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お腹の成長が著しい。妊婦・23週目
22週目を過ぎたあたりから、お腹が大きくなるスピードがものすごい。
『昨日より、今日のが大きい気がする!』なんて感じる日もあるくらい、ぐんぐん成長している。
それと同時に、グニュグニュとお腹が内側から押されるような、なんだか変な感じがする時がある。
これが俗に言う、胎動というやつらしい。
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このくらいになってくると、性別もほぼ確定し、名前なんかも決めだす頃。
(ちなみに、中島家の第一子はおそらく男の子。)
名前は、親から子供に与えられる最初のプレゼントという言葉もあるように、大切な物だと思っている。そして、生まれてくる子が名前に影響されることって大きいと思う。
「どんな人になってほしいか」「どんな人生を歩んでほしいか」を考えることって本当に大切なんだとは思うけど、正直な所は、元気に生まれてきてくれたらそれでいい。
本気で、そう思う。
きっと、生まれる時は誰しもそう思われて生まれてきたに違いない。
存在そのものに大きな価値があり、どんな子であったとしても大切なことに変わりはないのだ。
君の存在そのものが、君の命の意味。
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元気に生きていてくれるだけで、いい。
そう思ってはいても、だんだんときっといろんなことを期待してしまうのが人間なのだろう。
夫婦だって、恋人だってきっと一緒だ。
「一緒に居られるだけでいい。」そう思っていたものが、だんだん求めるものが大きくなり、(こうしてくれない)(自分ばっかり、、、)(なんで、そんなことも分からないんだろう)…いろんな不満が出てくるのかもしれない。
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自分のありのままの存在を認められると、相手のありのままの存在を認められる。
よく言う言葉だけど、これは、本当その通りだと思う。
私は、頑張らなくても、ダメダメでも、出来なくても、存在しているだけでちゃんと価値がある。
まずはそれを知ること。
そしたら、相手だって同じなんだと気付く。存在自体に「ありがとう」と思える。
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最近、旦那さんの同級生で立て続けに訃報がありました。まだまだ年齢的には働き盛りで、これからの人生も、楽しみもたくさんあったはず。
お二人とも病気などではなく、突然だったそうです。
そう思うと、朝目が覚めること。「おはよう」と言えること。「ただいま」「おかえり」と言えること。それだけで、幸せなんだということに改めて気付きます。
両親だって、兄弟だって、職場の人だって、友達だってそう。
ほんのちょっと思い出すだけ。それだけで、幸せは目の前にある。
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お腹の中の命が、今日も無事でありますように。
今日も「ただいま」の声を聞くことが出来ますように。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。今日も元気であることに、心から感謝。中島希でした。
その傷は、いつか誰かを温めるかもしれない
私にとって、思い出の歌がある。
中島みゆきさんの歌で、いろんな人がカバーしている曲。
中島みゆき、天才か!と思ってしまう。ぜひ歌詞だけでも見てみてください。(欲を言えば、桜井さんバージョンでぜひ聞いてみてください♡)
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〜ここからは、歌詞の私的な解釈〜
なんで、この人と出会ったんだろう。
その意味は、なんだろう?
私たちは、出会うタイミングも出会う意味も知らない。
でも。今日まで別々で歩いてきた2人の人生が交わることで、誰かの心を温めることが出来るかもしれない。
私一人で、何ができるんだろう?
一本の糸は、心細く不安になることもある。
でも、私という糸とあなたという糸で織った布は、誰かの傷をかばうことが出来るかもしれない。
そんな人と出会えることを、出会えたことを、人は幸せと呼ぶ。
これまで傷ついたことも、苦しかったことも、辛かったことも。悲しかったことも、泣いてしまうような出来事も。
私という糸と、経験という糸で織り成す布は、いつか誰かの心を温めるかもしれない。
そんな出来事に出会えたこともまた、幸せと呼ぶのかもしれない。
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今日まで生きてきた中には、嫌なことも、辛いことも、どん底に落ちるようなことも、あったかもしれない。
でも、だからこそ、誰かの傷をかばうことが出来るかもしれない。
だからこそ、誰かの心を温めることが出来るかもしれない。
だからこそ、隣にいる人を笑わせてあげられるのかもしれない。
だからこそ、出会えたことを幸せと呼べるのかもしれない。
あなただからこそ、出来ることがある。あなただからこそ、誰かの心をきっと支えてあげられる。
あなただからこそ。
あなたにしか出来ないことが、きっとある。
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大丈夫。きっと、想いは伝わる。
心より、応援しています。
『ファースト暮らすとよた』の取材
5分少々ですが、営業最後の日をケーブルテレビのひまわりさんに取材してもらってました。
ご協力いただいた方々、ありがとうございましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ
最後の日の風景『ファースト暮らすとよた』豊田市のHPから観ることが出来ます
楽観主義とは、現実を受け入れる覚悟を持つこと
(もしも、こうなったらどうしよう)(失敗してしまったらどうしよう)(うまくいかなかったら、振られてしまったら…)
悲観主義とは、起きてしまった出来事や、まだ起きていない物事をマイナスの方へ考えること。
一方、楽観主義は物事を深刻に捉えず『なんとかなる』と考えること。
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少し前に「楽観主義になりたい!その方法を教えて欲しい!」と、お客さんに言われました。
物事を軽く考えれるようになりたい、落ち込むのを減らしたい。そういう意味だったと思うのですが、「楽観主義になりたい!その方法を教えて欲しい!」こう思う時点で、なんだか違和感があるような気がしました。
悲観主義って、変わらなきゃいけないものでもないし、それはそれでその人の個性。悲観主義の自分を受け入れて『だからこそ、こんないいところがある』そんな発見にすればいい。
「悲観主義?ま、いいんじゃない?そんな自分を楽しめば♪」(その発想がすでに楽観主義のような気もしますが)
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それでもやっぱり、楽観的に考えれるようになりたいという人に、私が思う楽観主義をお伝えします。
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私はおそらく、そこそこの楽観主義です。
大体のことは「なんとかなる」と思っています。いつもなんだかんだ上手くいくような気がしています。
楽観主義は『現実的に考えていない』『現実を見ていない』と思われがちですが、私からしてみたら真逆です。
現実に起こることを、受け入れる覚悟をするからこそ楽観主義になれます。
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人生には、起きて欲しくないことが起こる可能性があります。
自分が気をつけていても、予防していても、起こるときには起きます。
自分が気をつけれることをして、予防できることをして、それでも起こってしまった場合。それは、もう受け入れるしかありません。
安全運転をして、保険をかけていたとしても、赤信号で車が飛び出してきて事故に遭うかもしれません。
手洗いうがいをして、健康に気をつけていても、病気になる可能性は0ではありません。
自分ができることを全部したら、あとは自分ではどうしようもないことってたくさんあります。
その時のことを(そうなったら、どうしよう)と思っても、どうしようもないんです。
目の前の現実を受け入れて「だからこそ、できること」に目を向けるしかない。
一つ一つの起こってもいない出来事を心配する前に『不測の事態が起こったとしても、なんとか出来る自分』を育てておけばいい。
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『不測の事態が起こったとしても、なんとか出来る自分』というのは、ものすごく心強いです。人生において、絶対的な味方です。
そんな自分になれるのかな?と思った方、大丈夫です。
今、こうして生きているとしたら、それは『これまでの人生で何かが起こってもなんとか出来てきた自分』なのだから。
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「結婚できなかったら、どうしよう?」
やれることをすべてやったのなら、結婚しない自分を受け入れる覚悟を持てばいい。人生の幸せは、結婚だけではないはずです。
「振られちゃったら、どうしよう?」
相手の心が離れてしまったり、何かの事情で離れることになってしまった現実を受け入れる覚悟を持てばいい。男の数は35億、です。
「クビになったら、どうしよう?会社が潰れたらどうしよう?」
自分が出来る最善の努力をしたのであれば、現実を受け入れる覚悟を持っておけばいい。一生懸命やっていてもなってしまったのなら、自分では回避できない事態だったのかもしれません。
「失敗したら、どうしよう?」
自分に出来ることを全てやったと言えるなら、失敗する覚悟を持てばいい。失敗する覚悟を持たずして、挑戦はできません。 挑戦できないということは、成功できません。
当たり前ですが、他人任せの「うまくいきますように」と願うだけでは、ダメです。上手くいように努力も練習も行動もする。
それでも起きてしまう出来事って、世の中にはたくさんあります。
マイナスなことも、プラスなことも、すべて受け入れる覚悟を持つ。それが私の思う楽観主義。
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人生、大体のことはなんとかなりますよ♪
ちょっと、気が楽になった人が一人でもいたら幸いです。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。真面目系楽観主義、中島希でした。
傾聴とは、自分を大切にする手段
2年くらい前から気になって気になって、うずうすしていた言葉がある。
『傾聴』というワード。
耳を傾けることで、心を傾ける。心を傾けることで、相手に寄り添う。
そんなイメージ。
移動販売をしていく中で漠然と感じていたことがあった。
世の中は『話をしたい人』と『話を聴ける人』の割合があっていない、アンバランスだ、と。
話を聴くというのは、耳で聞くという意味ではなく、一生懸命に真剣に聞くという意味でもなく、相手のことを相手の感じるままに受け止めるということ。
私は仕事であるがゆえに、お客さんの話を聴くのは当たり前のことなのだが、例えばお客さん同士の会話が聞こえてきた時に『会話をしているけど、会話になっていない。噛み合っていない。』と思うことがしょっちゅうあった。
それと同時に、私自身は本当に相手の話に寄り添い、聴くことができているのか?という疑問も感じていた。
そのことから、一時期は『傾聴についての本』や『聴くことについての記事』を読み漁っていた。
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そんなことを思っていた矢先、名古屋で傾聴の講習があるというのをネットで発見。
3月頃に申し込みをし、昨日がその講習日。
そこで、これまで思っていた『傾聴』と、私が大きく勘違いしていたことがいくつもあった。
特に大きかったのは、傾聴とは『相手のためにするもの』だと思っていたのだが、そうではなかった。
傾聴とは、自分自身を大切にするために必要なスキルなのだ。
自分の心の声を聴くということだったのだ。
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自分を受け入れられなくて、他人を受け入れることは出来ない。
自分を大切にできなくて、相手を大切にすることは出来ない。
自分を尊重できずに、相手を尊重することは出来ない。
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立場が違う相手のことを100パーセント理解することは絶対に出来ないことをわかっている上で『それでも相手のことを分かろうとすること』『支えたり、寄り添ったり、そのまま受け止めること』が傾聴。
相手と自分の感情の間にしっかりと線を引き、区別した上で受け止めるということ。
話し方は、敬語・謙遜語・一般会話・ビジネス会話などで習うこともある。
でも、聴き方はなかなか習うことがない。本当は、聴き方にも種類があったのに。
『聴く』ということが大事だということや、心で聴くという意味を理解することを知らずに、一生を終えることもあるかもしれない。
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今日私が確信したのは『傾聴』は、この先の人生で役立つことは間違いない、ということ。
それがどんな仕事であれ、親子関係であれ、夫婦関係であれ。
私が私を大切にするために、必要な技術である。
もし、世の中に本当に傾聴の意味を理解し実践できる人や心がける人が増えたら・・・
きっと、世界はちょっとだけ丸くなる。
そんな気がした。
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これから、人との関わりを通して、学んでいけたらいいな。
ちなみに、今日の先生の本が売っていたので思わず買ってしまいました。興味ある方は是非♪
最後までおつきあいいただきありがとうございました。今日も静かな山の中から。中島希でした。
有限な時間の中で暮らすということ。
心ゆくまで夕日を眺める。
6月に入って、いろいろな片付けを終わらせて、最初にしたこと。したかったこと。
キャンプ。
一昨年くらいからちょこちょこと行き始め、まだ年に数回ですが毎年キャンプに行きます。
今年は、行ってみたかった海辺のキャンプ。京都の日本海側、京丹後のあたりの高嶋キャンプ場というところ。
なんとここ、予約が要らないんです。砂浜のフリーサイトは先着順で自由に来てよし。オートキャンプサイトは50区画くらいでこっちは予約あり。
ここの最大の魅力は、釣りとサーフィンスポットがキャンプ場の目の前にあるというところ。
お父さんがサーファーで、子供達とママは砂浜で楽しんでいる家族や、ふたりでボディボードや釣りを楽しんでいるカップルもいました。
(ただ、日本海側は波がある日は稀だそうで、この日はたまたま運が良かったのかも)
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キャンプの好きなところは、時間が贅沢に流れるところ。時計なんて必要ないところ。
明るくなったら、起きたらいい。
お腹が空いたら、食べたらいい。
星が見えたら、寝転んだらいい。
夕日が沈みそうなら、心ゆくまで眺めたらいい。
寝たい時に寝たらいいし、飲みたい時に飲んだらいい。
そういう時間って、日常の中にいたらなかなか過ごせない。キャンプのこういうところが大好き。
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仕事を辞めて変わったことは、暮らしに対する意識かもしれない。
今までは『いかに、効率よく体を休めながらやりたいことを全てやるか』と思っていたけど、最近では『いかに、心地よく暮らすか』というところにポイントがうつった。
今まで興味のなかったことを、面白そうだと感じるようになった。
仕事が生活のメインになっていた時、仕事の後にご飯を作るのはちょっとめんどくさいこと(小声で言います)だった。
帰って、片付けをして、猛スピードで料理を作る。そこに感情はあまりなく、どのメニューがいかに早く作れるかが勝負だった。
今はスーパーに行って「さ~~なに作ろっかな~♪」と、鼻歌うたっちゃう出来事になった。
今まではお弁当を作ることなんて絶対になかったけど、彼の仕事の日はお弁当を作るようになった。「今日のは美味しそうだな、私が食べたいくらいだな」という自己満足とともに、言葉には出さないけど、いちいち自己肯定感も高めている。「お弁当作るなんて、今日も私って素晴らしいー」(声に出すといやらしいので、心の中でこっそり自分を褒めるのがポイント)
家で何かを育てるとか、お花を飾るとか、自家製〇〇を作るとか、全く興味のなかったことを面白そうだと思うようになった。
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こういう暮らしも、いいものだ。
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でも、心の中にひっそりと存在している感情にも、私自身は気づいてる。
やっぱり、誰かが喜んでくれるような仕事を出来るというのは素晴らしいということ。
というか、『仕事』自体が、必ず誰かが喜んでくれているはずなのだ。
じかに目には見えなくても、耳には届かなくても。
私は、今は、自分がメインで動く時ではない。
だから、頑張ってる人や仕事にやりがいを感じている人、これから何かをしていきたい人、そんな人を応援できたらいいなと思う。
私に出来るのは、些細なことかもしれないけど。
『移動販売のこと』『コーヒーの基本的なこと』『エスプレッソマシンの基本の使い方』『接客業のこと』あとは『楽観主義の作り方』『自分の褒め方』笑
まずは、身近なところから。何か力になれたらいいな。
こういうのって、人のためにと動く『いい人』っぽいけど、実はそうじゃない。
誰かのために何かをするのは、何より自分のためにもなるということを分かっているからこそ、なのだ。
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時間は、有限であるからこそ。
何に費やしても自由だからこそ。
その使い方で、人生を大きく左右する。
お金の使い方を気にかける人は多いけど、時間の使い方を意識している人は案外少ないのかもしれない。
時間は、人生の中で何にも変えられない大きな資源だということを忘れてはいけない。
そして、その資源は必ず終わりが来るということも、きっと忘れてはいけない。
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最後までお付き合いいただきありがとうございました。静かなお家で、雨粒の音を聞きながら。中島希でした。
【最後の日】ひとりじゃない事に気付いた日。
5月31日をもちまして、cafebusnonのすべての営業は終了いたしました。
いつもの日常にご利用頂きありがとうございました。
ラストの2日は、特に多くのお客様にお別れの言葉をいただきました。
持ちきれないくらいの花束や、お手紙、赤ちゃん用品、御守り、お菓子、などなど本当にありがとうございました。
予想以上の列に、会社や学校へ遅刻してしまった方、すみませんでした。
買いに来てくれたのに、時間の都合で並ぶことが出来ないからとお顔だけ出してくれた方、ありがとうございました。
また、遠くへ行ってしまった方や、都合が合わないとご連絡をいただいた方、心の中で気にかけていただいた方、すべての方へこの場を借りてお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
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最後の日まで、毎日のように顔を合わせていたお客さんと明日からは日常的に会えなくなる。それは私にとってとても寂しいことですが、人生の中でここで出会ったことはきっかけに過ぎず、これからも繋がっていけるのではないかと思っています。
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移動カフェをひとりで始める。
始めたばっかりの頃、知り合いもいない場所で、ひたすら車の中から外を覗いていました。
お客さんがいない雨の日。【ひとり】の静けさを感じることもありました。
【何があっても、ひとりでやり切る】
そう思って、すべて自分でやろうと思っていたし、やれると思っていました。
【ひとりだけど、私は大丈夫。】
そう思っていました。
でも、気付いたら、たくさんの仲間ができていました。
応援してくれる人、一緒に戦ってくれる人、手伝ってくれる人、見守ってくれる人、喝をいれてくれる人、影で支えてくれる人。
私はぜんぜん【ひとり】ではありませんでした。
困ったとき、助けて欲しいとき、必ず誰かが助けてくれました。
朝から元気をくれました。笑顔をくれました。心のこもった言葉をかけてくれました。さりげない優しさをくれました。
そのすべてが、私にとって大きな力となりました。
この日まで、大きなトラブルもなく無事に営業してこられたのは、本当に周りの方々のおかげでした。
何でもひとりで出来ると思っていた私に、人を信頼するということを教えてくれたのは、たくさんの支えていただいた方達でした。本当に、ありがとうございました。
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昨日、一昨日と、車の中にあったものすべてを出し、洗いなおし、整理しました。車の中は空っぽになりました。
さっぱりとしたNON号で廃業届けを出しに行きました。
明日には、エスプレッソマシンを木のテーブルに設置して自宅カフェゾーンを作ろうとワクワクしてます。
NON号は次の彼女へ譲るのですが、エスプレッソマシンだけは一生の付き合いをしていくつもりです。
マシンと仲良くなる。それは、バリスタの証。
いつか子どもが大きくなったとき「ママは最高の仕事をしていたんだよ。働くことって、本当に楽しいことで幸せなことなんだよ♪」と胸をはって言えたらいいなと思っています。
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今日、作業がひと段落して天井の窓から外の雲を眺めていたら、雲がものすごいスピードで流れていました。
きっと、こんな風に人生もあっという間に流れていく。
そんな気がしました。
気付いたら、28歳。あっという間に30代になり、40代になり、孫が出来、老後を迎えるのかもしれない。
そう思うと、やっぱり思い立ったらすぐに動ける自分でありたいなと思います。
Life is very short.
人生は短い。ビートルズは大切なことを教えてくれました。
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まだまだ、たくさんいただいたご連絡に返信できていないものもありますが、ゆっくりと返信させていただいてます。
そうそう、営業最後の日のTV取材の放送は、豊田市のHPの「ファースト暮らすとよた」というページで13日以降から観れるそうです。(ちょっと自分で観るのは怖いですが)
そして、何人かの方にお問い合わせいただいたのですが…このブログはこの先も続けていきます。
一応、お店用として始めたのですが、それだけではなく私の個人的な楽しみでもあるからです。
もし、その言葉で誰かの背中を押せたり、元気が出ると思ってもらえたら。これほど幸せなことはありません。
つたない文章ではありますが、これからもよろしくお願いいたします。
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最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
豊田の山の中で緑と風を感じながら。中島希でした。
その一杯から、すべては始まる。
おはようございます。あと2日、もうすぐ営業も終わりです。
昨日、なかなか見れていなかったインスタグラムを見ていました。インスタグラムではハッシュタグという機能があって、#cafebusnon を検索すると、cafebusnon関連で投稿してくれた方の写真や記事を見ることができるのですが、
終わりを惜しむ言葉を書いてくれる方がたくさんいて、本当に幸せだなあと気付きました。
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以前、こんなブログを書きました。
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私にとって、コーヒーという一杯は始まりの一杯である。
注文をうけて、作って、渡したら終わり、ではない。むしろそこからが、始まり。
初めて買ってもらったその一杯から、相手との関係が始まる。そう思うと『どんどん提供すること』よりも、『相手との関係をどんな形で始めようか』ということに着目したくなる。
そして、もし、その始まりの一杯を気に入ってもらえれば、その相手ときっとまた会うことができる。
『美味しかった』と思ってもらえたら、話がはずむかもしれない。仲良くなれるかもしれない。
私にとってコーヒーは【渡したら終わり】ではない。淹れ終わったときこそ、はじまりの合図なのだ。
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日々のカウントダウンをするにつれ、そんなことを思い出した。
淹れ終わりは、はじまりの合図。
だとしたら、お店の終わりもはじまりの合図なのかもしれない。
ここで会うことは、もうなくなるかもしれない。でも、ここからは新たな関係を築いていけるということなのかもしれない。
お互いが、いつかまた会いたいなと思っていたら、きっといつかまた会える。
終わるのではなく、はじまる。
未来に繋げていくって、きっとそういうことなんだ。
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さようならではなく、またね。
【またね】は、笑顔でバイバイ出来る大好きな言葉。
今日と、明日。いい笑顔で【またね】と言えますように。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
人生という枠の中ではブランクなんて存在しない
「産休でブランクがあると、復帰が大変」
先日、ふとそんな話を耳にした。
なんだかその言葉が気になって、頭の中でぐるぐるしていた。
私の悪いクセは、気になる言葉がしばらく頭の中から離れず、意味や成り立ちを考えすぎてしまうこと。(まあ、そんな自分の性格が結構気に入っているのですが)
産休は、ブランク…?
仕事をしていて、例えば産休などで長期のお休みを取る場合、その空いた期間のことを一般的にブランクという。産休だけでなく、一度離れている期間があればきっとそういうのだろう。
私は、子どもを産むことをまったくブランクだと思っていなかったから、なんだかしっくりこなかったのだ。
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なので、改めて考えてみた。
確かに、仕事という方向からだけ見たら、産休はブランクと呼ぶのであろう。
仕事から離れる事は、そういう点からみたら恐怖に近いものがあるのかもしれない。
私が仕事から離れる事をブランクだと思わなかったのは、仕事という観点から子どもを産み育てることを見るのではなく、「私」という人生から見ていたからだ。
【私が私の人生を生きること】の中では子どもを育てていくことはブランク(広辞苑:空白・空欄)ではない。むしろ、超絶濃い時間になるだろう。
「私が私の人生を楽しむために働いている」
そして、「私の人生を生きるために子供を産む」
やむおえず仕事を辞めるのではなく、どちらも私にとっては大切なことなのだ。
「その時」が来たら、受け止めるだけ。
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仕事をするために生きているのではないし、生きるために仕事をしているのではない。
私の人生を存分に楽しむために、仕事をしている。
私の人生を存分に楽しむために、結婚し、子どもを育てる。
そしてこれからも、自分の人生をより楽しむために生きていくのであろう。
そう考えると、人生の中に一瞬たりとも空白や空欄を意味するブランク、空っぽの時間なんてないのだ。
なんであっても、すべて自分のためになっているのだから。
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「仕事」という基準でみたらブランクだと思うことも、「人生」という基準でみたらそれは全然ブランクなんかじゃない。
むしろ、大切な濃い時間になるだろう。
なんの為に生きていますか。
私は、私を楽しむ為に生きています。
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
『壁がない空間』のススメ
青空の下で、お酒やコーヒーを飲むことが好きです。
壁がない、屋根もない。天気や季節を感じる。
だからこそ、良い。
そんな気持ちを味わってもらいたくて、移動販売をはじめました。
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壁がない、ということは、お客さんと通行人の境界線が極めて曖昧だということ。
あなたは、買ってくれたから(店内に入ってくれたから)お客さん。
あなたは、買ってくれなかったから(店内に入ってくれなかったから)お客さんじゃない。
そいういう境目が、限りなくぼんやりしている。
『いらっしゃいませ』ではなく、『こんにちわ』や『おはよう』そんな言葉が似合うのも、屋外ならでは。
お外でぼーっとすることが、大人になるにつれ減ってくる。
忙しくなるにつれ、目的的ではない時間を過ごすことが出来なくなってくる。
でも、お気に入りの場所でぼーっと過ごすことは、人生をより豊かにすることは間違いない。
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日曜日、豊田市駅の松坂屋とT−FACEの間、ペデストリアンデッキの○七商店に行ってきました。
仕事の話も兼ねて、約半日ぼーーーっとしていました。それはそれはもう、ぼーーーっと。お得意の人間観察も忘れずに。
年配のおっちゃんが、新聞を広げながらビールを飲んで。その傍らで、ベビーカーをひいたママが、ひとりで青空の下でビールを飲む。
高校生の女の子はシールの交換をしはじめ、男女の若いグループはお酒を楽しみながら話に花を咲かす。
三世代でコーヒーを飲みながらお買い物の休憩をしているテーブルや、カウンターで盛り上がるアメリカ人のお客さん。
みんな思い思いの時間を過ごしている。
すると、JAZZが始まって人が集まってきて、さらに気持ち良い空間に。
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今まで、時間に余裕がなく、足早に通り過ぎることが多かったペデストリアンデッキ。
豊田市の『あそべるとよた』のプロジェクトの一環。
市を通して、こういう空間ができるということは、本当に凄いことなんじゃないかと改めて思う。
【みんなで、まちなかをつくる】そういう意識が、こういうパブリックな空間をより良くしている。
〇七商店として『お店』ではあるけれど、公共の空間に限りなく近い。
そこに、壁は存在しない。
そして大切なのは、それが突発やイベントのみではなく、まちに暮らす人々の日常になっているということ。
きっと私は、こういうことをやりたかったんだと思う。
すごくちっちゃなちっちゃな規模だったけど、もしかしたらNONでもそんな空間が出来ていたのではないか、と思うと嬉しくなる。
まちのプロジェクトとして、今、駅前にそういう空間があることが本当に幸せだと思う。
こんな空間がずっと続いたらいいし、こんな空間をもっといたるところに展開できたら、まちなかの楽しみ方はさらに広がる。
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【壁がない】ということは、クーラーよりも心地いい風を生み出す。
【壁がない】ということは、ひとりだけど、独りじゃない。
【壁がない】ということは、国籍や老若男女の壁をも無くしてくれる。
やっぱり、青空の下で過ごすことが大好きだ。
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NON号は、秋頃、新しい店主を迎えて生まれ変わる。
場所は、おそらく変わることになる。
いま、その為の作戦を練っているところ。
まちなかに、また1つ壁のない空間が出来ることを、私も楽しみにしている。きっと心地よい風が吹く場所になる。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。