比べない、というのは穏やかに生きるための知恵
比べる、というのは時に必要なこと。
成長、発展、やる気、努力、それがなければ今の《現代》はない。スポーツだって優劣をつけなければ成り立たない。勝った負けたがあるからこそ、そこに感動があり多くの人の心を動かす。
勝った時の優越感が、好きな人もいるかもしれない。悔しい気持ちをバネにさらに成長する人もいるかもしれない。それはすっごく素敵なこと。比べるのが必要な時期もあるし、生きる上で役に立つことも多い。
ただ、私は比べない生き方を選ぶ。
他人に、興味が無いのかといわれるとそういうわけではない。素敵なものや考え方は取り入れたい。でも、優劣、勝敗、順位、比較は、誰かの基準をもとに自分がどの立ち位置にいるかを決定している。誰かの基準に自分を当てはめて一喜一憂することに、意味はあるのだろうか。自分の基準を自分で作るほうが、楽しくないか。
《あの人のほうが給料がいい》《この人のほうが幸せそう》《私より、優れている》っていうのは、他人を中心に世界を見てる。自分より兄弟や友達のほうが《いい会社》にいたとしても、自分にはなんの関係もないこと。自分は自分の最高だと思う仕事ができていれば、それでいいじゃない。自分には自分にしか出来ないことが必ずある。
他所の会社はあんなに連休があるのに、あんなにボーナスが良いのに… etc。全て比べることからくる不満。《なんで私だけ…》って言い出したら、一生誰かと比べることになる。上を見たらキリがない。一生何かに不満を感じて生きたいなら、それでもいいのかもしれない。
自分の基準を、誰かに押し付けることは望ましくないけど、誰かの基準を自分に押し付けてしまう必要もない。わたしはわたし。あなたはあなた。世間は世間。
比べることは、時に、目の前の幸せを忘れてしまうことがある。私は、すごい人になりたいわけではなくて、ただ幸せに穏やかに一生過ごしたい。だから、私は比べない生き方を選ぶ。性格ではなく、生きる知恵として。
1番だから、幸せなんじゃない。すごいから、愛されるんじゃない。勝ったから、認められるんじゃない。幸せも、愛されることも、認められることも、自分で手に入れられる。今、この瞬間から。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。豊田市駅の移動カフェcafebusnonの希でした。
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コメント5件
のんちゃんこんばんは^^
比べるという事って、主観と客観で変化することがありますよね。
確かに何かを努力した人の結果と、努力もせずに要領良く結果を出した人では、どちらも同じことを成し遂げているけど、行った内容を比較される事があったりします。でもどちらも成し遂げる事に関しては、自分で考え行っている行動の上の成果であると思います。
なので自分は気にしなくても、他人は気にしてる事。それが比較になってしまう様な事に、違和感を感じてしまう事があります。
のんちゃんの言うように、基準って何なのだろうか、意味があるのだろうか、誰が決めたのだろうかと、疑問に思ったりもします。
でもやっぱり比較も差別もしない、自分がそうあるべきで、世界がそうあるべきだと、平和と平等を願っています。
んーちょっと大きな話になっちゃったかな(;^_^A
ではでは^^
こんにちは。
こちらの新ブログに初カキコ失礼します。
nonさんが旧ブログで書いていたように、
充実した夏休みを過ごしているのが伝わってくるよ。
以前から思わず「はっ」と思わせるような記事は多かったですが、
率直に言えば、自分のような存在にとって突かれると
「痛い所(目を反らしていたり、思考停止(放棄?)してしまった事。)」
に対して、nonさんは真正面からしっかり向き合ってるんだな。
等と、最近のブログからは特に感じています。
日蔭物には、時に、nonさんのそれが眩し過ぎるけども、
でも、その「眩しい」と感じた瞬間が、
私の凪いだ水面(それもドス暗く濁った(笑))に、
投げ入れた小石のように、波紋を起こす一つの契機となっているようにも思えたりもしたり。
夏休み明けの営業はもちろん、これからもブログも楽しみにしていますね。
(ホント~~に、自分のような人間にはイタタタッ・・・ってたまになるけど(苦笑))