【対処療法ではなく、根本的治療】武田双雲さん講演会
友達に、武田双雲マニアな子がいます
子育て中の葛藤や苛立ちを抱えている時に武田双雲さんの本に出会い、言葉に出会い、救われた!!!と言って、ほぼ本を読破しています。
そんな彼女が「武田双雲、名古屋来るってよ!」と教えてくれたので、栄の芸術文化劇場での講演会「文化芸術フェスタ」に便乗することにしました。
私も、移動販売を始めた頃に武田双雲さんの本に出会い影響を受け、ものの見方が変わり、その後の心に大きな変化をいただいた人の1人です。
肩の力が抜けるような、無理をしない生き方って、簡単なようでなかなか出来ていなかったりします。双雲さんの言葉は、ふわっと心が軽くなるような、穏やかな気持ちになれる言葉です。
対処療法ではなく、根本的治療
その中で、感情を病気と薬に例えた話がわかりやすくて面白かったです。
風邪を引いたときに、その対処として薬を与えられる。それは、何かが起きた時の対処療法でしかない。漢方は、それの少し手前。症状が出ていないときにも利用することができる。それより大切なのは、もっともっと手前。そもそも病気にならない、という免疫を高めるようなことが大切。
感情も一緒で「イライラ」を鎮めるのではなく、「ネガティブ」を無理やりポジティブに変換するのではなく、そもそもイライラしない方法を身につける。普段の行動でその状態を作ることができる。ポジティブで対処するのではなく、そもそもポジティブもネガティブもないフラットな状態を作り出すだけでいい。
ポジティブに!前向きに!と頭で考えているということは、自分のことをネガティブだと刷り込んでいる状態でもある。
人間の脳の意味づけについて印象深かった話
すべての出来事には意味自体はなくて、人間が勝手に意味を作り出しているだけ。さっきまで食べていた煮魚の骨は、お皿にのっている時には、美味しい「食べ物」。でも、それを三角コーナーに捨てる瞬間に「生ゴミ」になり、汚い、になる。その境目は?魚の骨自体は何も変わっていない。変わったのは、人間が定義しただけに過ぎない。
最近では「あいにくの雨」という言葉もあまり使われなくなった。雨自体に意味はない。それに人間が意味をつけただけ。転んだり、失敗したり、成功したり、勝ったり、負けたり、そんな出来事があっても、それ自体に意味はない。
転んだから悲しい、と思うのか。
転んだから強くなれた、と思うのか。
転んだら、道に咲く花を見つけられるかもしれない。
負けたからもうダメだ、と思うのか。
負けたから自分の弱点を知ることができたのか。
負けたら、負けた人の気持ちを汲み取れる人になるかもしれない。
人間は、うまく脳を使えれば強い。けれど、脳の使い方が適切でないと脆い。
すべての出来事は自分が意味づけしているだけ。良いも悪いもない。
どう生きていくのも自由。
感情のジェットコースターのような人生も間違っていないし、上を目指し続ける上昇志向も間違っていない。緩やかに、穏やかに、ただただ幸せを感じで生きていったっていい。どう生きたいかによって、自分でそのチャンネルを選べばいいんだよ、という意味の言葉で締めくくられました。
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ちなみに、つむつむ君は託児室に預けることができて、前半はお兄ちゃんたちに遊んでもらってニコニコしていたそう。眠くなってからはグズグズして、迎えに行った頃には、泣きながらたまごボーロを食べさせてもらっていました。うえ〜ん、と言いながらモグモグ。ママを見つけて「うえ〜ん、どこ行ってたの〜!」って感じの顔が、たまらなく可愛かったです。つむつむ、頑張ったねー♪
やっぱり自分には双雲さんの言葉は合っているようで、すーっと入ってくる講演会でした。行ってよかった!双雲マニアの友達、ありがとう♪ナカジマノゾミでした。
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