親切心の過剰包装による無駄遣い
長久手のIKEAに行ってきました
そろそろIKEA渋滞もおさまっているであろう、ということで初めて長久手のIKEAに行ってきました。
横浜に住んでいた時には、頻繁に行っていたIKEA。久しぶりに行くと、少し商品のラインナップが変わっていて楽しかったです。ここに来たら、なぜか食べちゃうソフトクリームも、やっぱり食べてしまいました。(ソフトクリーム係りのお姉さん、ものすごい勢いでソフトクリーム作ってたなあ。腱鞘炎にならないか心配)
1個30円のバターを前に思うこと
なんかお腹すいたね〜ってことで、IKEAレストランで食事をすることに。ジャンクな食事も、たまになら…と、フィッシュアンドチップスと、プレッツェルとスープを食べることに。パンのコーナーの横を見ると【バター、ジャム、30円】の表示。一応プレッツェルにバターが欲しくなるかもしれない、ということでバターをひとつ購入しました。
(プレッツェル、好きなんですよね。あの硬くてもそもそした感じ。ふんわりしない感じ。独特の表面の風味。あると買っちゃうパンです。)
で、食べていくと、IKEAのプレッツェルには真ん中にバターが入っていたんですよね。「わ!バターいらなかったねー!」と言って、バターは持ち帰ることにしました。
これが無料のバターだったら、絶対、捨てていたような気がします。価値を決めるのは、そのもの自体ではなく、自分のとった行動とそれに至った経緯なのかもしれないと感じました。
無料が価値を殺している場合がある
「無料」というのは、親切でもあり、日本人が得意としているサービスでもあるような気がします。もはや、親切の過剰包装。
スーパーで薄いビニール袋に二重に入れてくれたり、通販をすれば異常なまでの梱包がされている。飲食店では水が無料なのは当たり前。
かくいう私も、移動販売の時にはコーヒーにロータスというクッキーを付けて渡していました。常連さんの4割くらいは「クッキーいらない派」の人もいて、暗黙の了解で渡さないようにしていましたが、今思えば実際にはもっと多くの人が「クッキーいらないのにな」と思っていたような気がします。
仲良くなれば「私はいらないよ」と言えることも、初めてだったりすると(親切で付けてくれたのに、断ったら申し訳ないかな?)という「互いの優しさによる無駄」が発生していたかもしれません。今思えば、ちょっと反省しています。
そもそもこのクッキーを付けるのは「お客さんに喜んでもらうため」であってクッキーを渡すこと自体が目的ではありません。「相手が喜んでくれること」をしたいだけ。相手が嬉しくない場合の過剰なサービスは誰も幸せにしないのです。お客さんが「いらないのにな、もったいないな」という罪悪感を抱いてしまうのであれば、逆に迷惑にもなりうるものでした。
実際には、喜んでくれる人もいたと思います。でも、そうでもない人もいたはずです。
「無料」というのは、価値を殺してしまうこともある。もし、あの時の自分にアドバイスするのであれば【欲しい人は、欲しい、いらない人には、いらないという意思表示をしてもらうために、価格をつけるべき】だと教えてあげたいです。(その場合は、ロータスでない方が好ましいかもしれない)
「互いの優しさによる無駄」をなくすために
この「互いの優しさによる無駄」というのは、モノだけでなくて労働にも大きく影響しているような気がします。以前読んだ記事では「日本人の労働時間が伸びてしまうのは、過剰に親切にしすぎているからでは」という内容でした。
頼んだ側が【①ー10】までお願いしたことをついつい【①ー12】までやってあげたくなってしまうのが日本人。その➕2に対して、頼んだ側が喜んでくれた場合は価値がある。でも「ここまでしてくれなくてもいいのに(または【②ー2】までやってくれれば良かったのに)」と思っている場合、その➕2は無駄な作業になる。
引き受けた側は「ここまでしてあげた」と思っていても、頼んだ側はありがたみもなければむしろ別のところにその力を使ってくれ、と優しさによる無駄が発生してしまう。
これを避けるには、互いに明確な意志を伝えていかなければいけない。
上司と部下、お店とお客、夫と妻、親と子、自分の本心を伝えていくことで、親切心による資源の無駄遣いは抑えられるような気がする。
一つのバターから、そんなことを学んだ日曜日でした。6月も最終週。今週も楽しい一週間になりますように。ナカジマノゾミでした。
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