【見える化して悪を無くす】よりも、大切なこと
ザ・サークルという映画を見ました。
SNSの普及により、便利になっていく世の中、つながりに重きをおいた社会。透明化(見える化)して、すべてをオープンにしすること。24時間、自分の生活を全世界にカメラ中継し配信することになってしまった主人公の女の子。現在のSNSをそのまま描いたような映画でした。
この映画が、おもしろかったとかおもしろくなかったというのは別にして、考えさせられる場面がありました。
見える化すれば、悪はなくなる…?
途中、巨大SNS会社のCEOの発言で「すべてが見える化すれば、この世から悪はなくなる」という旨の言葉があって、ハッとしたような気分でした。
どういう意味かというと【人は、誰かに見られているという意識があると、良いことをする。しかし、誰にも見られていないという意識があると、悪事をする。だから、この世界のすべて(個のプライバシーも)見える化すれば、悪はなくなるのではないか?】という事。
あぁ、それでか。SNSの発達によって、私の中で気持ち悪く感じていたムズムズ感が解消した言葉でした。
この、CEOの言っている意味はよくわかります。フェイスブックやインスタグラムの普及によって、おそらく【世の中にとって良いこと】って増えていると思います。誰かに見せる自分は【良い自分】がいいし、【いいね】と言われる行動をしたい。
でも、誤解を恐れずにはっきり言ってしまえば、なんだかちょっとそれって気持ち悪い。
【誰も否定できない良いこと】だからこそ、余計に。
はたして、人は見られていないと悪事をするのか
人は、本当に見られていなければ悪事をするのだろうか。
私は、そんなことはないと思う。人が見ていなくても、自分の目は、自分の行動をいつだって見ている。それは、誰かに批難されることはないかもしれないけど『自分で自分をがっかりさせる』それが積もり積もると、自分を信用できなくなり、自分を嫌いになる。
誰かに嫌われるより、自分で自分を落胆させるのが、人生にとって一番つらいこと。
それを知っている人ならば、誰かが見ていようと見ていまいと、行動は変わらない。自分で自分を好きになる行動をしようと思えば、自然に世の中は穏やかになるのではないだろうか。
それを知るのは【見える化して悪を無くす】よりも、大切なこと。
正義の刃について、思うこと
『正義の刃』とは、正義を振りかざして相手を追い詰めている光景を目にした時に、いつも頭に浮かぶ言葉です。この映画をみていたら、そんな言葉も思い出しました。
例えば、不倫をした芸能人をコテンパンに叩く時。
犯罪者を育てた親を、世間が見せしめのようにバッシングする時。
ポイ捨てした人を、追いかけて罵声を浴びせる時。
誰かの過ちを非難しながら、自分の正義を振りかざしている時。
戦争を始めた人も、それに応戦した人も、誰もが自分を正義だと疑わなかったはず。自分は正しい、相手が間違っている。つまり、誰もが自分の正しさを貫こうとした時。
自分は悪だ、と知っている人よりも、自分は正義だ、と思っている人のほうが残虐な行動をしてしまうこともある。世界で1番怖いのは、正義という刃なのではないだろうか。
正義ってなんなのだろう。悪って、なんなのだろう。どっからみた正義が、正義なのだろう。
自分も利用させてもらっている、SNS。でも家族や友人、本当に大切な人とはSNSというフィルター越しじゃなくて、言葉だけの「つながり」じゃなくて、人間として向き合いたいなと思った映画でした。
見える化したら悪がなくなるなんて、まるで性悪説みたいな発想だね… 私もそうは思わないなー。
「正しさ」ってある意味、逃げかなって思います。
ありのままでは自分を肯定できないから、正しくあろうとする。「好き嫌い」という自分の考えではなく、周りから受け入れてもらえる「正しい正しくない」を基準にする。そして誰かを批判することで、自分の中の劣等感を払拭しようとする。
見える化ではなく、自己肯定感が高い人が増えた方が悪が減る気がするなー。自分自身がありのままの自分を肯定出来たら、わざわざ悪いことしようと思わないし、誰かを批判したいとも思わないんじゃないのかなー