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絶望の向こう側~HAPPY BIRTHDAY~
お久しぶりです。無事に出産を終えて退院しました。
心配してくださったかた、ありがとございました。母子ともに健康で、今日で1週間経ちました。
入院中は一切パソコンが使えなかったため、すこし報告が遅れてしまいましたが、退院後は実家でのんびりさせてもらってます。
初めての出産。もう、びっくりすることだらけの衝撃的な一日でした。
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友達も、親も、お姉ちゃんも、その辺を歩いているママも。出産ってたくさんの人が経験していること。大変かもしれないけど、痛いかもしれないけど【お腹に命が宿ったのなら、普通に乗り越えられるもの】だと思っていたんですよね。
でも、陣痛が来て、病院に行って、どんどんどんどん痛くなって。分娩台に上がる頃には、大げさじゃなく『この世の終わりだ。。。』って思いました。痛すぎて。
特に衝撃的だったのは、「頭見えてきたよ~」と助産師さんが言ってくれた時。赤ちゃんの頭の大きさがだいたいどれくらいで、どのくらい頑張らないと出てこれそうにないかを実感した時。
(なにかの冗談でしょ!こんな大きなもの、ここから出せない!ムリムリムリムリ!冗談はよしてくれ!)と。気が遠くなったというか、気絶しそうになりました。
日頃【出来ない】とか、【私には無理】とか、そういう言葉を封印していたのに。この時ばかりは理性ではどうにもならなかったです。このまま産めないんじゃないかという絶望感。
本当に、びっくりしました。
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よく《鼻からスイカを出すくらい痛い》とか言うけど、それだとちょっと誇張しすぎてて分かりにくい。超リアルな感覚で言えば、鼻の穴からピンポン玉、口からグレープフルーツ、便秘の時に大根。そのくらい、サイズが全然合ってない。
出産は、死ぬ気で挑まなきゃ乗り越えられない。そんなことを知りました。
そして、無事に産んだ後、助産師さんのかけてくれた声がまた衝撃的。
「いや~超安産でしたね!」
ええぇぇぇ!!!こんなに死ぬかと思ったのに、超安産!?いやいやいやいや!難産の人、どんなけ辛いんだよ!大丈夫なのかよ!と、またここで頭がクラクラしました。
たしかに、病院について本格的な陣痛が始まって5時間。その後、分娩台に上がって1時間しかたってなかったので、初産の平均の約半分の時間で産めました。
でもでもでもでも!
安産だからって、決して楽なわけではなくて。そして、帝王切開であれば産後の痛みはさらに大きく、身体にはもっと大きなダメージも残るといいます。
改めて《出産は命がけ》という言葉の意味がわかりました。そして、それを乗り越えてきたすべてのお母さんに敬意を抱きました。
出産が終わって、意識がふわふわしている中。なぜか頭に安倍首相の顔と『少子化』の文字が浮かんできました。そして「こんなに痛かったら、そりゃあ少子化になるわ」と、論点のズレたツッコミをしている自分がいました。笑
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産まれた直後に抱っこさせてもらった我が子の感触は、きっと一生忘れることは無いと思います。
生まれたら1番に「誕生、おめでとう!この世界は、とっても素晴らしいところだよ」と、教えてあげようと思っていたけど。教えてもらったのは、私の方でした。
君が生まれてきてくれたことで、私はまた1つ、この世界の素晴らしさを知りました。
絶望の向こう側にあったのは、柔らかくて温かくて、愛おしすぎる存在でした。
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名前も無事に決まりました。
《自分の人生を、自分の手でたぐり寄せられる人に》という意を込めて名付けました。
自分にとって大切なものを、丁寧に扱い、カタチにしていく。次につなげていく。そんな意味もあるんじゃないかな、と思っています。
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しばらくは、バタバタになりそうですが、自分の足で自分の道をしっかりと歩いていけるようになるまで、親子3人で一緒に成長できたらいいなと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。新米ママ、希でした。
あぁ…かわいい。笑
焦らす男と高まる女
お久しぶりの更新です。
ここのところ、猛烈な眠気と胃の不快感によって、これまで以上にゆーーーーっくりしておりました。
朝、旦那さんを送り出して、気を失ったように夕方まで寝てしまったり。1日20時間くらい寝てる日もあったんじゃないかと。笑
なんせ臨月に入ってから、体調が著しく変化してました。
妊娠37週と4日。
そして、ついに。30日の金曜日の夜に破水。検診の結果、そのまま入院。
「やったーーー!ついに赤ちゃんと対面できる!わくわくわくわくわく!」
と、興奮MAXだったのですが…
次の日の朝の検診で、まさかの。
「昨日の破水の穴がめちゃくちゃ小さかったみたいで、今もうふさがってるので、一度退院しましょうか。このまま促進剤使っても、まだまだかかりそうです。」という話になり、12時間で退院。
(なんじゃそりぁ~~~~~!)
朝ごはん食べて、帰ってきました。
これはもう、完全にあれですね。焦らされています。さすがです。笑
そもそも焦らすというのは、恋愛においてとても有効な手口であり、相手にさらなる興味を抱かせる手法である。しかし、焦らしすぎれば相手は興味を失うか、自信を喪失して去ってしまうことにもなりかねない、非常に繊細な駆け引きなのである。
恐るべし、胎児。
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夜中に、陣痛室でうとうとしていた時。
となりの妊婦さんがちょうど出産されるタイミングだったのですが、陣痛のたびにうめき声が聞こえてくるんですよね。
それはそれはもう、聞いていられないくらい、悲痛な声で。
母って、すごいなあ~。やっぱり、出産って人生の一大事だなと思いました。
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そんなこんなで、赤ちゃんと対面できるのはもうちょっとだけ先になりそうです。
ふたりで1つ、をもう少し楽しみたい気持ちと。
早く会いたい気持ちと。
ん~。女心は複雑です♡
近々、いい報告が出来ますように。
感謝は幸せになるための道具じゃない②
実は、前回の記事はアップしようかしまいか迷っていた。
伝えたいことをうまく伝えられなかった場合、とんでもなく無礼なヤツになる可能性があるし、きっと考え方が違う人が大多数であろうことが予想できたから。
でも、書きたいことを書いたらすっきりしたので、今日も書きたいことを書きます(笑)
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先日の記事を書いて、コメントをもらって、その返事を書きながら気付いたことがある。
感謝とは行為や行動ではなく、感情であるということ。それと同じように、幸せもまた、感情であるということ。
幸せを、環境や状況だと思い込むから『なる』とか『なれない』とか『求める』とか『求めない』という発想になるのであって、そもそも幸せと環境は関係のないものである。
いや。『関係がない』は言い過ぎかもしれないが、はたから見たら【不運】と思われるような事柄の中にも、幸せが存在することもあるはずだ。
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例えばの話。
今、私の中には35週になったばかりの命がある。普通にいけば、あと一ヶ月前後で出産となる。ところが、この週数になってもお腹の中で命が途絶えてしまうこともある。
1時間、胎動がなかったら必ず病院に電話してください。
20秒以上、お腹の張りが続いたら、必ず病院に電話してください。
出血が、鮮明な赤色だったら必ず病院に電話してください。
これは後期母親教室で、口を酸っぱくして院長先生から言われたこと。
そして、先日改めて見たドラマ『コウノドリ』の中でも使われていた「出産に、100パーセントはない。赤ちゃんを産むということは、誰にとっても命がけ」という言葉からも分かるように『絶対』はない世界。
もちろん、誰だって命が無事に生まれてくることを祈って願っているし、信じている。
でも『絶対、安心』ということは、絶対にないのだ。
もし、万が一、自分がその状況になってしまった時。それがどれほど辛いことなのか、想像を絶する。
それでも、すぐには難しいかもしれないけど『9か月間、幸せな時間をありがとう』といつか思えるのか。そう受け止めることが、いつの日かできるのか。
悲しい出来事のなかにも、幸せを見つけられるのだろうか。そんなことも考えるようになった。
※重い話題でごめんなさい。気が悪くなった方がいたらごめんなさい。決してネガティブになっているわけではなく、不安からくるものでもなく、いたって冷静に。出産するということがいかに奇跡的であるかを知り、万が一の場合を常に覚悟していないといけないなと思っているまでです。
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話を【感謝】のほうに戻して。
私には、挑戦したい子育て(実験?)がある。
それは子どもに『感謝という気持ちをどう伝えるか』『ありがとう、をどう教えるか』ということ。
誰かに何かをもらった時、助けてもらった時。「ありがとう」という言葉を教える為に「○○ちゃん、ありがとう、は?言えるでしょ?」とママが言うとする。何かを受け取った時、お礼をいうことを教えるのは素敵なことだ。
ところが後日、「ありがとう、は?」と言われてきた子が、お友達やママに対して何かをしてあげた時に「○○くん、ありがとう、は?」と言っているのが聞こえてきて、それがすごく印象に残っていて。(あまりに大人顔負けの口調で言うのが可愛くて、周りの大人も顔を見合わせて笑ってしまった♪)
いかに「ありがとう」の本質を伝えるのが難しいのかが伺える。
いつか子どもができて「ありがとう」を教える立場になった時に、どう伝えようかということを実は3年も、4年も前から考えていた。
まず考えられることは、親自身が「ありがとう」という言葉を使う場面のお手本を見せること、であろう。
バスに乗ったら、運転手さんにありがとう。花が咲くのは蜂さんのおかげだね、蜂さんありがとう。パパ、今日もお仕事頑張ってくれてありがとう。そして本人には、生まれてきてくれてありがとう。
コツコツと毎日、その場面を見せていくしかない。
そして、もう一つは、感情をセットにして伝えること。
「○○くんがおもちゃを貸してくれて、嬉しいね!そういう時は、なんて言うんだったかな?」そんな問いかけを根気強くしていくこと。
「ありがとう」という言葉だけを教えるのではなく、なぜ「ありがとう」と言うのか、ありがとうという時はどういう気持ちなのかを伝えたいと企んでいる。
(まあ…実際には、そんなに余裕のあるママになれるのかは分からない。こんな偉そうなことを言いながら、まちなかで怒鳴り散らしている私を見かけたら、ぜひとも全力でスルーしていただきたい)
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子育ては感謝や幸せを掘り下げるには、もってこいの機会ではないかと思う。
人が育っていく過程、思考回路を形成していく過程を一番間近で見られるなんて、人生に何回あることか。
この実験の結果は、何年後になるか分からない。それに成功も失敗もない。とてつもなく時間がかかるかもしれないけど、個人的には非常にワクワクする人生のプロジェクトである。
(私のプロジェクトであって、子どものプロジェクトではない。過度に期待せず、冷静に見守っていかなくてはいけない。)
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【感謝】【ありがとう】そして【幸せ】
単語にしたら一言だけど、百人いれば、百通りの考え方があるはずだ。いろんな人にとっての言葉の解釈を聞いていくのは、非常におもしろそうである。
今回は、あくまで私の解釈である。正解でも、絶対でもない。
でも、誰かにとって「そんな考え方もあったのね~」という1つのアイディアになれば嬉しい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。は~、今日も書きたいこと書いてスッキリした♪中島希でした。
感謝は幸せになるための道具じゃない①
Facebookやブログを見ているとよく出てくる『感謝。ありがとう』という言葉。
私もよく使うし一般的に『いい言葉』として認識されている。
自分でもよく使っているのだけど、時に違和感を感じることも…
気持ち悪さというか。これがなんなのか分からなくてもやもやしてたので、少し改めて考えてみた。
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とあるタレントさんのブログで「家族(仲間)のみんな、ありがとう!日々、感謝感謝です!」という言葉を頻繁に書かれているのを読んだ。それと同時に、その方は離婚調停中の旦那さんに対してものすごい恨み「絶対に許さない!呪ってやる!」というような言葉を書かれているのを目にした。その時、強烈な違和感と恐怖を感じた。
【仲間】自分を擁護してくれる人やわかってくれる人、応援してくれる人には「感謝、ありがとう」だけど、
【敵】自分の不利益になる人には、攻撃心が収まらない。
もちろん夫婦間で何があったのかなんて分からないから、そこまでの恨みがあるなら簡単に許せる話でもないのかもしれないし、他人の夫婦関係にどうこう言う権利はないのですが。
本当の意味で【感謝】を感じている人なら、こういう発想にはならないような。
ん~違和感。
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ここまで極端ではないにしても、人に感謝を強要したり、強すぎる正義感で【良い】を押し付けてしまう人、【悪い】を徹底的に吊るし上げる人。他人の家庭事情に感情移入する人。何かがおかしい。
話を戻して。特にFacebookは感謝という言葉で溢れている。感謝を感じる人が多くなったのだとしたら、日本は豊かになる。
でも、実際には、日本は豊かになっているのだろうか?幸せを感じる人は、増えているのだろうか?
その違和感を追っていくうちに気付いたことは【感謝】を幸せになるための道具として使っている人が増えているのではないか、ということ。
「感謝」「ありがとう」と言葉に出して言うことは、確かに『いい事』であるし、誰も傷つかずに周りにも自分にもいい影響をもたらす。
でも、それは【結果的に】であって、それを幸せになるための手段として使うのはおこがましいのではないかと思う。
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そもそも、感謝って【しなきゃいけないもの】でもないし【させるもの】でもないし【求めるもの】でもない。
ただ、沸き上がってしまうもの。どうしようもなく溢れてしまうもの。
それを実感して幸せを感じた人が、誰かに伝えようと思った時に、受け手側が「誤った捉え方」をした場合、言葉の一人歩きがはじまる。
毎日、ありがとう、感謝と言う=幸せになれると思い込んでしまう。
でも、本当に大事なのは【ありがとう】と思えることを目の前の現実から見つけることであって、感情を伴わずに記号として発することではない。
口で発すると意識しやすくなるから、日常の中から「ありがとう」を見つけやすくなる。それが習慣化する。
それをわかりやすく伝えるために【ありがとう】と言おう!と伝えているのであって、【ありがとう】と言えば、もれなく幸せになれますよ、ということではない。
「ありがとう」と言ったから「幸せになれる」のではなく、「ありがとう」と発した瞬間に得られるものこそが「幸せ」なのである。
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感謝は、作るものではないし、求めるものでもない。幸せは、憧れるものでもないし、追うものでもない。
感謝は、幸せになるための道具じゃない。
感謝は幸せと同様、そこに在る出来事や存在に気付くことだ。
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こう書いてみると【伝える】という作業は慎重にならなくてはいけないし、発信している以上は誰かを不快にさせている可能性がある。間違った伝わり方をしてしまう可能性もある。
それでも、伝えようとする人が好きだし、そういう人でありたいと思う。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。今日も、今日を感じながら過ごせますように。中島希でした。
秋の声を聞きながら、思うこと
今年の夏、最初で最後のかき氷。
めっきり涼しくなりました。
7月終わりからつけっぱなしにしていたクーラーも、8月後半で必要なくなりました。
(24時間クーラーつけっぱなしでも電気代はそう変わらないという話を聞いて、1か月くらいやってみました。本当にその前の月と比較して2000円くらいしか変わらなくてびっくり!)参考;毎日24時間クーラーをつけっぱなしで一ヶ月過ごした結果
窓を開けていると、家の中からでも季節を感じます。
鳴く虫の種類が変わってきて、窓の外からは毎日秋の声がします。夕方から夜にかけては、スズムシも鳴くようになりました。
もう一つ季節を感じることは、春と夏と秋では生えてくる雑草(本当は雑草という一言で片付けてはいけないのかもしれないけど)の種類が全然違うということ。
春にはクローバーやタンポポがどんどん面積を増やし、夏にはツル系の植物がとんでもないところまで伸び、秋には気付いたら猫じゃらしやススキで埋め尽くされている。
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夏らしいことしなきゃ!とか、季節のことを楽しみたい!っていう気持ちもあるけど。
ただ、静かに生活しているだけでも、目の前の小さなことに目を向ければ、こうして季節を感じることはできるのかもしれないなと気付いた今年の夏。
この家に引っ越して、なーんにもしなくても満たされてるってことを知りました。
こうして日々生きているだけで、幸せなのかもしれない。
もうすぐ引っ越して1年経とうとしているけど、本当に直感のままに契約して(いや、旦那さんに契約してもらって。笑)よかった。
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比較と検討が苦手な私は、いつも自分の直感を1番信頼していて、よく考えるとか人の意見を参考にするとか『計算に計算を重ね、先々を見通す』とか、そういう能力がちょっと弱い。笑
でも、それでいいんだと思う。そういう部分は得意な人にお任せしちゃえばいい。
私は私を信じて、私が信じた人を信じて、生きていければいい。
今年の秋も、いい秋になりますように。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。9月も穏やかに暮らせますように。中島希でした。
妊娠発覚時の気持ち。妊娠32週
気がつけば、妊娠9か月にはいっていた。
週でいうと、32週目。
7か月あたりから、子宮が胃を圧迫するからか食欲も落ち着き、気になっていた体重管理も今のところ順調そう。(1日1つと決めたアイスは、まだまだ止められそうにないけど、これは良しとする。)
一応、予定日は10月17日だから、順調に行けばあと約1ヶ月半。
もうすぐ、赤ちゃんに会える。
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妊娠発覚は2月の半ば。
豊橋の図書館に出店の日。少し家を出るのが遅くなって朝ごはんを食べられず、ドライブスルーで朝マックして食べながら向かうことに。
午前中から胃のムカつきが止まらなくなり(久々に食べたら、ハッシュポテトの油が合わなくなったのかな~)と思いながらやり過ごすも、なんだか違和感を感じる。※あんまり繊細な体ではないから、いつもだったら多少ジャンクフードを食べようとなんてことない。
なんかよく分からないけど、女の勘で(もしかしたら…)とその日は1日そわそわ。
ここのところビールが1缶飲みきれなくなっていたこと、あんまり美味しく感じなかったことを思い出し、ますます(もしかしたら…)が強くなる。
その日の帰り道に、妊娠検査薬を買って薬局で検査してみると。
【…陽性】
薬局のトイレだというのに、泣いた。
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早く旦那さんに言いたい!と、帰りを急ぐ。(たぶん、こらえきれなくて運転しながらめっちゃニヤニヤしてたと思う)
「ただいま~!ねえねえ、お土産あるよ~!」と言って、妊娠検査薬を差し出すと「え?え?え?」とはてなマークが浮かんでた。(そりゃあそうだ)
嬉しかった。とにかく、嬉しかった。
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初めて、心拍が聞こえた時。感動して、また泣いた。鼓動があるっていうだけで、こんなに幸せな気持ちになるということを知った。
こんなに小さいのに「生きている」
初めて命の始まりを目の当たりにして、奇跡かと思った。
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母子手帳をもらいに行った日は、たまたま自分の誕生日の日だった。
説明されながら、母子手帳を目の前にして(わたし、母親になるんだ…)そう思ったら、ポロポロと涙が止まらなくなった。説明してくれたお姉さんは、とても心配してくれた。不安で泣いているか、何か事情があるか、と思ったに違いない。
でも、そうじゃない。ただただ、嬉しくて幸せだったのだ。
大切な誕生日プレゼントになった。
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仕事、どうしよっか。安定期に入ったら、みんなに言わなきゃ。その期間は、そのことばっかり考えていた。
あと、2か月で辞めよう。そう決めてからは、1日1日がこれまでよりさらに特別なものに思えた。
お客さんは、みんな妊娠を喜んでくれた。たくさんのおめでとうという言葉をもらった。自分のことのように心配してくれたり、たくさんのお手紙やお花、赤ちゃん用品、御守りも頂いた。
いろんな神社の御守り。たくさんの人が、願ってくれた想い。
「生まれる前から、君にはこんなにたくさんの味方がいる。だから、大丈夫。」そうお腹に話しかけた。
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今、ふとした時に自然とお腹を撫でている自分がいる。
そして、昔おばあちゃんが教えてくれた【手からは、気が出ている】という言葉を思い出す。
おばあちゃん曰く、身体の痛いところに手をかざしていると、じんわり温かくなって、治る らしい。
「のぞみちゃん、お腹が痛い時にはこうやって手をかざしたら治るからね。」そう言って、泊まりに行った時には優しくお腹に手をかざしてくれた。
そうか。
手は、誰かを温めるためにあるのかもしれない。
そして、大切なものを守るためにあるのかもしれない。
そう思うと、自分の手がますます愛おしくなる。
あと、数週間。たくさんお腹を撫でてあげよう。生まれてきたら、優しく温めてあげよう。
君と会える日を、心待ちにしています。
本当にやりたい事を追う覚悟
先日、嬉しい事がありました。
「本当は、こんな事をやりたい!自分の人生を生きたい。」という相談をしてもらったことです。
移動販売の時から来てくれていたその子は、どっちかと言うと夢を追うタイプというよりは現実的でとても頭のいい女の子。おそらく、家族や先生に期待されて育ってきたんじゃないかなって思えるような優等生。
大学卒業後に会社に就職して働くうちに、自分の生き方に疑問を抱いたそうで。心の中に眠っていた【やりたかったけど、周りの反対や現実を見て蓋をしていたこと】自分の本心に気が付いたとのことでした。
まともな常識的な人に相談したら、「失敗するかもしれないし、挑戦するのなんかやめときな!」といわれてしまうような相談事を受ける事が多いです。こういうのって、ちょっと嬉しかったりします。
「この人になら、言っても笑われないんじゃないか。」とか、「応援してくれるんじゃないか。」とか、思ってもらえているとしたら、とても嬉しい。
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そもそも、私に相談してくれるって事は背中を押してほしいときなんじゃないかな。と、(勝手に)思っています。無意識のうちに、反対されたいと心の中で思っているときには、きっとこういう感覚型の人間には相談せず、すべてを計算して諦める理由を提示してくれる人に相談するはず。
私も、何も考えずに「賛成!応援!」するわけではないですが、その人の環境を知った上で「挑戦しても、のたれ死ぬことはないだろう」「1度や2度失敗しても、生きていけるだろう」と、うまくいかなかった前提で考えて、生死に関わる問題ではないと思ったら「やってみたいことは、やったほうが良い!」と、思ったままを伝えます。
背負うものがある人や、家族を養う立場の人、自分だけの問題ではない人には背中を押せないこともあります。
今回は、実家もあって、まだまだ若くて、自由に動ける立場の子だったので思ったままに伝えました。「挑戦しても、きっと死なない。全部失ってもいい、と思えるだけの覚悟があるならやってみたら!」
この「全部失ってもいい」というのは、頭をまっさらにして一旦どん底まで落として考えるということです。
安定した生活、将来の保障、定期的に入ってくるお金、恋人との時間、家族からの目、友人、などなど。無くしたら怖い、と思い込んでいるものを【挑戦したら失うかもしれないけど、本当にそれでもやってみたい?】と、自分に問うことです。
『それでも、やってみたい』
そう思える覚悟がないと、その先に進むのは難しい。うまくいかないかった時に挑戦したこと自体に後悔してしまう人を見ていると、どん底のシュミレーションはしていなかったのかもしれないなーと思います。
そして、覚悟を決めて動いてみたら気付くはずです。
『失うものなんて、本当は何もないんじゃないか?本当に大切なものって、実はそんなに多くはないんじゃないか?』ということに。
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この、一見ネガティブにも思える考え方は、移動販売を始める時に当時カフェで一緒に働いていた男の子が教えてくれた言葉です。
『頭の中を真っ白にして、すべての条件を取っ払って、考える。そした本当に大切なものが見えてくるよ。』
すべてを上手くいくように考えるのも、やる気を引き出すのには効果的だと思います。同時に現実逃避でもあります。思った通りにいかない時の危うさもあります。
それより【上手くいかないかもしれないけど、それでもやりたい】という覚悟を一度した決心は、強いと思います。
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ちょっと話は逸れますが。
この前、テレビを見ていたら、何にもない島に移り住んだ20歳の女の子が出ていました。元キャバクラ嬢で、たくさんお金をもらって、たくさんお金を使って、ブランド物が大好きだったその子の言葉が心に残りました。
「私にとって本当に大切なものって、本当は少ししか無いのかもしれない。今までものやお金に囲まれて執着していたけど、何にもない島に来たら、自然があって、身体が動いて、笑っていられることだけで十分なのかもしれない。」
そんな風に笑っていました。
そぎ落とせばそぎ落とすほど、大切なものは見えてくるのかもしれないです。
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あなたの一番大切なものを、大切にできる人生でありますように。
最後までおつき合いいただきありがとうございました。私にとっても、いろいろ考えるきっかけになりました。ありがとう。中島希でした。
わたしと本の関係
最近、よく図書館に行きます。
図書館には膨大な本があります。時間がないときには1冊の選択に時間がかかるのを懸念してあまり行かなかったのですが、今はたっぷり時間があるのでものすごく棚とにらめっこしてます。
図書館に行くと、3~4時間かけて10冊くらいを選び、1週間後に返却がてらまた借りていくというルーティーン。
興味のあるゾーンから、目に付いた本をひたすら開いて、ピンときたら借りる。こなかったら、戻す。
それを永遠繰り返しています。図書館って、なんて素晴らしい施設なんだろうと改めて感じています。
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仕事を辞めてからも、接客関係の本や、人間関係の本、マーケティング関係の本、やる気が出てくる本、思考方法の本、など仕事関係の本に興味があるようです。最近は、あえて何も考えなくても読めるゆるゆるのエッセイや小説も少しだけ取り入れるようになりました。
でも、やっぱり興味があるのは、現実的な本。
そして、本を読んでいて特に心に残る文章や項目って、自分が強く共感した部分だったりします。
「こんな風に考えていたのは、私だけじゃなかったんだ!」とか。
「そうそう、この問題を私も抱えていた!そうやって解決できるんだ!」とか。
「この著者さんと考え方が近いな、親近感が湧いちゃうな。」とか。
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昨日読んだ本には「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」に対する違和感が綴られていました。
私も接客をしていて、「記号としてのいらっしゃいませ」や「ありがとうございました」に対する違和感がかなりあったので、なるべく使わないようにしていました。
※(「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」って、いい言葉だとは思うんです。当たり前のようにどのお店でも使うし、接客用語の大切な挨拶だとも思います。でも、同時に、お店側からの目線だけで発している言葉なんじゃないかとも思うのです。
私は「いらっしゃいませ」と言われるより、「こんにちわ」と言われる方が好きだし、「ありがとうございました」と言われるよりは「いってらっしゃい」や「良い1日を」「また明日」という言葉の方が、お店側の一方的な言葉ではないから好き。この辺は、個人の感覚かもしれないです)
昨日の本を読んだ時、もしかしたらそんなことを考えている人って結構いるのかも…と心強い気持ちになりました。
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そもそも、自分とまったく考えの合わない著者さんの本は、全然読む気になりません。そこから学べることも多いはずなんですが、読んでいて楽しくない。
無理して楽しくない本を読むのは時間の無駄だと思っているので、途中で「この本ぜんぜん進まない」と思ったら、そのまま閉じて返却します。
最後まで読むことが目的ではなく、読んでいる間に心地よくなれるのが目的。
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私は、自分自身を肯定する手段として「本を読むこと」をしているのかもしれないです。
【自分で自分を肯定してあげれれば、それでいい】と、わかっているのに、なかなかそれが難しい。だから、私が私を肯定する手段として本を用いているのかもしれないです。
(そう思うと、なんて利己的な理由で本を読んでいるのだろうとも思いますが、誰にも被害がないから良しとします。)
心ゆくまで読書に没頭できる日も少なくなってきました。本とわたし。良好な関係であと2か月過ごしたいと思います。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。今日は何の本を借りようかな。中島希でした。
損とか、得とか。
損得の価値観って、それぞれ。
昨日、とあるデパートに行ったときのこと。会計時に「ポイントカードはお持ちですか?お作りしますか?」と聞かれ。
よくあることなので「いえ、結構です」とキツくならないようにお断りした。
私、ポイントカードがなぜか嫌いで。よっぽど好きな店かよく使うお店1、2枚しか持たないようにしている。
そんな私のことなどレジの人は知らないので「持っていて損はない、すぐにお作りできます、お名前だけご記入ください」というようなことを、3分ほど口早に説明される。
自分も、レストランやカフェの時に経験があるからよくわかる。本部からお客さんにポイントカードを勧めるように業務連絡が来ていたり、1日で10人会員を作ろう!みたいなノルマがある場合もあったりして。
でも、いらないものはいらない。
なので、また丁重にお断りする。「ポイントカードが増えるのが好きではないので、結構ですよ」
「…そうですか。」
残念がる年配の店員さん。あれ、なんだか、気まずい空気。笑
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だいたい「持っていて損はない」とか「お得です」というのは、その人の価値観なのであって、私にとっては財布の中が0.1m増えるのは、ポイント還元率より明らかに損なのである。
しかも、ポイントカードや割引券は、時に純粋な自分の意思を曲げる恐れがある。
例えば、定食屋さんに入ったとして。
A定食にしようか、B定食にしようか迷ったとする。(今日は、B定食にしようかな~)なんて思っていたところに、【A定食割引券】があったのを思い出して(やっぱりA定食にしよう)と決めたとしたら、それは純粋にどちらが食べたい気分だったのか、自分の本当の気持ちを無視したことになる。
まあ、これはどうでもいい例えなので、A定食でもB定食でもどっちでもいいのですが(笑)
人生の大事な場面で、大きな選択の場面でそういうことが起こらないとも限らない。
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そもそも、ポイントカードや割引券自体が、そうやって選択してもらいやすいように作られているのだから、お店側や企業側にとっては当たり前の話である。販促運動は、企業努力である。
でも、そうやって無意識に行動を促されたり、選ばされたりするのは、なんだか気持ちが悪い。
自分の純粋な意思で、フラットな状態で選びたいので、なるべく余分な情報は入れないようにしている。
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「お得」という言葉自体が、そもそもあまり好きではない。
【あなたにとってはお得でも、私にとってはそうでもない】ということは、多々ある。
(金銭的に)お得になります!…の代わりに30分かかります。というのは、全然お得ではないと思うし、
これを買ったほうがお得!…の代わりにスペースを占領する家具や雑貨は、全然お得ではない。
昔は、時間に対しての価値の比重が高くて、最近は空間(スペース)に対しての比重が高い。
なるべく、モノを無くしたい。なぜなら、目からの刺激を少なくしたいから。モノがたくさんあると、視界にいろんなものが一緒に入ってくるため、疲れてしまうのである。便利グッツを使うより、視覚や聴覚からの刺激で疲れるほうが、自分にとっては我慢しがたい。
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得とか損とかは、それぞれの価値観の中にある。つまり、何が得で何が損かなんて一概には言えない。価値観を押し付けるのではなくて、相手を理解しようとする価値観を持っていたほうが、仕事もプライベートもうまくいくような気がする。
こんな風に文章にしてみると、私ってつくづく面倒くさいなあと思う。笑
そんなこんなで、得とか損とかについて考えられる1日になったので、レジの店員さんには感謝。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。「ママにとっては良くても、僕にとっては損害だ!」なんてことを将来子供が言い出したら面倒くさいだろうな。未成年のうちは私に似ないで純粋な子に育ってほしいと切に願う。中島希でした。
来た時よりも、元気になるスーパー
主婦になり、スーパーに行くことが増えました。
そんなに長い時間いるというわけでもなく、ささっと必要なものを買って帰るだけなので、いつも滞在は15分もないくらい。
でも、自分の中で好きなスーパーと苦手なスーパーがあることに気付きました。
「なんだか、このスーパーに来ると元気になるなあ。」そんなスーパーと「なんだか、覇気がなくてどよんとした気分になるなあ。」そんなスーパー。
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私のお気に入りは「やまのぶ」というスーパーと、足助の「パレット」というスーパー。
品揃えが好き、というのもあるんだけど、それだけじゃないような気がします。
特に足助の「パレット」というスーパーは、レジでお会計をするときに人の温度を感じます。
レジは、なるべく機械化すれば人件費がかからないから、半分セルフのお店も増えてきました。それはそれで効率的ですごいアイディアだとは思うのですが、なんだか味気ない。
パレットは、真逆。1つのレジを2人がかりでマイバックに袋詰めまでして渡してくれたりします。
「マイバックを忘れちゃったので、袋詰め大丈夫ですよ♪」と言った時には、近くにあった小さなダンボールを持ってきてくれて「これでよければ、入れてお渡ししましょうか?」と言ってくれました。それも、きっと高校生か大学生くらいのアルバイトの男の子。
流れ作業で働いていない、というのが伝わってきて思わず「ありがとう」と言いたくなるお店。
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「ここのスーパーに来ると、気持ち良くお買い物ができます。いつもありがとうございます。」
ある時、そんなことをレジで話していたら、こんな事を教えてくれました。
「パレットは足助の数少ないのスーパーなので、お客さんは高齢者の方が多いです。なので、なるべくお客さんの負担を減らすようにしていたり、お声がけをしています。そう思ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます!」
それは、先日の高校生くらいの男の子でした。
きっと、店長さんやオーナーさんや、先輩スタッフさんからの素敵な教えが活きているんだなあと思いました。
(このスーパーは、みんなお買い物をしに来ているけど、それだけじゃない。きっと、元気も笑顔も受け取りに来ている。このスーパーが無くなることは、ない)そう思いました。
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人工知能や、機械化によって、たくさんの職業が無くなっていくと言われています。
でも、機械化する仕事が増えるからこそ、そうではない経営や理念を掲げる企業の価値が上がり、人はそれを求めるのではないか、と思います。
人工知能をうまく使えば、人がより手をかけられる仕事、人にしかできない部分のクオリティを上げていくことも出来る。
どれだけ早くても、安くても、ベルトコンベア式のスーパーに行く気がしない人がいる。
少し高くても、セルフではないガソリンスタンドが好きな人がいる。
あえてETCカードを作らない人もいる。
大量に作れなくても、値段が高くても、人の手で作るお店を選ぶ人がいる。
値段や手軽さや早さで選ぶことも出来る。でも、そうではないslowな選択肢もある。時と場合によって、なんだって選べる。そんな今の時代は、恵まれているなあとつくづく思います。
いい時代に生まれてきてよかった♡
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最後に戯言ですが、やまのぶで売っている「久保田」というメーカーのアイスクリームの抹茶が大好きです。
個人的に、抹茶のアイスにはリッチなクリームっぽい濃厚さより「お茶感」を強く推しだしてほしいタイプ(かといって、氷菓っぽい抹茶ではなくて、あくまでアイスクリームの抹茶がいい)なのですが、この抹茶はさっぱりしてるのにしっかりお茶!でたまらんです。
抹茶「風味」のお菓子は、変な味がしたり外れも多いですが、このアイスはお気に入り。
最近、店頭で見かけない(売り切れかな?)から、今度見かけたら大量に買ってしまいそうでちょっと怖いです。
見かけたら、是非食べてみてください♡
最後までおつきあいいただきありがとうございました。思い出したら食べたくなってきて困ってます。中島希でした。