時間を持て余してしまうのがもったいないなと雨の日に対して思っていました。私にとっては、それがストレスになっていることに気付きました。でも、天気って、私がどうこうできることじゃない。だったら、そういうストレスがかからないように、外でも事務作業できるように、自分で工夫したらいい。ということで、ある時から車内にノートパソコンとwifiルータを用意するようになりました。読みたい本を常備するようになりました。

そして、そんな雨の中来てくれたお客さんと、いつもできないようなのんびりした空気と会話を楽しむようになりました。雨だからこそ、出来ることを楽しむようになりました。

そしたら、雨に対してフラットな感情を持つようになりました。雨もけっこう好きかもしれない。そう思うようになりました。

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自分が、どうこうできないことに感情を左右されるのはもったいない。だったら、自分が選択できることや操作できることに焦点を当てたほうがいい。会社が、こう決定した。相手と、相性が合わない。自分が覆せない規則がある。怪我をしてしまった。

自分がどうこう出来ないことがあるとしたら。それで悩んでも、どうにもならない。自分が変えれる部分に意識を向けた方が、ストレスは溜まりにくいのかもしない。

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あるお客さんの話です。

彼は、高校の時に、部活で怪我をして将来有望だったはずのスポーツを諦めることになってしまいました。それまでは、常にレギュラーだったのに、試合どころか練習もできなくなってしまった。リハビリをしたけど、引退試合までに間に合わなかった。最後の大会に、3年生の中で一人だけ出られなかった。

悔しい思いもたくさんしたはず。その男の子がこんなことを言ってくれました。

「僕はそれまで、挫折も知らず、勉強も運動もそれなりに出来たから、出来ない人の気持ちがわからなかった。レギュラーじゃない人の気持ちがわからなかった。でも、こうして怪我をして初めて、悔しい気持ちや悲しい気持ちや、他人の気持ちがわかるようになった。優しさに気づけるようになった。だから、怪我をしてよかった。もう一回人生をやり直せるとしても、もう一回、怪我をした方の人生を選びたい。

そう言ってくれました。きっと強いってこういうことなんだ。かっこよく、美しいなと思いました。

ある人とっては、「怪我をしたせいで、俺の人生は台無しになってしまった」だとしても、別の人にとっては、「怪我のおかげで、人として成長できた」と捉えることができる。

そう思うと、失敗も挫折も雨の日も、怖くないなって思うんです。何が起こっても『〜のおかげで』と思えるような自分でいることが1番大事なんだと思います。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。足助の雨音を聞きながら。cafebusnonの希でした。

2016年09月19日 | Posted in ブログ, 生きるシアワセ6 Comments » 

 

居場所を求めている人へ

【居場所】…目に見えるようで、目に見えないもの。あるようで、どこにもないもの。

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《ここに自分のいる場所はない》そう思ってしまう人は、意外と多いのかもしれない。物理的な居場所があったとしても、自分の居場所を求めている人は多い。

職場や、家庭や、趣味の集まり、こういったところでは表面上の居場所は確保されている。でも、心の居場所は確保されていないのかもしれない。それだからこそ、こんなにSNSが広がったのかもしれない。

心の居場所として。

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居場所を探して、求めて、彷徨い続けているときは、本当の意味で居場所なんかないんじゃないかと思う。だって、居場所は自分で作るものだから。探したって見当たらない。

居場所を作ることは、偽りない自分を認めること。居心地の良さをちゃんと感じられる感性を持つこと。思考停止の罠にはまらないこと。

※思考停止の罠とは、私が勝手に作った言葉ですが、「みんなと一緒のでいい」「これを信じていれば大丈夫」「テレビでこう言ってた」「誰か私のコトも決めてくれる」という自分で考えることなく生きていこうとすること。考えることをやめること。何かを信じすぎて、自分を信じないこと。自分を信じれないがために、何かに執着すること。

居場所って、誰かに作ってもらうものじゃない。

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居場所なんて、探したって見当たらない。自分で作るしかない。

大丈夫。自分の居場所は、自分の中にいつだってある。自分で自分を信じたら、どこにいてもそれは自分の居場所になる。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月17日 | Posted in ブログ, 生きるシアワセ2 Comments » 

 

たいした言葉も返していないのに、たいしたものです。

昨日は、いつも熱心に勉強されている男性に、お褒めの言葉をいただきました。

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「あなたは、いつもお客さんの話にたいした言葉を返すでもなく、いいアイディアを提供するでもなく、ただ、うなづきながら相槌を打つ。しかし、お客さんは話し終えて、すっかり満足して帰っていく。私は長年学問は勉強しているけど、それが出来ない。いつも感心して眺めています。」

これって、自分にとっては、めちゃめちゃ褒め言葉だったりします。嬉しかったな~。

どうしてこれが嬉しかったのかというと、実は【聞くこと】に興味を覚えているから。正確には、【聞くこと】ではなく、【聴くこと】かな。

最近は、ゆっくり【聴くこと】ができない時間帯も増えてしまったけど、雨の日や空いている時間帯は、貴重な時間。賑やかな時間ではない分、ゆっくり一人一人に向き合うことが出来る時間。

なんで【聴くこと】に興味を持ったのかというと、この仕事を始めてから気付いたことがあったから。生活をしている日常の中に【話したい人と聴ける人】の割合が合っていないといつも感じていたから。話したい人はたくさんいるのに、本当の意味で聴ける人が、あまりいないと思ってしまったから。耳で聞くのではなく、心で聴くと言う本当の意味での聴く。

【聴いてもらうこと】を誰にもしてもらっていないと、誰かの話を【聴くこと】ができず、【話したい人と話したい人】でコミュニケーションのようなものをとっている場合がある。でも、これって本当は全然コミュニケーションはとれていなくて、どちらも独り言を言っているようなもの。

そうすると、相手の意図が読み取れず「なんか、感じ悪いな」とか、お互いに感情がすれ違ってしまう。そこからストレスが発生したり、溜まったりする。

でも、どっちかが聴く姿勢でいると、状況は変わる。話す方も、聴く方も、満足する。納得する。

そうしているうちに、人間関係が良好になって、生きやすくなっていくんじゃないかと思う。そのために、まず自分が聴くことを本当の意味で知り、できるようになる必要がある。

実は、そう思ったのはもう2年くらい前からである。

そして、この聴くというのは、連続して1時間以上や、家族に対してはなおさら難しい。聴く体制や聴ける状態を整える必要がある。それくらい、難しく、体力もいる。

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これから、どんどん勉強していきたいな。

やっぱり、生きるって楽しいな。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの増田でした。

 

「またね」は希望と願いを込めた言葉

今朝、出張できていた海外のお客様が母国に帰られるということで、「see you next time.(またね)」という言葉を交わしてお見送りしました。

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私は、「またね」この言葉が好きです。

また会えるか会えないか実際にはわからない。また出張に来るかはわからない。このお店がその時にやっているかもわからない。定休日だってある。そもそも明日、生きているとは限らない。人間に限らず生き物だったら必ず、終わりが来る。

それでも「またね」という。それはいい加減な気持ちからではなく、【また会いたい】という願いと、【また、会う日まで元気でね】という生きるという希望を見出す言葉だと思うから。

また会える日まで、困難も苦労も、たくさんあるかもしれない。崖っぷちに立たされることもあるかもしれない。

それでも、そんな崖に立った時こそ(まだ、力つきるわけにはいかない、だってまた会おうって約束したもんな。)そうふと思い出したとしたら、困難を乗り切る強さにもつながるかもしれない。そんな可能性が1%でもあるなら、意味は必ずある。

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それから、もう一つの理由は「さよなら」は、120%の笑顔を引き出せないかもしれないけど、「またね」は200%の笑顔で伝えることができる。別れ際の満面の笑顔は、心の中にきっと残る。オレンジ色の、あたたかい記憶として。

だから、好きなんだ。

cafebusnonとしてではなく、増田希として伝える「またね」

2016年09月15日 | Posted in ブログ, 働くシアワセ, 生きるシアワセ8 Comments » 

 

同じ業種でも、いろんな捉え方があるから面白い。

先日、コーヒー屋さんとして、バリスタとして尊敬する大先輩とお話しさせていただきました。

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100人いれば、100通りの捉え方があるから、仕事は面白い。

コーヒーと一口に言っても、ある人にとってはリラックスや癒しを連想させるかもしれない。また別の人にとっては、自分を高めるモノと捉えるかもしれない。技術を高めることってすごく大切なこと。それは必ず自分を高めることにもなる。《商売道具》として、ビジネスとして、コーヒーを捉えるのもまた一つ。

それはカフェに関しても言える。のんびりできる空間に重きをおくのか。特別なコーヒーを提供する場なのか。ご飯がメインなのか。人との距離を大切にするのか。

そして、私が1番興味深いのが《バリスタ》の捉え方について。

私が思うバリスタは、【コーヒーと自分】だけでは成り立たなくて、必ず【お客さん】という第三者が存在しているということが頭にある。お客さんという相手がいるからこそ、バリスタは必要とされるし、存在する価値がある。

でも、それは私が勝手に作り上げている理想のバリスタ像かもしれないし、別の人にとってはそうじゃないかもしれない。多様な価値観があらわれる個人店って、本当に面白い。

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正解も不正解もない。

長く続いているお店って、【好き】と言ってくれるお客さんが多かった、ということなのかもしれない。だから、すぐに閉めてしまったお店が【不正解だった】というわけではないんじゃないか、とも思う。

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人生の先輩と話す機会をいただけるというのは、本当にありがたいなあ。ありがとうございました。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました、豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした

2016年09月14日 | Posted in バリスタのこと, ブログ, 働くシアワセ2 Comments » 

 

好きなことを仕事にすると、嫌いになるかもしれないと思っている人へ

「好きなことを仕事にすると、嫌いになりませんか?嫌いになりたくないから、好きなことは仕事にはしたくないです。」

私は今まで一回もこう思ったことはなかった。好きなことは、好きなこと。嫌いになることはない。絶対に、と言い切れる。だから、好きなことを仕事にすることをためらうのなんてもったいない!そう本気で思っていたのだけど、ある方のインスタの投稿を見てハッと気付きました。

《趣味とは、自分を喜ばすこと。仕事とは、相手を喜ばすこと。》

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(@mizunazuma 許可を得てみなみちゃんのインスタよりお借りしています。)

好きなことっていうと、真っ先に思い浮かぶのはきっと、趣味。

自分を喜ばすことが目的。誰かを喜ばせるためじゃない。だから、仕事となるとちょっと違う・・・仕事にするには相手が必ず存在する。仕事は、自分のことより相手のことを考える必要がある。

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好きなことをして、《自分が喜ぶこと、をして、相手が喜んでくれる》これがもしかしたら、一番理想的なのかもしれない。そういう事業も実際にきっと、成り立つ。でも、もしかしたらカリスマ性みたいなものがいるかもしれない。自分と、仕事と、相手の三つの円がぴったり重なった時に、成り立つんだと思う。

もう一つは、

得意なことで《人を喜ばすこと、で、自分を喜ばす》こと。そして、それを繰り返していくうちにそのもの自体をどんどん好きになること。もしかしたら、こっちの方が簡単なのかもしれない。というか、私はきっとこっちだ。それが接客業で、カフェ業だ。

《好きなことを仕事にした》っていうよりは《興味があることに飛び込んでみたら、好きって気付いた。それで相手が喜んでくれたから、もっともっと好きになった》って言った方が正しいのかもしれない。そうしているうちに、好きなことを仕事にしたと思えるほど、好きになっていったのかもしれない。

《好きなこと》に対して、なんでそれを好きになったのかと考えることや、真っ向から向き合うことって、面白い。

好きなことや得意なことで、自分を喜ばすのもいい。でも、1回だけ、それで誰かを喜ばせてみよう。「自分ひとりの方が楽しい」そう思ったら、それは趣味にしておいた方がいい。でも、もしもその時、楽しいと感じたら・・・それはきっと素敵な仕事になる。

みなみちゃん、ありがとう。

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最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

2016年09月13日 | Posted in NONのこと, ブログ, 働くシアワセ4 Comments » 

 

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