【言葉】教えるよりも、浴びているという意識
喃語から、言葉へ
今日、初めてつむつむ君のはっきりとした言葉を聞きました。お腹もふくれて、お昼過ぎのグズグズしていた時。
「つむちゃんグズグズして、どうしたのー?」と話しかけたら、「ん’〜ね〜むい〜!(´Д` )」と。割とはっきり言ったのにびっくりして、「そうだったの〜!眠かったの〜!」と普通に返してしまいました。
今までは、泣き叫びながら「んまあ〜んまあ〜あ’」(ママを呼んでいるかのような。これはけっこう言う)と、朝のご機嫌な時に「パッパ」(といったような気がする)
本当にそう言っているのかは定かではありませんが、なんとなく状況に合っているので、しゃべったということにしています。
言葉って、本当に大切だ
言葉って生まれた時から日常的に浴びています。(僕を見て、何か言っているな〜)(ママとパパ喧嘩しているな〜)(僕のこと、うるさい言って言っているな〜)(みんなが受け入れてくれているな〜)
そういうぼんやりとした意味って、赤ちゃんって絶対分かっているんじゃないかなと思います。
言葉だけじゃなく、その時の表情や仕草から、その状況を読み取っている。赤ちゃんって、大人よりも何倍も感受性が強いらしいのです。
毎日、浴びるように言葉を吸収している。
だから、大人が言葉を【教える】のではなく、日常に本人に伝えるという方が効果があるような気がします。
言葉は、教育的な意味以上の価値がある
ここで言っているのは、言葉遣いや礼儀的な言葉のことではなくて、思考の言葉のこと。
例えば親が「〇〇のせいで」という口癖だった場合と「〇〇のおかげで」という口癖だった場合って、全然違う考え方になる。
「〇〇のせいで」と言っていたら外側に原因を求めるようになるし、「〇〇のおかげで」と言っていたら外側の有難いを見つけられるようになる。
「出来たね」と言えば、出来たことを数えられるようになるかもしれないし、「出来ないね」と言っていたら、出来ないことをやってみようと思わないかもしれない。
そして、その言葉が行動を作り、思考を創り、現実を造る。
言葉と人生は密接な関係にあると言っても過言ではない。
大人になったら、自分で修正していけるし、気付くことも出来る。でも、赤ちゃんのうちや子どものうちは周りの大人が気をつけていくことが大切なはず。
オリンピック選手や、野球選手の発した言葉を見てみると、力強い言葉を使っていることが多い。自信、前向き、自己肯定感、10代の若い時からそいういう言葉を使っているということは、親や周りが厳しい中にも折れない心をつくる言葉を選び、接していたのではないかと思う。
言葉が行動を作り、思考を創り、現実を造る。
だからこそ、普段浴びせている言葉に意識を向けなければならない。
そして、自分の発した言葉を一番聞くのは自分の耳。子供のためだけではなく、自分のためにも言葉を見直す必要がある。
子どもが生まれて、改めてそんなことを思っています。今日も、一緒に言葉を楽しもう。ナカジマノゾミでした。
毎日、と言うか毎回勉強になります。