大人の人見知りスイッチ
大人の人見知りは単なる甘え?
「大人の人見知りは、単なる甘えである」
「人見知りということを自分で公言するのは、優しさが欠落しているのでは?」
そんな言葉を幾度となく聞いてきた。
聞いてきたのにもかかわらず、あえて言わせてもらうとすれば、私は人見知りである。わりと、結構、人見知りである。
もちろん、誰にでも人見知る、というわけではない。
初対面の人でも、マンツーマンであれば大丈夫なことが多い。異性の方が、平気だったりする。仕事が絡んでいたり、接客中はむしろ親しみやすいタイプを気取ることも可能だ。雰囲気的に合いそうだと察知した人とは、人見知りを微塵も感じさせないこともあるかもしれない。
でも、トータルで見ればやっぱり、なかなかの人見知りなのだと思う。
人見知りが子どもを育てる上で、生じる不具合
仕事をしている時は、ほとんど毎日「仕事スイッチ」が入っている状態だった。だから、自分が人見知りだということを忘れかけていた。
久しぶりに思い出したのは、産婦人科の行っていた出産前の「マタニティヨガ」の時だった。
知らない輪にポコッと入る時、それは突如発動される。
【無理して喋りかけなくても、1人でいいやスイッチ】がものすごい勢いでONになる。1人でいいや、とは思っていても、ツンツンしているわけではない。喋りかけてもらう分にはもちろん嬉しいのだ。だから、親しみやすい表情を作っておくことは忘れない。
ニコニコというよりは、ニヤニヤだったかもしれない。(だいぶ気持ち悪い)
思えば中学生の時、男の子に「なんか、話しかけづらい」と言われたような気がする。その時には、なんて損な性格なんだ!と思ったのだけれど、確かにと納得する部分もある。
学生の時は【無理して喋りかけなくても、1人でいいやスイッチ】が常にONになっていた。仲良しの子と、一緒にいればいい。社交性皆無。そのうえ、親しみやすい表情を作るという発想は当時持ち合わせていなかった。
しかし、子どもを生むとそうも言ってられない場面も出てくる。
児童センターなどに行くと「この場面で気軽に交流できたらいいのに!」と思うことが多々ある。
すんなりと輪に入れたり、集っているママさんたちに何かしら質問などが出来れば、かなり空気は軽くなるということも分かっている。「なんとなく、気まずい空気」は、自分次第で「和気あいあいとした交流の場」になることも重々承知だ。
その空間に出来たら、どんなにいいか、と思う。
それなのに、例のスイッチは簡単にONになってしまうのだ。
息子を盾にする母
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、息子のつむつむくんは、最近まったく人見知りをしなくなってきた。
知らないお友達にズンズン近づいていき、おもちゃを貸せと手を伸ばす。なんだかよくわからない言語で喋りかけている。知らないママ同士が話しているところに、割り込んで、他人の足の間に座る。知らない人によじ登る。誰彼構わず、相手の目をじっと見つめて手を振る。
私には、めちゃくちゃ難易度の高いことを平気でやってのける。密かに、そんなところを尊敬していたりもする。そんなつむつむ君のおかげで、救われることも何度となくあった。
私が誰かと話すきっかけをくれる。笑顔が生じるきっかけをくれる。
つむつむ君から与えてもらっていることは、たくさんあるのだ。
最近では、率先してつむつむ君を盾にしている。(よし、つむつむ!そこにそびえ立っている壁を壊してきてくれ!)と言わんばかりに、GOサインを送りまくっている。
こうして【人との壁を壊したい】と思うあたりから推測すると、私は人見知りではあるものの人嫌いではない、ということなのだろう。むしろ、ほとんどの人見知りの人がそうなのかもしれない。
人が好きだからこそ、近づけない自分と葛藤している。
人嫌いであれば「自分は人見知りだ」と落ち込むことも悩むこともないのだ。
つむつむ君と行動を共にしているうちは、全力でつむつむ君を盾にしよう、と心に決めている。これからも頼んだよ!つむつむ君!ナカジマノゾミでした。
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コメント4件
大人のピタゴラスイッチを思い出しました。
全然関係なくてすみません(^^;
もうすぐ台風きますね。愛知県あたりは台風の右側になりそうなので特に気をつけてくださいね!
・わりと、結構、人見知り
・初対面でもマンツーマンであれば大丈夫
・異性の方が平気だったりする
・仕事が絡むと親しみやすいタイプを気取る
・1人でいいやスイッチON
ぼくも全部当てはまります(笑)
最近は犬の散歩のおかげで、
近所の人と会話するようになりました。
犬を盾にしてます(笑)