「育てる」のではなく「育つ」を見守る
今日で、つむつむ君8か月になりました
まだ上手くは前に進めないけれど、お尻を上げて立ち上がろうとしてみたり、おすわりがしっかりと出来るようになりました。
あとは、離乳食の好みがわかってきたことと、お昼寝の時間がだいぶ短くなってきました。朝の1時間と午後の1時間。あとはずーっと起きて「あうあう」ゆったり、ブーっと唇で音を出して遊んでます。いや〜元気元気。元気で何より。
育てるのではなく、育っている
生まれる前は「子どもは育てるもの」と思っていたんですが、ここにきて、そうでもないのかもしれないと思い始めました。
そのきっかけになったのは、「子どもの脳科学」や赤ちゃん学の本を読んだことがきっかけでもあります。
その本には「早期教育などで子どもに無理に教育するよりも、子どもの育つ能力を信じてみませんか」というような内容でした。
育てなきゃ、育てなきゃ、と思っていたのに、全然育てれてないのでは?と思っていた私にとってはホッとするような内容でした。
なんせ、この8か月、育てているという感覚がほとんどないんです。
「子育て」って育てる側が主導だと思っていた
「子育て」というと、なんだか育てる側が主導であるようなイメージでした。「私が育てるぞ!」とか「育てなきゃ!」とか。でも、あくまでも育つのは子どもであって、親はそのフィールドを作ってあげることしかできないんだなと感じるようになりました。
「育つ」ための環境は作ってあげられるけど、実際に「育つ」のは彼自身。
そして、その育つ能力を信じて一緒に生きるということが「育てる」ということなのかなと。
今のところは「育てている」という感覚はあまり感じておらず「共に生きている」「一緒に暮らす仲間がひとり増えた」という感覚です。(来年の今頃はどうなっているかな〜)
そういえば、去年の今頃こんなブログを書いていたんだなあ、私。やっぱり人間は忘れっぽいいいものだから、ちょこちょこ大切なことを思い出すきっかけが必要なのかもしれない。
つむつむ君のチャームポイント
つむつむ君は、何と言っても表情がたまらなく可愛いのです。にーっとする顔や、口をへの字に突き出すところ、悲しい時に眉毛をハの字にして「エェェェェ〜」というところ。眠そうなとろんとするところ、泣いた後のうるうるの目で見つめてくるところ。
まー、可愛い。完璧じゃないけど、完璧じゃないからこそ可愛いのかもしれません。むちむちの足も、プリッとしたお尻も、まだ薄い髪の毛も。すべてがチャームポイント。
今日は、いつもより少し意識して1日を過ごそうと思います。今日もいい1日になりますように。ナカジマノゾミでした。
読んでて幸せな気持ちになりました!
見守りましょう( ˊ̱˂˃ˋ̱ )