「成長」は目的ではなく結果
「成長したいです」ってなんやねん
数日前から、ぽちぽちと【元気の出る辞書】を更新しています。と言っても、かなりのスローペース。一つ一つの言葉に向き合うと、頭も使うし時間もかかります。
でも、めちゃくちゃ楽しい。やっぱり、私は言葉が好きみたいです。
昨日、ふと【成長】という言葉と向き合っている時に、これまで腑に落ちなかったことがすっきりしました。
成長は目的ではなく、結果
よく、面接の時に「御社に入って、成長したいです!」とか「もっと成長したい!」という言葉を聞きます。でも、ずっと不思議な感じがしていました。
特に仕事に対しては、雇ってください!成長したいので!というのはかなりの違和感でした。いや、真面目でやる気も感じられるのだけど…「お金ください、学ばせてください!」って、むっちゃ図々しい話。
企業はボランティアではないのだし。
SNSによく書いてある「成長したい、成長したい」も、なんだか違和感があって。
その違和感はなんだろうと考えていたら【成長って、目的にするものではないんじゃないか?】というところにたどり着きました。
何かをがむしゃらにやった時の結果が【成長した】ということであって、【成長したいから、〇〇する】というのは、ちょっと違う。【成長して〇〇したい】という成長の向こう側に目的があって、そのための手段としているのであれば、それは納得できる。
赤ちゃんの成長を間近で見ていて思うこと
生後7か月のつむつむ君。毎日ものすごいスピードで成長しています。
昨日まで出来なかったことが、今日は出来るようになっている。そんなことの繰り返しです。でも彼は「成長したい」とはきっと思っていません。
目の前にあるおもちゃに、必死に手を伸ばしていた結果、昨日より動くことが出来ました。。
私に、何かを必死に伝えたいと思っていた結果、声を出すことが出来ました。
成長は、目的ではなく、結果。
成長したい、と思う気持ちはとても素晴らしい。
でも、夢中で何かに必死になっていたら、それは絶対に「成長している」から、安心して夢中になったらいい。
*************
ここまで書いているうちに気付いてしまったのだけれど、【成功】も目的ではなく結果なのかもしれない。
「成功したい」と、成功を人生の目的にする人に、なんだか違和感があった。端的に言ってしまえば「成功を目的に生きている人」が嫌いなのだ。(わりとはっきり言ってみる)
成功は目的ではなく「何かに挑戦した結果」が「成功」なのではないだろうか。
今日も必死に前にある、積み木に手を伸ばすつむつむ君を見ながら。ナカジマノゾミでした。
コメントを残す