迷い猫のタロウくん
迷い猫のタロウくんは、いつもふとした時に現れる。
野良猫のようで、まったくの野良猫という訳ではない。首輪もつけてもらっているし、毛並みはいつもまあまあ綺麗だし、何よりずんぐり太っている。
いつもこの集落(7~8軒)のあたりをくるくると回っていて、当然うちの庭にもよく遊びに来ている。そして、一番日の当たる特等席でぬくぬくとしている。近づくと、撫でて撫でてと言わんばかりにゴロンと寝転び、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
何で首輪をつけているのだろう?(野良猫と聞いていたので)タロウくんは、誰の家の猫なのか?どうしてタロウくんと呼ばれているのか?(メスなのに)どうして、こんな山の中に住み着いているのか?餌は何を食べているのだろう?寒い冬はどうしているの?っていうか人懐っこすぎない?本当に野良猫?!
引っ越してきた当初に、家を売ってくれた人にタロウくんの存在は聞いていた。けれど、謎だらけだった。
ある日、タロウくんと遊んでいた近所の女の子たちにタロウくんのことを聞いてみた。すると「タロウくんは、迷い猫で、〇〇ちゃんが助けてあげたんだよ!」と、その場にいた女の子の名を指して教えてくれた。
なるほど。優しい女の子がこの集落に迷い込んできた猫を助けてあげて、それ以降この場所に住み着いているらしい。おそらく、どの家からもちょくちょくご飯を貰いに行っているに違いない。そうでなきゃ、野生の猫が丸々と太るなんてことはない。(と思う)
みんながちょこちょことお世話して、気楽に気ままに可愛がってもらっているに違いない。それと引き換えに、住人は可愛い猫に癒されている。ちょうどいい関係だ。
つむつむとタロウくん
子どもが生まれるまで、タロウくんにはあまり関わらないようにしよう、と思っていた。餌をあげたい気持ちもあるけど、あげすぎて敷地内に住み着かれては困るし、心を許しすぎると家の中に入ってきそうな気もする。
適度に眺めて、適度に撫でてあげるくらいだった。
しかし、つむつむが1歳になった頃からタロウくんは非常にありがたい存在になってきた。子どもは、家の中の自由に遊べるスペースにはだんだんと飽きてくる。いつものおもちゃではなく、新しい場所や、新しい遊びが大好きだ。
いつもの遊びに飽きて、ぶーぶー言っているところに、ふとタロウくんが現れる。そうすると、窓に駆け寄って「あ!あ!」と指を指し、タロウくんと遊びたいアピールをしてくる。
最初は、恐る恐る、手を伸ばしてタロウくんに触ってみる。次第に撫で撫でするようになり、何かを話しかけてみたりしている。時には、気持ち良く寝ているタロウくんにちょっかいを出しすぎて、ネコパンチ的なものを食らったりして、泣かされている。尻尾を踏んで「ニャー!!!」と怒られてビビっている時もあった。
でも、基本的には人間慣れしているタロウくんは、むやみやたらに攻撃してくることはない。痛かったり、やめて欲しかったりするときに、伝えてくれているだけだ。
少し心配なのは、ダニとかノミとかその辺と、引っ掻かれたり噛みつかれた時になんかよくわからないモノに感染しないのか、と、ネコパンチを受けて爪が目にクリーンヒットして失明したりしないか、というところだ。距離を近付きすぎないように、タロウくんの嫌いな触り方をしないように、それと触った後の衛生面を気をつけておかなければいけない、と思う。
タロウくんが遊びに来てくれるだけで、つむつむにとって退屈だった時間は「猫と遊ぶ時間」になる。恰好の遊び相手になってくれている。猫を飼っていないのに、この恩恵を受けられることは、かなり有り難い。
今では、ちょこちょことタロウくんに食べ物を与えて、時々来てくれることを願っている。
気ままな猫に見習うこと
人間とは勝手なものだなあ、と思うけれど、猫だってまあまあ勝手なものである。来たい時に来て、構って欲しくない時にはスーッといなくなる。撫でて撫でて~といってくるときもあれば、すっすと素通りしていくときもある。昼ごはんの焼き魚の残りをあげたら「身は無いのかよ」と言わんばかりに、まったく嬉しそうにしなかった。(皮と骨についた身でも喜ぶのかと思っていた)
好かれよう、と頑張らない。でも、そんな勝手気ままなくらいの方が、案外見ている者には心地よい。犬のようにいつも尻尾を振って迎えてくれるのも嬉しけれど、いつも喜んでいる素振りをしてくれるほどに(本当に嬉しいの?)と思えてくる。
これは赤ちゃんにも当てはまる。赤ちゃんは、嬉しい時とそうでもない時に体裁を気にして取り繕うということをしない。全力の面白い顔で「いない いない ばあああ~」をしたところで、ハマらなければ無視される。でも、ハマった時には大爆笑になる。それは、彼らのコンディションの問題もあるし、こちらの微妙なテンションの違いを感じ取っているのかもしれない。
愛されようとしなくても、愛されているのを知っている。嫌われることなどない、ということを知っている。とにかく、いつだって正直だ。「あれしたい!」「あれ欲しい!」「いやだ!」「眠い!」こうも正直でいてくれると、当然困ることもあるのだけれど、裏を返せばありがたくもある。
仮に「嫌だけど、言わないでおこう。でも、イライラするなあ。クソババアめ」「おむつ濡れてるけど、我慢しよう。忙しそうだし、嫌われたくないし。」「お腹すいたけど、泣いたら申し訳ないし、もう少し、大丈夫なフリをしよう、ママのために」みたいなことになったら、それこそ大変だ。命に関わる。
素直、正直、というのはそれだけで相手に安心感を与える。そして、それに対する信頼も。
大人は、いつしかそれをどこかに忘れてきてしまったのだろう。相手には素直さを求めるのに、自分はなかなか素直になれない。偽る、ということは信頼されないということに繋がってしまうのにもかかわらず、だ。
気ままな猫と、気ままな赤ちゃんは、そんなことを思い出させてくれる。この先も、タロウくんとは仲良くしていけたら、いいなあ。ナカジマノゾミでした。
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