移動カフェにゴミ箱を置かない理由

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ちっちゃいようで大きな理由がある。

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1つ1つはちっちゃくてどうでもいい事にかもしれないけど、重なると大きな空気になる。ゴミ箱がどうこうの話ではなくて、すべての行動には意図があるって話です。意図があれば、正解も不正解もないのではないかと思う。

cafebusnonには、ゴミ箱がない。
いつもの豊田市駅の出店の時には、飲み終わったカップを捨てるお客さん用のゴミ箱は置かないようにしています。あえて、置かない。それには、こんな意図があります。

お客さんと目を合わせられるチャンスを1回多く頂く。

どういうことかというと…
ゴミ箱があれば、飲み終わったカップはお客さんにとっても捨てやすく、ポイッとして帰れる。そうすると、他のお客さんが並んでいる場合、商品を渡してからお客さんが帰ってしまう前に「目を合わせるチャンスがなくなってしまうことがある」「帰り際に目を見てありがとうを言うタイミングを計れなかった」なんてことがある。

だから、飲み終わっていそうだったら、帰り際に必ず声をかける。「良かったら、飲み終わったカップ受け取ります。」そうして1回多く話しかけるチャンスを頂いている。

それから、【コーヒーを渡して終わり】にならないように、飲み終わったカップにも気を配る習慣をつける。特にアイスの場合、残っている氷の量でどのくらいのスピードで飲む方なのか、カフェラテは混ぜる派か混ぜない派か、なんてことも予想できる。そしたら次来て頂いた時に、どの状態のコーヒーで渡すのがベストなのかも予想できる。

そんな意図があって、あえてゴミ箱は置かないようにしている。でも、イベントで忙しいのが予想される時は必ず持って行きます。そのほうがお客さんにとっても私にとってもイベント会場にとっても良いと思うから。

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もうひとつ、ちっちゃいことで言えばガムシロやミルクのこと。

セルフで置いておくのではなく、必ず私が入れてから渡させてもらっている。そこにもちっちゃいようで大きな意図がある。

ミルクの有無や砂糖の有無を通して、お客さんを覚える習慣を身につけること。どういうコーヒーを求めているか予想して、次に来ていただいたときに活かすこと。「あなたのことを覚えています」を伝えること。そして初めてのお客さんであれば【聞く】ことで、やはり目を見て会話をするチャンスを1回多く頂いている。

『お客さんと目を合わせられるチャンス、話しかけるチャンスを1回多く頂く』ここにももちろん意図がある。

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こういうのって正解がなくて、自分の意図に沿っていればどれも正解だと思う。別に【ゴミ箱がないのが良いこと】ではない。【ゴミ箱があったほうが良いこと】の意図があれば、そうした方が良い。

なぜそうしているのか、どういう意図があるのかを考える。目に見えることの裏側に、なにを思っているのか。自分で仕事をするってことは、その意図と行動を自分で考えれるっていうこと。それが自由っていうこと。

「起業すると自由ですよね」と言われることが多いけど、自由って規制がないってことじゃない。規制がないことが自由ってことじゃない。自分のルールを自分で決めれるから自由、なんだ。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。

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2016年08月02日 | Posted in NONのこと, ブログ, 移動販売のコト | | 4 Comments » 

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コメント4件

  • たまご より:

    ほんとそう思います。
    形じゃなくて、意図が大事。
    もちろん形から入るのもアリだけど、
    意図を理解しようとするかどうかで、
    全然結果は違ってきますよね。

    • nonnon より:

      そうですね。
      表面上の目に見える理由で終わらせてしまう時は、大きな誤算をする可能性が高い。
      流行を理解せずに形だけで追ってしまう時も、同様な気がします。

  • ねぶ より:

    のんちゃんこんにちは^^

    有意義に過ごせていますか?

    この世の中に『真実』や『真理』、『正解』などを求めたり、求められたりすることがあると思います。意味としてはいろいろ説明であったり、哲学的に解釈されている事ではありますが、でもそれらは果たしてどういう見解で、表されるものなのだろうか。
    自分はそのような事は『無』であると思っています。
    『真実』『真理』『正解』自体が、『真実』『真理』『正解』を探求する事になるのではと思うからです。
    って小難しくなっちゃいそうなのであれですが^^;

    人間と相対する時って主観と客観が、お互いに交差する瞬間でもあり、その時に必要とする理解力で通じ合ったりすることがあるんだと感じるので、そういう時に『意図』を伝わる表現をし、お互いが理解できる事が大事なのかなと思っています。
    それをいろんなシチュエーションで、どう行動し、どう感じてもらえるか。
    そしてそれが自分の『意図』として、自由に行動出来るか。
    コミュニケーションの難しさかもしれないと思ったりもしますねぇ。

    その点、のんちゃんのお店では素敵な人間交差をされているんだなと、またまた感じました。
    お店の経営の中に必要な、『意図』をしっかり、そして自由に考えて行動されている。お客さんとのコミュニケーションを取るための行動にも。

    改めて感銘を受けました。勉強になります!!

    いつも長くなってすいません^^;
    ではでは^^

    • non より:

      いつもありがとうございます。
      ある人から見た正解は、別の人からした不正解だったりします。
      だから、良い、悪い、正解、不正解を全体から見てジャッジすることは私にとっては無意味だなって思います。

      道でタバコの吸い殻を拾っていた時、ご高齢の方に「あなたがそれを拾うと困る人がいる」と教えてもらったことがありました。
      タバコが買えなくて困っている人が、拾って吸うものがなくなってしまう、という意味だったのですが、
      その人から見たら私めっちゃ悪いやつです。笑
      いろんな角度から見たら、善も悪もないんだなーって思いました。
      面白いですね♪

      実は、お客さんとなるべくコミュニケーションをとるのは、私がすごく人見知りだからなんです♪
      だからこそ、接触する機会をあえて設けています。
      いつもコメントありがとうございます*

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