便利が進んで、減っていくモノ
私の夏休みに入り、ちょっとお出掛けしてきました。
京都の日本海側、日本三景の天橋立。綺麗なところでした。いい休日。
ちょっと遠出するときって、高速道路使を使いますよね。non号はETCをつけていないんですが、最近はETCじゃない車ってほとんどなくなりました。料金所で混まないので、渋滞もずいぶん緩和され、本当に便利になりました。発明した人すごいな、ありがたいなあって思います。
ただ、私、ちょっと変なんですが。高速道路の料金所のおじちゃんとの、ちょっとしたどうでもいい会話が結構好きで。「◯◯からだと、◯◯円です」「はーい、お願いします」「はい、確かに!いってらっしゃーい!」みたいな、本当に意味のないような会話なんですけど。あの、いってらっしゃいって一言が好きなんですよね。金額のやり取り以外《必要な会話》ではないかもしれないけど、元気がでます。ふわって、心が温かくなる感じ。
コンビニでも「私、いくつに見える?実は76歳なの♡」っていつも教えてくれるチャーミングなお姉さんのいるコンビニがあるんですが、なんか好きなんですよね。毎回、「えー!!みえないですねー!♡」ってやり取りをするだけなんですけど、なんかそのコンビニには寄りたくなります。
それだけじゃなくて、いつも郵便を運んでくれる配達の方、いつもいく銀行の窓口のお姉さん、いつも仕入れに行くスーパーの素敵なスタッフさん達、発電機用のガソリンはセルフでいれられないから、窓口でいれてもらう時に話す元気なお兄ちゃん達、そんな人達とのやりとりがけっこう好きで、元気の源だなーって思います。
便利なモノやコトが増えていくにつれて、《他人》との関係は徐々に自動化され、希薄になっていくのかもしれません。仕事上の人、友達、家族、知り合おう!として出会った人とは、会話もたくさんすると思います。ただ、《他人》との関わりって、便利が進んでいくにつれてちょっとづつ減っていくような気がします。
だから、逆に、不便であっても人の温度を感じられる場所が、大切だと思う人が増えているのかもしれません。目の前のポケモンを捕まえることも大切かもしれないけど、目の前の相手といっけん意味のないような一言を交わすことも、けっこう大切かもしれません。特に、ホスピタリティや接客スキルは自分がお客さんの立場になったときにこそ育ちます。自分にとって全く利がないと思われる相手に対して、どういうやりとりをするか。全く知らない、二度と会わないかもしれない相手の笑顔をいかに引き出すか。サービス精神を養う絶好のチャンスです。
それが出来たら、必ず接客業で活きてきます。四六時中意識していなくてもいいけど、だんだん当たり前かのように出来てきます。
便利は便利でありがたい。不便は不便でけっこう楽しい。そういう心をいつも忘れないようにしたいです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
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コメント8件
のんちゃんこんにちは^^
良い休日を過ごしているようですね♪
のんちゃんは人とのふれあいがホント大好きなんですね♫
ネットバンキングやネットショッピングも便利ですが会話はないですよね…
年齢もあるのかと思いますが、目で見て手にとって店員さんに聞いて買う!…が本当は好きです
『人の温度を感じられる…』良い響きですね〜!
ETCを付けています。
のんちゃんに、そう言われればそうだったな。
と思い出してしまいました。
料金所のおっさんと会話していましたね。
何だかとても懐かしい事を思い出させてくれました。
ありがとうございます。
物を売るためにはニーズを探せ!
ニーズがなければニーズを作り出せ!
顕在ニーズに応えるのではなく、
潜在ニーズを探り当てろ!
って、よく聞きます。
その結果、
「確かにあればあったで便利だなぁ」
という商品が生まれ、
いつのまにか
「それがないと不便」
になり、
「ちょっと不具合があると不満」
に変わっていく。
もともとなくても平気だったのに・・・
これって進化なのか退化なのか。
すべての商品やサービスがこうだとは言いませんが、
「こんな“進化”は見直さないとね」
っていう発想もあちこちに生まれ始めていると思います。
その基本は、
便利は便利でありがたい。不便は不便でけっこう楽しい。
っていう気持ちですね(^ ^)