直感を鈍らせない

Pocket

少し前に、本屋さんが教えてくれた話を思い返していた。

おもしろい話だったので、自分だけで消化するのはもったいない気がしたので改めてブログにあげておくことにする。

自分が忘れないように記録に留めておく、という意味もある。


 

日々、生と死を意識せざるおえないCAさんの話

 

CAさんは、日々の仕事の中で生死を意識する職業だ。というよりは、人よりも事故に合う可能性が高いような気がする。だって、日々、空の上にいるのだから。

もし、万が一という場合には乗客を出来るだけ安全に誘導したり、冷静な対応が求められる。パニックになっている場を落ち着かせるのも大切だ。

あるCAさんは、フライトに出る前に国籍や性別の記したシート座席の用紙を見たときに【もしも何かが起きたときのイメージを沸かせている】という。

そして、実際に乗客が乗ってきた際には、ひと目見たり挨拶を交わしただけで【何かあったときに協力してくれそうな人】【力が強そうで頼れそうな人】【冷静に誘導を手伝ってくれそうな人】【パニックになりそうだから要注意な人】【全体のことよりも自分を優先しそうな人】などなど、その人の雰囲気や仕草、視線や行動や気配から直感的に察知しているそうだ。

そこに性別や国籍や体格などを組み合わせて、万が一の緊急時の役割分担を頭の中で構成しているという。

何かあってから考える、では遅いのだ。目星をつけておいて、何かあったときには即行動に移す。一瞬の判断が、生死をわけるといっても過言ではない。

 

日常生活に活用できるのではないだろうか

 

そして、この話を教えてくれた本屋さんは、この話を日常生活にももっと活用してもいいのではないか、という話をしてくれた。

たとえば、電車に乗る時。何も考えずに座るのではなく、突然暴れだしそうな人がいそうな車両は避ける、とか。

車を運転している時、後ろに嫌な感じの運転をする人がいたら早めに道を譲っておく、とか。

天気予報に任せっきりにするのではなく、空の様子がいつもと違わないか、雲の動きはどんな感じか察しておく、とか。

体温計で熱がなくても、子どもがなんとなくいつもと違わないか感じる、とか。

情報や文章、注意書きやニュースだけでなく、体感としてあれ?と感じられる自分の状態をつくっておく、ということは結構大切なのではないか、と、

確かに100%事故を防ぐことは出来ないかもしれないけど、事件に巻き込まれる可能性はすこし減らせるような気がする。【ちょっと危険そうな人】に近づかないというのは、動物的だが人間関係のなかでもすごく有意義な気がする。

そのためには、直感を普段から働かせておく必要がある

いきなりひと目見た人を察しろ、といわれても、普段直感を使っていない人にはなかなか難しい。

相手の目線や動きや気配を、肌で感じる必要がある。

接客業は、これを感じるのには最適ともいえる。【この人は、どういうお客さんか】【自分のお店には何を求めてやってきたのか】【いま、どういう状況か】そんなことを会話をせずとも肌で感じ、要求を先回りしたサービスをすることで喜んでもらうことが出来る。

日常生活のなかだったら、職場の人や家族、立ち寄ったお店、乗った電車やバス、前後の車の運転手など、勝手に想像することもできる。職人と呼ばれるひとは、これを商品や仕事の中で感じている人もいるかもしれない。

そうして普段から直感をみがいておくことは、侍が刀を研いでいるようなイメージだ。敵が襲ってくてから刀を研いだのでは遅いのである。日々、刀を研ぎ、もしもの時をイメージして背筋を伸ばして目を閉じて気配を感じておく必要がある。

 

動物における直感力

 

そういえば、地震や津波のときに動物の死骸が発見されない、という話を聞いたことがある。津波のくる何日か前から、その場所を離れるような動物の動きや、丘の上に避難するような不思議な動きが観測されている。

地球から、いつもと違う【何か】を察した動物は、その場所を離れたり、仲間に危険を知らせているらしい。

人間は言語など知性の発達によって、直感という分野が減退してしまった。察知したり、異変に気づいたりするのが遅すぎる人がとてつもなく多い。

ぼけーっと受動的に生きていると、目に見えないものに対して鈍感になってしまうのだ。

この話を聞いたときに、今、まさにぼけーっと生きていた私はかなりドキッとした。

仕事をしているときには、日々もっと敏感だったような気がした。目の前の人の様子から、コーヒーの様子から、天気の様子にたいしても、もっともっと察するものがあった。

この話は、今の自分に対してはかなりグサっとくる話だった。

守りたいもがあるのであれば

 

守りたいものがあるのであれば、直感を研ぎ澄ましておくことは大切なことである。

何かの異変に気づいた時、気付いてからでは遅い。

【もしかしたら、こうかもしれない】と、冷静に仮説を立てておくことは、過剰に心配したり不安になることとは少し違う。むやみやたらに情報にふりまわされて心配するのではなく、自分のを基準にして感じられる身体と心をつくっておく。けっこう大切なことなのかもしれない。

そんなことを、いつもと違う空を眺めながら思いだした日。今日は少し、刀を研ぐイメージで包丁を研いでみようかな。ナカジマノゾミでした。

ソーシャル

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です