1歳のHAPPY BIRTHDAY
先日、息子のつむつむ君が1歳の誕生日を迎えました
1年前の写真をみると、びっくりするほど皺くちゃでちっちゃくて頼りなくて。人間というより、動物にしか思えないような生命体。
1年で体重は約3倍、背も30センチ近く伸びました。この12ヶ月の凄まじい心身の成長を物語っているようで、感慨深くなりました。
子どもを持って変化したこと
つむつむ君が生まれてきてくれたことで、変わったことはなんだろう?と考えてみたら、1つ大きく変わったことがありました。親になる前と、親になった後でぜんぜん違うこと。
それは、自分の生に対する意識。
というよりは、生に対する執着心と言えるかもしれません。
子どもが生まれる前までの私は、もちろん「いつ死んでもいいや」とは思っていなかったけど、「いつ死んでもいいような日々を過ごそう」と思っていました。
もし、今日倒れたとしても後悔しないような1日を過ごそう。そのためには、やらなくていいことやしたくないことをしているヒマはない。やりたいことだけやろう。そして、死ぬまでにしたいことは早々にやろう!明日死ぬかもしれないと思って、生きよう。
そんな感じでした。
だから、100m落下するバンジージャンプも怖くなかった。だって、それで死んだとしても、やってみたかったんだもん!と。(ちなみに、今だったら、絶対にやりたくない。つむつむが成人して、孫の顔を見届けられたら飛べるかも。笑)
あの時だって、決して死にたいと思っていたわけではないけれど、そこまで死に対する恐怖は無かった。いつか必ずくるものだから。
でも今は、何があろうと絶対に生きたい。24時間一緒にいるつむつむ君の顔を、どうしても明日の朝も見たい。寝たきりになったとしても、目が見えなくなったとしても、彼を感じられる五感が1つでも残されているなら、生きたい。
それは、彼のためではない。「私がいなかったら、、、」という心配からくるものではない。ただただ、私のために、だ。
明日もつむつむ君に会いたい
どうしても、明日もつむつむ君に、会いたい。どうしても、2歳のつむつむ君がどうなっているのか見てみたい。どんな小学生になっているのか、どんな青春時代を過ごすのか。どんなことが好きで、どんなことに興味を持ち、どんな大人になっていくのか。
絶対に絶対に、見たい。
絶対に絶対に、死んでも死にたくない!
この気持は、今までに感じたことのない気持ち。まさに生きることに対する執着心だと言える。
もし、日本の寿命が伸びている要因が、子孫の成長を見届けたいという執着心からくるものだったら、日本ってすごい国かもしれない。(なんせ、平均寿命は伸び続けている)
彼が今日まで大きな怪我もなく、生きてこられたこと。いろんな日を一緒に過ごせたこと。ありがたい、という一言では全然足りない。共に生きる、ということがどれほど奇跡的で尊いことなのか、肌で感じ始めているのかもしれない。
今、すやすや寝ているつむつむ君。朝起きたときに「おはよう」と声をかけることが出来るのが、今は1番の幸せだ。
つむつむ君、1歳のお誕生日おめでとう。
これからも、いろんな毎日を一緒に過ごせますように。
ナカジマノゾミでした。
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